[2508] 自分も研究せねば! :志村TC
2004/09/01(水)2:15
さっしいさん、いろいろ興味深いお話、ありがとうございます。
江戸城の城門めぐりですか、これはとても面白そうですね。
そのアイデア、今後に流用させていただいてよろしいですか?
現存の門と外堀の門跡をめぐるだけで相当、歴史に詳しくなれますね。
学校じゃ教えてくれない知識の源、まさに自由研究ですね。
ご質問にありました「出井川」ですがそのものズバリで「でいがわ」
と読みます。ただし私らの近所では大人も子供も「でのかわ」と呼
んでいました。源泉は「出井の泉」という湧き水でして昭和38年頃
まで清水がチョロチョロと湧き出ていました。砂利でダムを作って
遊んだ記憶が鮮明です。その後すっかり枯渇したと思われていたこの源泉、
数年前の地質調査の際、まだ湧き出ている事が判明され現在はポンプ
で調整されて今後は史跡として残すことが決定しました。
さて、謎の多い41番の開通日ですが、確かに諸説あるようですね。
昭和30年6月1日と6月10日。書籍によってまちまちですね。
私も気になっていたので、板橋区役所の図書閲覧室で軽く調べた
ところ、それらしい資料がなくがっくりしたのですが、ただ一つ
志村警察署の昭和60年頃までをまとめた年表があり、そこの昭和
30年には「6月10日、都電が志村橋まで開通」という一文があり
ましたが…。私も折を見てさらに調べてみたいと思います。
[2509] 自由研究余話 :さっしい
2004/09/01(水)19:50 [メール]
おぉ、いいですねぇ。是非、21世紀版の城門探訪を。
大手門や桜田門をはじめ、内堀のものは現在でも保存されていますが、
外堀の、特に埋め立てられたあたりは、それこそ廃線跡探訪でした。
数寄屋橋門などは跡形も無いものの、一応場所は特定できてまだマシな方。
幸橋門とか筋違門などになると、それこそ今流行の「重ね地図」の世界で、
江戸図、明治の地図、現代の地図を照合。小学生にしては高尚でしたねぇ。
(もちろん親父が、そういうことが好きだったのですが、)
しかし江戸城は、その防御の構造がとても良くできていて、
内堀・外堀に神田川まで利用し、最後は遠く浅草橋門で終点となっています。
自分としては、石垣だけが残された四谷門、市ヶ谷門、地元の牛込門や、
四谷の上智大から喰違見附あたりの雰囲気が気に入りました。
3番の都電は、高速道路にトンネルを潰され、単線運転をしていましたっけ。
我が家は毎年、旅行記でも自由研究でも、まとめがとても大変で、
画用紙を2〜30枚使い、そこに写真を貼って文章を書いて綴じていたんです。
ですから完成品はかなり大きく厚く、校内の展示会でも目立っていました。
特にこの「江戸城の城門の研究」のときは、門が40近くあったと思いますので、
1箇所に1頁以上使い、かなりの厚さになって、持って行くのが大変でした。
内容が好評だったお陰で、みんなの前で発表させられることになってしまい、
人前で話すのが大の苦手の自分は、その前からもう心臓がドキドキで、
発表当日の朝は、お腹まで痛くなり、あやうく登校拒否になりかけました。
本番は何とかやり遂げたものの、その瞬間は頭の中が真っ白になっていました。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2510] 夏休みの宿題 :6181
2004/09/02(木)1:28
ごぶさたしております。
うちの小学校低学年の娘も,宿題は日本橋両国さんのところと似たようなものでした。
但し,ドリル(というかプリント数枚)もあって,なんと「丸つけは親がする」とのこと。
もちろん解答集はなく,「大通り」は「おうどおり」じゃないだろ,だけど正解はどうだ?などと揉めてしまいました。
以前の話題ですが,一連の両国の話,皆様ありがとうございました。
以下両国在勤時の自由研究から,貧弱ながら。
三ツ目,四ツ目に対し二ツ目は清澄通りらしいです。元来は竪川にかかる橋を江戸城側から一ノ橋(大川端)云々としていたようです。
亀戸の明治通りで竪川にかかる橋は今でも「五ノ橋」ですが,これは明治以後の名前かもしれないと思います。
それにしても江戸城の城門,壮大なテーマですね。
[2511] 浅間山 :Ekimi
2004/09/02(木)20:32
長野新幹線の名前である浅間山が噴火しましたので、チョット報告。
群馬には『浅間のイタズラ、鬼の押し出し』という有名な言葉があります。
ここ数年は、噴煙も上がっていたのでマスコミ程は驚きませんでした。
むしろ「あ、この程度か。」が本音ですね。
でも、確実に農家などは被害を被っているので、落ち着いてばかりではいられませんね。
普段なら、部屋の窓から見える浅間山も、北関東は雨なので伺うことも出来ず、実に焦れったい。(ヤジ馬根性丸出し)
被害が小さい事を祈るばかりです。
話は変わり、8月最後の日曜日に風景印を集めている友達を言いくるめて、新潟へ行って来ました。私の目的は新潟中央局の「SLばんえつ物語号」消印だったのですが、他の郵便局を回っている時に地図を見て思い出し、脇道に入ると有りました。新潟交通の廃線跡が!
線路・ホーム・架線柱には架線も引いたままでした。軸道には草が生えていましたが、地方鉄道なら許せる範囲。いつ緑&黄ツートンカラーのカワイイ電車が走ってきても不思議では無いくらいに……‥‥
残念ながら、踏切は線路が剥がされ、舗装が仕直されているので走行は無理なのですが、廃止から5年ここまで当時のまま残っているとは思わなかったので、感動しました。
後日、改めて廃線跡探訪に来たいと思いました。
>夏休みの宿題
私の場合は……‥‥諦めて提出をしなかった物が何個か有ったような〜(苦笑)
[2512] 浅間嶺にけぶり立つ見つ :さっしい
2004/09/02(木)22:47 [メール]
▼6181さん▼
おやまぁ、そこまで先生が楽をするようになってきましたか。
しかし正答がないのでは、親の権威にも影響しますね。
「大阪」は「おおさか」ですが「逢坂」なら「おうさか」ですから、
たかが小学校低学年とは侮れず、気を遣いますよねぇ。
三ツ目・四ツ目(妖怪ではありませんが)の話、とても勉強になりました。
そうでしたか、竪川を基準にしていたのですか。
なるほど、一之橋、二之橋…と、確かにあります。
数字の橋って、麻布だけの専売特許じゃなかったんですね。
こんなのも、地元の子にとっては良いテーマになるのではないでしょうか。
▼Ekimiさん▼
そうなんですか。地元では慣れたものなのかな。
浅間山は煙を吐いているのが常識、みたいな感がありますからね。
鬼押し出し、懐かしいです。行ったのは小学校一年の夏休みでした。
あらま、数えてみれば、42年も前なんですねぇ。
廃線跡探訪も、夏場は草や虫などに悩まされて辛いでしょうけれど、
これからはだんだん、歩くのにも良い季節になっていきますね。
北関東も大好きな地域なので、たまには歩きに行きたいものです。
新潟交通の跡はまだ新鮮(?)ですか。でも実際に見たら切ないでしょうね。
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[2513] 江若鉄道 :駄菓子
2004/09/06(月)20:55
さっしいさん、ごぶさたしています。
今回のトップページの写真は、江若鉄道ですね。
どなたの書き込みもないようなので、代わって10人分感動します!!
うらやましい……。
もう少しローカル私鉄に目覚めるのが早ければ、私も江若鉄道を撮りに行ったのにと思うと残念でなりません。
夏には、長い編成の気動車が琵琶湖のほとりを走っていたんですね。
そんな情景を思い浮かべると、もう少し湖西線の建設は待っていてほしかった……なんて勝手に思っています。
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[2514] じっくり訪れたかったものです :さっしい
2004/09/06(月)21:36 [メール]
▼駄菓子さん▼
おひさしぶりです。今回はお心遣いありがとうございました。
関西系は、皆さんの反応がイマイチなもので…。
でも江若鉄道も、羨ましがられるほどではないんですよ。
親戚一家と京阪レイクセンター(だったかな?)へ行く途中、
ちょっと立ち止まって、1〜2枚写真を撮っただけなのですから。
あとはキハ5124のカラーがあるぐらいなのです。
琵琶湖の湖岸線(?)沿いに、一度は乗ってみたい鉄道でした。
湖西線は高架で眺めは良いのですけれどね、風情に乏しくて。
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[2515] 東の関東、西の江若 :駄菓子
2004/09/07(火)13:27
……なんて呼ばれていたこともあるそうですね。
中学生のころに、どこかの趣味誌で、かなり昔にそんな表記を見たのが、江若鉄道に興味をもったはじまりです。
もっとも、路線が長い点はライバルだったかもしれませんが、当時の時点では、車両にせよ運転によせ、両者を比較すること自体、江若ファン(?)には失礼だったかも。
江若なきあとは、東の関東、西の島原になったそうですが、島原ではちょっと力不足かな? なんて勝手なことを書いていると、ファンの方に怒られそうなのでこのあたりで失礼します (^^;;
あ、ところで、江若鉄道ですが、なくなるまで私は「えわか」だとばかり思っていました。「こうじゃく」だったとは。
やっぱり、こういう名前は音読みにするのが一般的ですね。
[2516] 固有名詞は全て難読? :さっしい
2004/09/07(火)20:57 [メール]
▼駄菓子さん▼
そうでしたね。江若鉄道、なかなか「こうじゃく」とは読めませんよね。
自分も、ピクトリアルあたりで知るまでは、「えわか鉄道」だと思っていました。
それどころか浜大津まで乗った京阪京津線も、この当日まで「きょうつ線」かと…。
「熊延鉄道」や、羽後交通「横荘線」あたりも、なかなか読みにくいですね。
しかし逆に「雄勝線」なんてのは、地名を知らないと、音読みしてしまいそうで。
国鉄(JR)の路線名で、両端の市名や駅名を組み合わせたものは、
大抵、音読みすれば良いのですが、やはり馴染みがないと違和感があったりします。
東北地方の北上線は、その昔、横手〜黒沢尻間の「横黒線」だったようですが、
あれも、読みは「おうこく線」で良いのですよね?
だいたい日本語って、地名や人名は読み方が何通りも考えられ、難しいですね。
普通に教育を受けて普通に成長してきた大人が、自国語を普通に読めないなんて、
考えてみれば、ずいぶん妙な言語だとも思います。
ラジオで「名張市」からの葉書を「めいちょうし」と読んでいたこともありましたが、
「加須」とか「越生」とか「水海道」なんかも、正確に読めない方が普通ですよねぇ。
でも、それでも大した不都合もなく、世の中何とかなっているから面白いものです。
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[2517] 路線名 :駄菓子
2004/09/07(火)21:39
ふっふっふ、やはりこのネタはさっしいさんの琴線に触れてしまいましたね (^^)
私も嫌いではない……というより好きなもんで。
止まらないといけないので、とりあえず話題を路線名に限ってみます。
京津線は、私も「きょうつ線」だとばかり思っていました。
たしかに、「興味津々」の「津」ですね。
「熊延」が「ゆうえん」というのも、最初から読める人は少ないかも。
横黒線は、どうなんでしょう。そういえば、黙読するときは「よこぐろ」と読んでいたけれど、「両端の地名を組み合わせたものは原則的に音読みする法則」(長い!)によれば、「おうこく線」ですよね。
この法則の数少ない例外の一つは「米坂線」でしょうか。
「べいはん線」じゃ、ちょっとね……でも慣れの問題かな。
「大糸線」もそのたぐいでしょうか。「大町」と「糸魚川」?
「だいし線」じゃ、東武の支線みたいですね。
http://dagashi.org/
[2518] 江若鉄道 :西宮後
2004/09/07(火)22:01
こんばんは、お久し振りです。
最近は仕事が忙しくなってきました。
トップ江若鉄道ですか。浜大津駅周辺も現在とは全く違いますね。今はここに浜大津アーカスができてすっかり綺麗になっています。
膳所(これも知らない人には読みにくい地名ですね)〜浜大津間が京阪と国鉄が共用し3線区間になっていたというのも今では伝説です。ここでびわこ号と江若の流線型気動車がすれ違う場面もあったのかなあ・・と夢想してしまいます。
かつての江若鉄道の予定ルート近江今津〜上中を結ぶJRバスで「若江線」というのがあります。
読みは「じゃっこう線」だったと思いますが・・・よく覚えてないです(^ ^;)
[2519] 難読地名と路線名 :さっしい
2004/09/07(火)23:49 [メール]
▼西宮後さん▼
そういえばこの当時は、京津線も三条から石山方面への直通は、
一度浜大津のホームに入り、スイッチバックで出ていったのでした。
今はせっかく直行できるようになったのに、直通ってないんですよね?
確かに膳所(ぜぜ)も難読駅ですし、三線区間も珍しかったです。
関西は歴史が古いので、難読地名の宝庫でもありますね。
語源としては「膳所」と「御所」とは通じているのでしょうか?
しかし「間人」ともなると、もう何をか言わんやです。
もちろん「先斗町」なんて、まるで日本語じゃありませんね。
▼駄菓子さん▼
う〜ん、しっかり「触れて」しまいましたねぇ。
北海道の札沼線も、かなり後まで「さつぬま線」と読んでいました。
さすがに「ふだぬま」とは読んでいませんでしたけれど。
京王の前身の「玉南」は「たまなん」か「たまなみ」と思っていましたし、
水戸の水浜電車も「みずはま」だと思っていた時期がありました。
路線名で両端を合成したものは、基本的には音読みするのでしょうが、
例えば「目蒲線」なんてのは訓読みで、米坂線や大糸線の仲間ですね。
(だったら「阪神」だって「さかがみ」で良いはずなんですけど…)
ところが「東横線」となると、いわゆる重箱読みですね。
まぁ「とうきょう」と「よこはま」を素直に繋いだとも考えられますから、
東急は、全くの造語よりも既成の発音を大切にするのかもしれません。
ところで、早くに国鉄バス化されてしまった福島県の「白棚線」は、
「しらたな線」でしたっけ、「はくほう線」でしたっけ?
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2520] 白棚線 :駄菓子
2004/09/08(水)1:54
そうそう、「しらたな線」だとばかり思っていたら、「はくほう線」だったんですよ。
「はくほう」というと、間髪を入れずに「柏鵬」を思い浮かべる私でした。
さっしいさんや佐藤さんもそうでしょうが \(^o^)/
http://dagashi.org/
[2521] 知らなかった・・・ :TADA
2004/09/08(水)9:44
今の今まで「よこくろせん」「しらたなせん」だと思ってました。
みずはま電車ってなんか可愛いですね。水玉模様の車体だったりして。
さかがみタイガースだとちょっと強そう?
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[2522] 音読み、訓読み :佐藤文俊
2004/09/08(水)18:58
駄菓子さん
「はくほう」だと確かに「柏鵬時代」ですね。
そう言えば、御茶ノ水の「鉄道模型社」の社長は電車を「でんぐるま」って言ってましたよ。また、高校時代に荒川線で通学していた私の周りでは都電を「みやこでん」って言ってました。
http://www.geocities.jp/densyakozoh/index.htm
[2523] 地名の読みあれこれ :さっしい
2004/09/08(水)21:07 [メール]
おぉ、やはり白棚は「はくほう」でしたか?
でも皆さん仰るとおり、我々の世代では「大鵬・柏戸」ですよね。
その後の「北玉」「輪湖」時代には、相撲に夢中になっていました。
しかし「さかがみタイガース」だと、二郎さんが野球拳をしてしまいそうな…
「みやこでん」といえば、「都電」で検索すると「都電気〜」もヒットしますね。
更に「京王帝都電鉄」まで出てきてしまって、それはそれで楽しいのですけれど。
読み違いの思い込みって、意外とたくさんあるものですね。
都電の停留所名では、「町」が「まち」か「ちょう」かも難しいですよね。
大塚仲町は「なかまち」で門前仲町は「なかちょう」というのは有名ですが。
地下鉄銀座線では「稲荷町(ちょう)」「田原町(まち)」が隣同士ですね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2524] またまた :TADA
2004/09/08(水)22:31
いなりまち だと思っていました…
いかに普段は車内アナウンスなど聞いていないし、駅名表も見ていないということですね。
富山地鉄はいなりまち?いなりちょう?
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[2525] 読み方あれこれ :831列車
2004/09/08(水)23:15 [メール]
ちょこっと参加です。
読み方とは若干ニュアンスが違うのですが、駅名を憶えたり暗誦したりする際、二文字(読みも2音)の駅名が続くとリズムもよく調子よく覚えられる事がありますね。ふと思い出すのが都営新宿線も浜町・森下・菊川・住吉・・・で複合駅名が多く見られる最近ではちょっと珍しい4駅連続二音駅名の連続です。もっとも4駅以上もあるのでしょうが今何気なく思い出すのはこの新宿線と山陰本線の「久手・波根・田儀・小田」です。
こんなところで失礼します。
http://d51155.web.infoseek.co.jp/
[2526] 訂正です :831列車
2004/09/08(水)23:16 [メール]
「読みも2音」は山陰本線だけでした。新宿線は浜町を除いてみな4音ですね。
[2527] 町」の読みはマチマチ? :さっしい
2004/09/08(水)23:24 [メール]
▼TADAさん▼
言われてみるまでは…って意外と多いですよね。
「稲荷町」については、東京メトロは「いなりちょう」で、
富山地鉄と広電は「いなりまち」だそうです。
「ちょう」と「まち」は、地元でも混用している場合もあるようですね。
ただし、地方自治体としての「町」や「村」は、
「まち」か「ちょう」か、「むら」か「そん」か、
それぞれどちらかに決められているみたいですね。
都道府県によって統一されている場合が多いようですが、
中には混在している県もあったりして、面倒なところです。
神奈川・千葉・埼玉県では「町」は殆ど(全て?)「まち」のようですが、
山梨県では「ちょう」が多い中にも「河口湖町(まち)」とか、
静岡県でも大部分が「ちょう」の中に「森町(まち)」があったりします。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2528] ほぉ〜、なるほど :さっしい
2004/09/08(水)23:28 [メール]
▼831列車さん▼
へぇ〜、面白い所に目を付けられましたね。
大変興味があるのですが、ちょうど寝ようとしていたもので…
夢の中に出てくるかもしれません。
時刻表に駅名の読み仮名が付けられて便利になりましたが、
あれって、いつ頃からでしたっけね?
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2529] 「町」「港」・・・ :西宮後
2004/09/08(水)23:29
京津・石坂直通電車はないですね。
ホームの短い石坂線に4両編成の800系はさすがに無理なのでしょう。
「間人(たいざ)」は丹後地方、うちの母の実家の近くです。
近畿地方は確かに難読地名が多いです。
「飛鳥」だって普通はそう読みませんよね。
何でも朝鮮語由来で「平和な村」という意味らしいです。
「遠敷」という超難読地名も朝鮮語由来らしく「入植地」という意味だとか。
さて何と読むでしょう?
「まち」と「ちょう」といえばよく切符を買うとき窓口で「○○まちまで」と言うと駅員氏「・・・?ああ、○○ちょうね」となることがよくあります。
同じパターンで「港」が付く場合も「××こうまで」車掌氏「××みなとまでですね」となります。
http://nisimiya-web.hp.infoseek.co.jp/
[2530] 漢字は簡単でも読みは難しいですね :さっしい
2004/09/09(木)19:23 [メール]
▼西宮後さん▼
なるほど、京津線って、今は4連でしたっけね。
35年前はまだポール集電でしたし、およそ考えられませんでした。
「間人」は、地名なら「たいざ」、人名なら「はしひと」ということで、
どちらにしても、読めるわけないよ〜、という感じの言葉ですね。
遠敷は「おにゅう」でしょう? 小浜の方の地名でしたよね?
飛鳥の場合は、「とぶとりの」が「明日香」という地名の枕詞だった、
そのあたりから来ている当て字かと思われますが、きれいな言葉ですね。
「清水港」については、現在の港は「しみずこう」なのでしょうし、
かつて有名だった国鉄の路線も「しみずこうせん」だったと思いますが、
清水次郎長を語るなら「清水みなとの名物は〜♪」でないと感じが出ません。
千葉の京葉線の駅は、はっきりと「千葉みなと」ですね。
「上総湊」の場合は、字が違いますが。
ついでながら、かつて京都の街中で、
次は「しみずでら」へ行こう、と言っている女子大生らしきグループがいて、
それを聞いて唖然としたものでしたが、考えてみればこれも難しいですね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2531] 東京駅前の都電 :さっしい
2004/09/09(木)19:46 [メール]
ちょうど今、巨人が逆転された腹いせにチャンネルを変えたら、
浅丘ルリ子が出ているカラー映画に、東京駅前を行く都電の姿が…
どうやら7000形のようでしたが、28番か31番でしょうね。
東京MXテレビで、映画は「結婚の条件」だそうです。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2532] 今度は青ガエル :さっしい
2004/09/09(木)20:23 [メール]
同じ映画、今度は東横線5000系同士のすれ違い。
しかも急行表示。やっぱり走っている姿って良いものです。
この時代の映画の雰囲気も好きですなぁ。昭和38年だそうで。
東京の街が映し出されると、わくわくしてきます。
浅丘ルリ子も二谷英明も南田洋子も山田吾一も若いなぁ。
いやぁ映画って、本当に…
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2533] 確かに「読み」は難しいです :坂下国郎
2004/09/09(木)20:30
さっしい様、皆様、少々ご無沙汰しておりました。
私も鉄ピクの記事を「エワカ」鉄道と読んでおりました。
横浜港は、ミナトを指す場合は当然「よこはまこう」ですけど、かつて
旅客列車が走っていた駅は「よこはまみなと」ですよね。
中3だったか高1だったかの時に、東京駅から横浜港までSL牽引の列車が走る
というんで、東京駅で徹夜して並んで切符を買って乗車しました。
その時、私は行き先は「よこはまこう」だと思っていたんですが、駅のアナウンスも
車内放送も「よこはまみなと」でした。
都営新宿線でも「岩本町」「小川町」「神保町」 ちょう・まち・ちょう と続きますね。
神田の「美土代町」も読めませんよねぇ・・・。
子供の頃に28番に乗っていて、車掌さんが
「次は せんごくまち」(正しくはせんごくちょう)
千石町のつぎは千田町(せんだまち)という停留所なんですが、
「せんだちょう です。お降りの方は・・・・・」
と言っていたのを聞いて、あぁ、この車掌さんはどこか他所の車庫から移ってきたんだな
と思いました。
鉄道ネタではないのですが、私が卒業した小学校のトナリの学校で、
東京都江東区立川南小学校 という学校がありまして、
殆どの方が「こうとうく たちかわみなみ しょうがっこう」と読むんです。
正しくは、
「こうとうくりつ せんなん しょうがっこう」なんです。
つまんない話で申し訳ありません。
さっしさんは、
「巨人・大鵬・卵焼き」
でしたか?
[2534] 地理と国語は大好きですので :さっしい
2004/09/09(木)21:40 [メール]
▼坂下国郎さん▼
いやいや、つまらないどころか、こういう話は大好きなんですよ。
なるほど、東京都江東区立川南小学校ですか…
学校名では「都立国立高校」なんていうのもありますしね。
「国立音楽大学」だって、国が経営してるともいますよねぇ、普通。
「国立市立国立第一小学校」「立川市立立川第一中学校」…わけわからんです。
「よこはまみなと」は初めて知りました。へぇ、そうだったんですか。
この「横浜港」は貨物駅でしょうか。かつての客船連絡列車が到着した所かな?
港シリーズでは、たしか福井の「三国港」が「みなと」でしたっけ。
「和歌山港」「小松島港」などは「こう」でしたよね。
「千石町」は江東区で「千石」は文京区、というのも紛らわしいですよね。
「神保町−小川町−岩本町」も、なるほどなぁと感心しました。
関西から来た友人は「小川町」を「おがわちょう」と読んでいましたが、
地下鉄の駅でもできないと、東京人にも正確な読みはわかりにくいものです。
「まち」と「ちょう」の区別、自分は地名辞典を拠り所にしていますが、
地元でも呼び方に「ゆれ」がある、という例も少なくないようで、
角川の辞典では、そういう場合は「ちょう」に統一してあるようです。
逆に考えれば、「〜まち」の場合は、必ずその読み方というわけでしょうね。
で、僕は「巨人・栃光・玉子焼き」という、ちょっとひねくれたガキでした。
その後は、玉乃海、琴桜、旭国、若嶋津、隆の里、霧島…あたりでしょうか。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2535] 「ちょう」と「まち」 :駄菓子
2004/09/09(木)23:11
いやあ、しっかりと掲示板に火をつけてしまったようで光栄(?)です。
ところで、自治体の「町」では、西(南)日本のほうが「ちょう」、東(北)日本が「まち」と呼ぶ場合が多い気がします。
「村」の場合は、はっきりと南日本(九州南部・沖縄かな)で「そん」、それ以外の多くは「むら」と呼んでいますよね。
以前、沖縄でバス停を探していて、通りかかった女性に「ムラ役場はどこですか」と聞いても一瞬通じず、「ああ、ソン役場ですね」と言われた覚えがあります。
で、江戸の「町」の読みは、原則的に、一般の町民が住んでいるところ(町方)が「ちょう」、武士の住んでいるところが「まち」だったと記憶しています(番町は例外)。
http://dagashi.org/
[2536] 地名大好き :西宮後
2004/09/09(木)23:37
同じ港に両方の読みがあることもあります。
「名古屋港」の場合JRの貨物線は「なごやみなと」、地下鉄は「なごやこう」です。市電もかつては「なごやこう」でした。
他に敦賀港も「つるがみなと」ですし明治からある臨港線は「みなと」が多いのでしょうか?
東京と大阪で字面が同じで読みが違うのもありますよね。僕は親戚も関西系ばかりなんで東京生まれの友人とメールでやり取りすると「上本町」が紛らわしいです。
近鉄でその次の駅である「日本橋」も東京とは読みが変わりますね。些細なことですが。(^ ^;)
[2537] ところ変われば読みもいろいろ :さっしい
2004/09/10(金)21:22 [メール]
▼駄菓子さん▼
江戸の町の「ちょう」と「まち」の分類、参考になりました。
村を「そん」と読む地方は、仰る通り、西南日本に限られますね。
地方自治体(行政単位)としての「町」や「村」に関しては、
少し古くなりますが、昭和55年発行の日本地図帳(国際地学協会)
巻末の索引のコラムには、以下のように記されています。
それによると、法律では正式に呼称が規定されているようです。
●町を全部「ちょう」と呼ぶ府県
福井・岐阜・愛知・三重・滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・
鳥取・岡山・山口・徳島・香川・愛媛・高知・宮崎・鹿児島・沖縄
●町を全部「まち」と呼ぶ都県
青森・秋田・山形・福島・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・
神奈川・新潟・富山・石川・長野
●「ちょう」「まち」の混在している道県
北海道・岩手・宮城・山梨・静岡・島根・広島・福岡・佐賀・長崎・
熊本・大分
▲村を全部「そん」と呼ぶ県
鳥取・岡山・山口・徳島・宮崎・沖縄
▲村を全部「むら」と呼ぶ県
(多いので略、上と下に記した以外の県)
▲「そん」「むら」の混在している都県
東京・広島・高知・佐賀・長崎・熊本・大分・鹿児島
ちょっと古いデータなので、今では合併したり、市に昇格したりと、
「町」自体が消滅している場合もあり、多少変わっているかもしれません。
「村」なども、このところ激減しているのではないでしょうか。
東京都の場合は「新島本村」がなくなってしまったようなので、
今ではもう「そん」はなく、すべて「むら」になっているかと思います。
▼西宮後さん▼
貨物線の「名古屋港」は「みなと」でしたか。
それって、跡地を観覧車から見下ろせる、あの場所のことですよね?
10月6日に開業予定の「名古屋臨海高速鉄道あおなみ線」には、
「港」関係の駅は新設されるのでしょうか?
「敦賀港」も「みなと」なんですね。
数年前、貨物線をSL列車が走るというので指定券をJTBに頼んだのですが、
さすがに千載一遇のチャンスということだったのか、取れませんでした。
当日は敦賀駅を素通りして福井へ行きましたが、悔しい思いをしました。
(当方、SL自体に興味はなく、単に貨物線に乗りたかったもので)
「日本橋」は、大阪では「にっぽんばし」ですよね。
「上町」も、玉電では「かみまち」なので、そう思い込んでいたら、
大阪のは「うえまち」だったんですね。難しいものです。
でも「京橋」は、東京・大阪ともに「きょうばし」ですね。
まぁ、他に読みようもありませんし…(みやこばし、とか?)
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[2539] 「街頭署名の案内」は削除しました :管理人
2004/09/10(金)22:30 [メール]
▼救う会いばらきさん▼
前回表明したように、貴会の趣旨には賛同しますが、
当掲示板の性質上、挨拶もなしのマルチポストは歓迎しかねます。
従って、今回の投稿は削除させていただきましたので、あしからず。
ここは、お互いに語り合ってもらうための「談話室」ですので。
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[2541] 連続駅名 :さっしい
2004/09/10(金)23:40 [メール]
▼831列車さん▼
ごめんなさい、前回レスを書きたかったのに眠くて、
その後も、そのままになってしまっていましたね。
山陰本線の4駅連続は知りませんでした。「85へぇ〜」ぐらいです。
「清澄白河」とか「府中競馬正門前」なんて1駅言っている間に、
「久手・波根・田儀・小田」と、4駅も言えてしまうんですね。
自分は、たった2駅ですが、飯田線の「羽場・沢」が耳に残っています。
駅名を覚える際、詩の暗誦なども同じでしょうが、韻を踏むというのか、
同じシリーズ(?)の駅が続くと、気持良く唱えることができましたね。
「早川・根府川」「学芸大学・都立大学」「洋光台・港南台・本郷台」など。
都電では、古川沿いの34番が殆ど「〜橋」シリーズだったのは有名ですね。
リズムで覚える駅名は、以前にも話題になったことがありましたが、
覚えた後に新しい駅ができると、リズムが狂わされてもう滅茶苦茶。
「田端・日暮里・鶯谷」「岩淵・蒲原・由比・興津」…嗚呼。
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[2542] 「清澄白河」で思ったのですが… :さっしい
2004/09/11(土)0:03 [メール]
新駅開業の際、地元からいろいろ要望があって、その双方を立てるためか、
「那須塩原」「馬喰横山」等、二つの地名を織り込む場合が多く見られますが、
横浜地下鉄の「伊勢佐木長者町」あたりから顕著になってきたように思えます。
単に羅列するだけで長くなり、語呂も悪く、個人的には好きではありませんが、
「大田」区や「国立」のような、安直な合成地名よりはマシなのでしょうか。
ところで合成駅名といえば、大阪地下鉄の谷町線がすごいですね。
太子橋今市、千林大宮、関目高殿、野江内代…と、4駅連続のオンパレード。
しかも南方面でも、四天王寺前夕陽ヶ丘とか、駒川中野とか、喜連瓜破とか…
いやはや、浪花のド根性とでも言うのでしょうか、圧倒されそうです。
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[2543] 稲沢も合成地名 :西宮後
2004/09/12(日)19:26
こんばんは。
「村」を「むら」と呼ぶか「そん」と呼ぶかということにも各都道府県によって決まりがあったのですね。
シートレインランドの観覧車ですね。名古屋港駅はかなり縮小されていますが今でもレール輸送列車が火木土に一往復してます。
あおなみ線にはもう臨港線らしさはないです。
しかし愛称は「あおなみ線」でも法規上では「にしなごやみなと線」のままなんですよね♪
2つの地名を合わせた地名というと鉄道の町「稲沢市」もそうです。名前の由来は稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となったとか。
[2544] へぇ、知りませんでした :さっしい
2004/09/12(日)22:19 [メール]
▼西宮後さん▼
ほぉ、稲沢も合成地名だったんですか。
いかにも普通っぽい名前ですけれどね。
名古屋港貨物駅も、まだあったんですね。
埠頭の先端で直角に曲がる手前だったのかな。
名古屋港はパソ通の非鉄オフ会で訪れ、遊覧船「金鯱号」にも乗りましたよ。
そういえば以前、名古屋からナゴヤ球場前までキハ82が運転されましたね。
野球に関係なくわざわざ乗りましたが、あれもその貨物線の一部ですよね?
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[2545] ん?待てよ… :さっしい
2004/09/12(日)22:57 [メール]
ナゴヤ球場への列車は、キハ82ではなく181だったでしょうか。
まったく、国鉄となると殆どこだわりが無いものですので。
尾頭橋駅ができる前ですね、ひと夏だけだったかもしれません。
ひところ、貨物線を走る旅客列車に乗るのに夢中だったもので、
これは短区間ながら、良い体験になりました。
貨物線(非旅客営業線)といえば、
自分が乗った中での圧巻は、武蔵野線の鶴見〜府中本町でしょうか。
といっても、殆どの区間がトンネルの中ですけれどね。
池袋〜上中里付近〜三河島も、なかなかレアなルートでした。
思えば、現在の横須賀線や埼京線も、池袋〜王子〜赤羽も、
かつては貨物専用、垂涎の未乗区間だったものでした。
時代は変わりますね。来月からは湘南新宿ラインも倍増されるとか。
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[2546] :TADA
2004/09/13(月)0:04
清澄白河というとなんとなく白河夜舟を思い浮かべてしまいます。
ナゴヤ球場への旅客輸送は数年間やってました、使っていたのはキハ82系です。
私も一度乗りたいと思っていながら機会がないままでした。
ちょっと違うケースですが境港線では、夏のシーズン中隠岐行きのフェリーに接続する列車が旅客駅のちょっと先の臨港線まで入ってました。
時刻表にも記載がなく、現地でそれを知ったのですが乗りそびれてしまったのは残念でした。
もうじき敦賀港線で蒸機の運転がありますね、非営業区間に乗るチャンスです。
京都市の500って実に堂々としていますね。
これの次がすぐ600でしたっけ?いきなり大変化してますね。
600の登場というのは当時かなりのエポックだったのではないでしょうか。
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[2547] 京都市電など :さっしい
2004/09/13(月)21:02 [メール]
▼TADAさん▼
ナゴヤ球場のフォローありがとうございました。何年か続いたのですね。
「白河夜船」の白河というと、京都の祇園あたりでしたっけ。
境港駅へは、多分改修されてから行ったのだと思いますが、
あっさりした駅でした。以前は海まで線路が続いていたわけでしょうか。
敦賀港線もまた運転ですか。でも今はちょっと、金と気力が無くて…。
京都市500形は重厚な雰囲気ですね。600以降は可愛らしいというのか、
似たような感じのスタイルですが、殆どが流線型でしたね。
なかなか洒落た形でしたが、正面2枚窓は最後まで無かったのでしたっけ。
500形は、大正13・14年・昭和3年と、3回に分けて製造されたようです。
600形も戦前派なのですね。500形改造の514形も、好きなスタイルでした。
京都市電は、TADAさんのサイトが充実していますね。
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[2548] 路面2枚窓 :さっしい
2004/09/13(月)22:05 [メール]
今更ながら、ハッと気付いたのですが、
路面電車で正面2枚窓の車輛って、かなり少数派だったのですね。
都電の7000を大量に見慣れていたせいか、今まで余り考えてもみませんでした。
やはり中央に縦桟があると、視界が悪くなって運転しにくいのでしょうか。
実際に2枚窓だった車輛は、大部分が昭和30年前後の生まれのようですから、
一時の流行のスタイルを追っただけなのかもしれませんし、
都電7001〜7019のように、3枚窓に改造された例もいくつか見られますね。
路面電車で2枚窓というと、都電5500・6500・7000、玉電200・150、
都電7000モドキの土佐、鹿児島(3枚窓に改造されちゃいましたね)に、
札幌、仙台、日光(→岡山)、横浜、名古屋、大阪あたりが浮かびますが、
他にもありましたら教えてください。
こう見てくると、都電7000形と日光・横浜・土佐以外は、
ごく一部の形式という感じで、何やら「異端車」という感すらあります。
個人的には、スマートで好きだったのですけれど。
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[2549] 2枚窓 :坂下国郎
2004/09/14(火)9:40
さっしいさん
「記憶」で申し訳ありません。
川崎市電で2枚窓が2タイプ、(600形・700形だったかと・・・)ありました。
形式はあてになりませんが、2枚窓は確かです。
川崎市電はなんだかとても地味でしたよね。
[2550] ありましたねぇ :さっしい
2004/09/14(火)21:16 [メール]
▼坂下国郎さん▼
あぁ、そうでしたね。これはうっかりしていました。ありがとうございます。
川崎市電というのは、自分にとっては殆ど存在感がありませんでした。
たしか、大阪市電が全廃になったとき、川崎市電も…という記事を読んで、
へぇ、川崎にも市電があったんだと、初めて知ったような感じでした。
比較的近かったのですから訪ねておけば良かったと、今になって悔やまれます。
東京・川崎・横浜は、路面2枚窓がお気に入りの地域だったのでしょうかねぇ。
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[2551] 臨港線の旅客列車 :西宮後
2004/09/15(水)20:21
こんばんは。
>野球に関係なくわざわざ乗りましたが、あれもその貨物線の一部ですよね?
はい、中央線から分かれてほんの数100mしかありませんが名古屋港線上の駅でした。
このナゴヤ球場前駅は今では新幹線の高架下に改札口の跡が残っているだけです。
敦賀港線でまた蒸機運転ですか。近年花火臨など敦賀港線へ旅客列車が入ることが多くなりましたね。
[2552] 2枚窓の :831列車
2004/09/15(水)21:30 [メール]
都電7000型の顔付きは都知事の美濃部さんによく似ている、と当時のF誌で紹介されて「なるほど」と思ったものでした。やや斜めうえからのアングルでとらえられたその写真はひとつ目ながら口元などなんとなくあの穏やかな美濃部さんを彷佛とさせておりました。
ところで「韻をふんだ」調子の良い連続駅名、考えてみたら天下の東海道にけっこうありました。そらんじてみたら「おぉ!」てな感じです。戸塚を過ぎると「おおふな・ふじさわ・つじどう・ちがさき・ひらつか・おおいそ・にのみや」と7駅4文字連続です。そした2駅とばすとまた「おだわら・はやかわ・ねぶかわ・まなづる・ゆがわら・・」確かにこのあたりは覚えやすく今でも忘れないのでこういった文字の感じも要因にあったのでしょうね。この間に新駅ができたらたちまち言えなくなってしまうかもしれませんが。
http://d51155.web.infoseek.co.jp/
[2553] 名古屋も盛り上がりそうですね :さっしい
2004/09/15(水)21:35 [メール]
▼西宮後さん▼
情報ありがとうございます。
改札口も板張りのホームも臨時、という印象がありました。
殆どの客は球場へのドラゴンズファンで、こちらは異邦人。
降りてからも人込みを避け、そそくさと名鉄に乗り換えたように思います。
名古屋といえば、この秋は、西名古屋港線の開業もさることながら、
地下鉄名城線が、ついに環状になるんでしたよね。
八事の親戚の家へは金山からも行けるようになるので、便利になりそうです。
都営大江戸線と違って、山手線、大阪環状線に続く、完全な環状線ですしね。
ガイドウェイバス志段見線も含め、いずれ乗りに行きたいと思っています。
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[2555] リズムが狂うと辛いですね(修正再掲) :さっしい
2004/09/17(金)2:16 [メール]
▼831列車さん▼
なるほど。
ただ個人的には、特に政治家のニヤケ顔や猫なで声は嫌いで、
硬骨漢の(わがままとも言う)現知事を支持しているのですが、
7000形は近代的でスマートで女性的というイメージだったのでしょうね。
(そういえば、中学生当時の知事選では秦野章氏を応援していました。)
駅名暗誦の話題は、ネタが尽きませんね。
皆さんそれぞれ、いろいろな線を覚えたのでしょうね。
東京近郊の国鉄私鉄や地下鉄に関しては、今でも重宝しています。
しかし、小学生の時だったか、稚内から枕崎まで覚えるぞと意気込んで、
なんと旭川で早くも停車してしまい、40年経った今でもそのままです。
意志薄弱というのでしょうね。
東海道本線の「4音節」の駅名連続の件も、なるほどと思わされました。
その区間は特にリズムが心地良く、楽に覚えられたのかもしれませんね。
ただし、最初自分は時刻表の本文ページを見て覚えたので、
「東京・新橋・品川・川崎・横浜・大船…」だったのです。
それが、戸籍上の東海道本線は「東京・有楽町・新橋・浜松町・田町…」
だと気付いてからは、一旦覚えたリズムを修正するのが一苦労でした。
新駅では、新蒲原、三ヶ根、東刈谷、瀬田あたりは、何とか組み込めたのですが、
片浜だの逢妻だの三河安城だの東静岡だのは、修正する気にもなれません。
六合や豊田町や愛野なんて、もう知りませ〜ん!
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[2556] 路面2枚窓・追加 :さっしい
2004/09/17(金)22:58 [メール]
呉市電の800形というのが、たった2両ですが、2枚窓でした。
昭和26年製なのに都電7000式の非対称2扉ですから、進んでいましたね。
呉市交通局では「乗心地満点のPCC形」と宣伝をしていたそうです。
(鉄道ピクトリアルNo.135「私鉄車両めぐり第3分冊」より)
この掲示板は、鉄道以外の取り留めの無い話題も多いのですが、
何かの参考にしてくれている方もいらっしゃるでしょうから、
一応、ご報告まで。
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[2557] 2枚窓 :TADA
2004/09/18(土)1:21
函館の600もいますね。
2枚窓の3扉車という異色の存在では?
なんで500より先に廃車になったかも気になるところです。
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[2558] ちょっと出かけます(非鉄) :さっしい
2004/09/18(土)6:08 [メール]
▼TADAさん▼
ありがとうございます。函館にも、都電7000以前にいましたか。
路面電車は、なかなか全国的・歴史的には把握しきれません。
後で調べてみますね。出かける前の走り書きですので。
土曜の夜のトップ画像の更新は自動的にできると思うのですが、
変わらなかったら「ごめんなさい」で済ませておきます。
今回は、出先から確認するすべも無いもので。
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[2559] 毎度の雑談ですが。 :志村TC
2004/09/18(土)22:39
さっしい様、こんばんは。
と言っても3連休でお出かけで、お留守なんでしょうか?
本日、近所の大型スーパーに買い物に行った際、ちょこっとおもちゃ売り場を覗きました。
トミーのプラレールが結構、充実していたので見回したところ、赤と白の鮮やかなツートーンカラーが目に飛び込んできました。
なんと、2枚窓ならぬ5枚窓「名鉄モ510形・2輌編成」ではありませんか!一瞬目を疑うのと手に取るのは同時でした。2分後にはレジに並んでいました(税込1396円)。
プラレールって大体において最新型(子供の目線でカッコイイ車体ですか)をラインナップするのが流儀だと思っていましたが時々、意表をつくものを出してくるんですよね。
この「モ510」もプラレール=おもちゃという観点から見たら出色の出来映えです。車体番号も実車忠実に「513」と「514」の連番。方向幕も「黒野⇔谷汲」(プラレールで車体の文字を表記すること自体珍しいのでは)とあり、連結用エアホースとか車体の鋲打ちとか、かなり文句のないデティールを再現してます。
これで後、排障器と台車とパンタグラフを自作すれば、飾り物として楽しいアイテムとなりそうです。
でも、これ誰がターゲットなんでしょう。対象年齢3歳以上ってありますけど、買うのは鉄道好きの親でしょうね、多分。来年で廃止になるという名鉄、これを受けての発売だったのでしょうか。箱の説明には一切そのことは触れてません。
プラレールも最近では「タカラのポケトレイン(車体はデフォルメされてますが各個所のデティールやレール、駅など補足商品もかなりリアル)」というライバルが登場してからは以前とは考えられらない程、原型に力を入れてますね(良いことです)。
それと97年に限定発売された「都電6000形」、これ買いそびれてしまったんですが、ずっと昔に出た8000モドキとは比較にならぬ程、出来は良いですね。2輌編成という無謀さは目をつむるとして、ちょっと手を入れればこれもいい飾りになりそうです。販売終了後も池袋東武のおもちゃ売り場には展示してあって、売ってくれと頼んだのですが、キッパリ断られました。
という具合でして今宵も雑談におつきあいいただき、大変失礼しました。
[2560] 「まち」と「ちょう」 :6181
2004/09/19(日)13:17
少々タイミングを逸してしまいましたが,上記の話,仙台の例です。
最近では変わってしまっているようですが,元々「まち」は「町」,「ちょう」は「丁」と書き分けていたようです。「宮町」「支倉丁」など。
また,仙台市交通局は合成した停留所名が好きらしく,長いのが沢山ありました。
私は市電時代は直接には知らないのですが,過去「片平丁検察庁家庭裁判所前」などというのがあったようです。
都電の停留所では,「みとしろちょう」は十年ほど前クルマで通ったとき,信号機の表示でやっと覚えました。「清正公前」もつい最近です。
話題かわります。坂下さんの乗られた列車,高島線D51の最終列車かと思います。私はその日東京駅(15番線だったと思います)におりました。小学生だったのですが,人出で汽車は殆ど見えず,確かその日見た「あさかぜ」のナハネフ21の方が記憶に残っています。
夏だったと思っていたのですが,昭和45年10月10日だったようですね。沿線もすごい喧騒だったことでしょう。
[2561] 冠婚葬祭続きです :さっしい
2004/09/21(火)7:50 [メール]
実は、姪っ子(例の和歌山に嫁いだ姉の娘)の結婚式に行っていました。
生まれた当時は一緒に暮らし、大学生の叔父として、おしめを替えたり、
お風呂に入れて「あと20年は一緒に入ろうね」と、ベタ可愛がりしていた
姪でしたので、今回は、娘を嫁にやる父親の心境を味わいました。
今風のイケメン新郎に「一度だけ君を殴らせろ」と、
「叔父の一番長い日」を体験してきた連休でした。
鉄ちゃんっぽい部分と言えば、南海電鉄貴志川線に短区間乗った程度。
あとは、タクシーの中と和歌山城の天守閣から、
南海和歌山軌道線の保存車(321)を見たくらいです。
ところが帰ってきてみると、今度は別の親戚の叔父さんの訃報が入って、
人生、諸行無常を感じさせられます。
今日はネクタイを黒に変えて出かけることになりましたが、
何やら猛暑になるそうで…
▼志村TCさん▼
へぇ〜、プラレールに名鉄モ510形ですか。なんともマニアックですねぇ。
単なる子供のおもちゃという時代ではないのでしょうね。
こだわりを持つ世代が製作スタッフなのでしょうか。
「2分後にはレジに並んでいました」というのは良くわかる気がします。
しかし、プラレールという製品は、自分自身が子供の頃、
夢中になって遊んでいましたから、その歴史は40年以上になるのでしょうか。
気に入ったレイアウトができたときは書き写しておいて、次回もまた同じ
線路配置にしてみたりと、考えてみれば自分もかなり「こだわり派」でしたね。
都電6000もあったのですか? しかも2両編成ですか。
実際に存在したら、玉電80の「連結二人乗り」みたいな雰囲気だったのかな。
▼6181さん▼
興味深いお話、ありがとうございます。
大正時代の東京市電が書き込まれた地図に、電停名の平仮名表記のものがあり、
やはり「おがは町」「みとしろ丁」「おほて町」などと書き分けられています。
これはなかなか便利な図で、地名の本来の読みが推測できるわけですが、
「まさご町」などに関しては、少々首を傾げたくなります。
(ついでながら「小川町」の表記は「をがは町」が正しいと思うのですが…)
しかし仙台市電の「片平丁検察庁家庭裁判所前」は、また凄まじいものですね。
路面電車では、札幌の「西線九条旭山公園通」が一番長いのかと思っていました。
東京神田の「美土代町」は、今でも地名として残っているので嬉しいですが、
殆どの町名は「東上野」だの「西浅草」だの「〜○丁目」に変えられてしまい、
林順信氏ならずとも、住居表示改正(改悪?)に文句を付けたくなります。
昨今の「江戸東京ブーム」など、そんな所にも原因があるのかもしれません。
「清正公前」も、知らなければ、というか、むしろ歴史を知っていればこそ、
「きよまさこうまえ」と読んでしまいたくなるものですよね。
地下鉄の駅名も工事中の仮称は「清正公前」だったので期待していたのですが、
結局は「白金高輪」という、つまらない合成駅名に落ち着いてしまいましたね。
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[2562] 昭和44年9月 :さっしい
2004/09/21(火)22:57 [メール]
忘れていましたが、トップ画像は土曜の夜にちゃんと変わっていたようですね。
昭和44年夏休みの関西シリーズを一旦打ち切って、9月の東京に戻ってきました。
実はこの年の秋以降は、都電、特に13番関連の写真ぐらいしか撮っていないのです。
従って、いずれまた季節を戻して、春や夏のものも再び使用する予定ですので、
現在の実際の季節感とのずれが生じてくるかとは思いますが、ご了承下さい。
ちなみに、このとき浅草駅にあった東武「新りょうもう号」の広告看板はこれです。
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[2563] 路面2枚窓・補足 :さっしい
2004/09/21(火)23:29 [メール]
▼TADAさん▼
先日は中途半端で失礼しました。
函館市電の600形は、武田光司さんのサイトで確認しました。
変則2枚窓だったのですね。同じく700形も。
600形については、側面3扉も含め、特異な形態だったように感じられました。
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[2564] 都電の本 :さっしい
2004/09/22(水)19:22 [メール]
本日「懐かしの都電 41路線を歩く」という本を購入しました。
著者:石堂秀夫、発行:有楽出版社、発売:実業之日本社、本体1600円。
月刊誌「歴史と旅」に連載されたものに、適宜筆を加えたということです。
資料性よりも一般的な記述に重点が置かれているらしく、
写真の撮影年月日データなども記載されてはいませんが、
在りし日の41系統と現在の街の写真が、適宜コンパクトにまとめられ、
往時の写真のアングルも珍しいものが多く、なかなか感じの良い本です。
(26系統だけは昔の写真が無く、2系統は廃止時の装飾電車ですが。)
自分としては、各系統が「〜番」と表現されている点が気に入りました。
また、渋谷駅南方の三線区間を俯瞰した写真は、初めて見たので感動です。
都電ファンとしては1冊手元に置いておきたくなる本ですが、
21世紀になってもまだ、40年も前の都電をテーマにした本が出るあたり、
もしかしたら、今はなかなか良い時代なのかもしれませんね。
我がサイトも負けずに、充実させなくては…。
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[2566] 辛口書評? :さっしい
2004/09/23(木)12:04 [メール]
このところ、独り言のような日記のような様相を呈してきましたが、
飛び石の間を埋めて9連休にして、出かけている人が多いせいなのか、
はたまた、単に、ここを訪れてくださる方が少ないだけなのでしょうか。
ご紹介した本ですが、昨日の時点では一瞥しただけの感想を述べましたが、
ぱらぱらと拾い読みしてみると(こういう本は頭から順に読まないもので)
記述内容には、正確さを欠く点が何箇所か見受けられました。
例えば13番の記述では、当然ながら新宿駅前〜水天宮前を取り上げ、
万世橋以遠、水天宮前までの沿線について述べられているのですが、
(ご承知の通り、13番が水天宮前まで延長されたのは昭和33年のことです)
新宿近辺に関しては、明らかに昭和23年以前のルートが語られています。
「昭和三十年代に作家や…13番の電車が警笛も鳴らさず…」というように、
現実とは矛盾する記述も、さらっと書かれているので注意が必要です。
また、須田町を「12番を含む三本の電車が東西に横断」と表現していますが、
どう数えればそうなるのか、ここも理解に苦しむ箇所でした。
東西方向は12番と25番が横断、10番と29番が折返しでしたから、
「二本」もしくは「四本」という記述ならば、納得がいくのですが…。
39番に関しても、事実に反する内容が、したり顔で書かれていますし、
20番については何をか言わんや「道灌山の電停からは(山手線)西日暮里駅に
歩いても行ける距離」などと、絶対に不可能なことが堂々と記述されています。
著者は小説家らしいので、内容が情に流される点は問題ないのですけれど、
後世に残る書物として、史実的には誤解を招く書き方が多いと思った次第です。
著者自身「都電マニア」と称していますし、公式の有料出版物なのですから、
こうして批評の対象として取り上げてもかまわないかと思いました。
決して「粗探し」という意味でここに書いたのではありません。
都電を懐かしみ、気軽に楽しんで読む分には、良い本だと思います。
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[2567] 懐かしい写真大好き! :石川の鉄道
2004/09/23(木)16:39
いつも楽しませていただいております。
特に中小私鉄の懐かしい写真最高です。
リンクでは大変にお世話になっておりますが、この度URLが変更になりました。
リンク先の変更よろしくお願い申し上げます。
http://c56123.hp.infoseek.co.jp/index.html
[2568] そのうちもう少し追加しますね :さっしい
2004/09/23(木)18:44 [メール]
▼石川の鉄道さん▼
お元気ですか。ご丁寧にご連絡ありがとうございます。
このところ北陸方面はおろか、なかなか個人的な旅行ができなくて、
私鉄も路面電車も訪ねられず、寂しい思いをしております。
その分、都電の研究(?)ばかりしていますけれど…。
リンクのURLは変更しておきました。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2569] 懐かしの都電 41路線を歩く :6181
2004/09/24(金)10:19
上記の本,私も購入しました。
やはり拾い読みでですが,史実と経験談とのバランスがよくて,都内めぐり的な本としては読みどころがあると思いました。また序文で路面電車復興について触れられている点にも,著者の見識を感じます。その分,単純ミスらしい部分や少々強引と思われる点があるのが,私も残念です。
また,題材が多少文化面に偏るかとも思いますが,それは本の性格として受け入れるべきですよね。
私が気になったのは,16系統が南北に走るという点,24番写真キャプションの「押上車庫」,27系統町屋一丁目近辺が専用軌道ではなく都会的だった,同じく27系統線路周囲が32系統より土地に余裕があったという記述などです。(曲線上の荒川7丁目電停など,苦肉の策のように見えるのですが。)
また22系統横山町,一般には「紙問屋街」ではなく「繊維問屋街」ではないでしょうか。
道灌山下と西日暮里駅については,交差点から駅まで歩けなくはないので,あれっと思いつつも読み過ごしてしまいました。山手線西日暮里駅が開業したのは20番廃止の約1ヵ月後でしたよね。西日暮里こそさびれたところでした。
[2571] 事実を伝えるということ :さっしい
2004/09/24(金)19:51 [メール]
▼6181さん▼
批評の意図をご理解していただけたようで、とても嬉しく思っています。
世には、正当な評論と匿名による罵倒とを混同する人もいるようですので…。
また「そんな細かいことはどうでもいいじゃない」と言う人もいるでしょうが、
歴史的事実を正確に伝えるべきか否か、それはそれで個人の自由だと思います。
件の本、第一印象はなかなか良かったのですが、昨日今日と全文を読み進むうちに、
記述内容の誤りが次々と発見され、近年珍しい程の杜撰な内容だと感じてきました。
自分が書いて世に出していたとしたら、恥ずかしくて消えたくなるかもしれません。
校正のミスや、系統番号の単純な誤記だけなら、まだ良いのです。
方角の誤認も、廃止日の誤記も基準の不統一も、まぁ目をつぶりましょう。
大塚車庫も新常盤橋も完成年代を誤っているようですが、それも百歩譲っておきます。
「竪川」にわざわざ「かたがわ」と仮名を振るのも、ご愛嬌で済むかもしれません。
しかし、26番が瑞江大橋を通っていたと、堂々と書かれているのには唖然としました。
マニア向けのものなら発行部数も少ないでしょうし、読者が誤りに気付くと思います。
一般向けの軽い読み物であるだけに、誤った事実が後世に残される危惧を抱くのです。
一応、都電を題材にしているのですし、「歴史と旅」に連載したくらいなのですから、
都電の歴史に関しては、もう少し丁寧な気配りをしてもらいたかったと思います。
著者の誤った思い込みを断定的に書いているあたりが、一番引っかかるのでしょうね。
オッサンが酒を飲みながら昔の思い出でも語るのなら、思い違いも構いません。
しかし出版に限らず、マスコミを通じて何かを公にするということは、
多かれ少なかれ、社会的な責任を伴うものだと考えています。
上の世代は、自分が体験したことを次の世代に伝える義務があるのでしょうが、
それが事実なのか憶測なのかを、きちんと区別するのが親切というものでしょう。
今回取り上げた部分などは、少し調べてみればすぐに解決することでもありますし…。
我々がネット上に情報を書き込む際などにも、ある程度は気をつけたいものですね。
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[2572] 都電アルバム、久々の更新です :さっしい
2004/09/25(土)10:32 [メール]
さてさて、いよいよ、来るべき時が来ました。
「都電」最後の日、昭和47年11月11日、その前篇をお送りします。
この日の写真は、ネガの調子が大変悪く、発表をためらっていたのですが、
最後の日の分がないと纏まりがつかないもので、敢えて公開に踏み切りました。
今回は前篇。そして次回の後篇で「都電アルバム」は一応終わりとなる予定です。
最終日も朝の訪問だけで、午後や夜の部や、装飾電車なども撮ってはいません。
もちろん、この後もまだ「都電」27番・32番は残ったわけですが、
それはあくまで「王電」で、やはり「都電」はこの日が最後だったと言えるでしょう。
それにしては最後の訪問は「城東」だったじゃないかと、突っ込みが入りそうですが…
実際、当時はそういう意識(王電・城東)は、あまり無かったのですけれどね。
「路面電車」としての「都電」は無くなってしまった、という感が強かったのです。
それにしては最後の訪問が専用軌道…という突っ込みも?
13番も忘れているわけではありませんが、もう暫くお待ちください。
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[2573] すばらしいサイトですね(^_^)v :WWW
2004/09/25(土)12:05
ある調べ物(仕事で上野界隈の写真をお預ずかりし、その撮影年代を
特定する必要があって、いろいろなサイトを調べていました)がきっ
かけで、このサイトを探し当て、以来、ずっと、ひそかな楽しみにし
ています。
ちなみに言えば、その写真とほとんど同じ構図で撮影された写真が掲
載されており、背後の建物が決め手となって、私の調べ物は、無事に
完了しました。「記録性」というのは、まさに、こういうことなのだ
と思います。
会社のメールが特にこういうふうに、密やかに楽しんでいる人間もお
りますので、末永く続けてくださいね(^_^)v
久々に、新しいページが追加されたので、嬉しくなっての書き込みで
した。
[2574] ありがとうございます :さっしい
2004/09/25(土)16:35 [メール]
▼WWWさん▼
はじめまして。今までも御覧になっていて下さったんですね。
こうしてご感想を書き込んでいただけると、とても有難いものです。
拙い写真も、知らない所でお役に立っていたと伺い、嬉しくなりました。
本日公開したページの写真は、また特に画質が悪いのですが、
せめて当時の雰囲気だけでも味わっていただくことにしましょう。
よろしければ、これからも時々書き込んでくださいね。
でも、くれぐれも、お仕事に支障の無きように…
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[2575] 都電の番組 :さっしい
2004/09/25(土)19:55 [メール]
テレビでは今ちょうど都電をやっていますね。
なるほど、路面電車の旅ですか。
必ず温泉が付くのも不思議ですが…都電にまでも?
電車と温泉と美味しいもの…実際に味わえたら幸せだろうなぁ。
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[2576] 別れの朝 :佐藤文俊
2004/09/26(日)17:05
さっしいさん、
「あの日」の写真、拝見しました。さっしいさんが「余り良い写真ではない」と念を押されていますが、私には逆に写真からさっしいさんの気持ちが伝わって来るような気がします。
「記録魔」の私ですが、「あの日」には写真を一枚も撮っていません。「撮る気がしなかった」んです。それくらい悲しく寂しく辛い日でした。
http://www.geocities.jp/densyakozoh/index.htm
[2577] 言葉にならない日 :さっしい
2004/09/26(日)18:47 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
ご感想ありがとうございます。
写真を撮る気がしない…。その気持ちは良くわかる気がしますよ。
特に佐藤さんは、都電への思い入れが人一倍だったでしょうから。
悲しく寂しく辛い日…。御覧になっている多くの方も、同じ思いでしょう。
この日、学校での授業はなく、新宿の厚生年金ホールでの映画会でした。
高2だったので、たしか修学旅行の事前学習だったかと思います。
9時20分に現地集合だったので、普段よりは朝の時間に余裕がありました。
もっとも、午後もそのまま柳島なり荒川なりへ行っても良かったのですが、
映画会が終わって、そのまま新宿から京王線で家へ帰ってしまいました。
この当時、都電に寄せる自分の情熱は、かなり薄れてしまっていたようです。
最後を見届けるに忍びないという気持も、自分の中にあったとは思います。
以前も書きましたが、花より団子? いや、電車より女の子?
この翌日に、クラスの仲良しグループ(?)のハイキングを控えていて、
それには、当時片想いだった子も参加することになっていたので、
翌日の天気やら、自分の運命やら、そんなことばかりが気になっていました。
今にして思えば、都電の最後と引換にするほどのことではなかったのですが。
(結局その翌日、純情な僕は、彼女とは一言も話ができませんでしたし。)
自分の写真は、構図はともかく、ネガの画質が極端に悪いんですよ。
元々が安物のカメラだったのに加え、露出設定もいい加減、
更に保存状態がひどかったもので…。まぁ今更どうにもなりませんが。
なんとか、一応「見られる」までには補正してみていますけれど。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2578] 1972年11月11日 :TADA
2004/09/26(日)19:06
やはり特別な日ですよね、この日は。
さっしいさんがページUpをためらう気持ち、佐藤さんの写真を撮る気がしなかった、という気持ちよく分かります。
私も終電まで見届ける気がおきず暗くなると帰ってきてしまいました。(まだ中学生ということもあって深夜までいられなかった、ということもありますが。)
この日で終わりなのにいつもと同じように淡々と通勤客を運ぶ電車、線路を歩く人たち、いつもと同じ朝の風景ゆえに心を締め付けられるような思いがします。
自分にとっては一番身近な27番が生き残っていたので、これで終わりという気持ちはいささか薄かったかもしれませんが、京成上野の地下駅を上がると目の前をガーっと走っていった電車が明日からもういない、というのは信じられない気持ちでした。
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[2579] 愛すればこそ :さっしい
2004/09/26(日)19:29 [メール]
▼TADAさん▼
特別な日…ですよねぇ。やっぱり。
「玉電最後の日」には、多くの人出を半ば楽しんでもいたのでしょうが、
「都電最後の日」は、もう人込みの中に自分の身を置くのが嫌でした。
3年半の月日が自分を変えたのかもしれませんし(それを成長と呼ぶべきか?)
ともかく、大勢の人と一緒に見送るという気にれなかったのは確かです。
恋人の結婚式を一人遠くから眺めて「君の幸せを祈る」みたいな…?
そうなんですよね。27番・32番は残ったのですし、
それこそ「都電」は21世紀の今でも生き残っているのです。
でも自分にとっては、確かにその日「都電」が消えました。
家に帰って、その夜、日記を綴っています。
「今頃は大変な人出であろう。」…まるで他人事みたいに。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2580] 分別のつかない大人たち :さっしい
2004/09/26(日)20:29 [メール]
ど〜でもいい話なんですが…
いよいよ我が町も10月から、本格的なゴミの分別回収が実施されます。
先日来、配られたパンフレットを読んでみても、なんだか今ひとつ。
そこで、今日から部屋のゴミ袋も、
「プラ」「紙」「家庭ゴミ」に分けてみることにしました。
お菓子の包装、薬の小袋、ペットボトルのラベル…
いやぁ、思った以上に、リサイクルの「プラ」が多いのに驚きました。
しかし「汚れのひどいものは家庭ゴミ」って、そのあたりの境界がわかりません。
ポケットティッシュの袋は買ったものと貰ったもので区別って、何じゃいそりゃ?
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2581] 最終の日 :おすし
2004/09/26(日)22:57
ご無沙汰してます。
47.11.11の写真、拝見いたしました。
いつもそうでしたが、最終の日には、何処にも行ったことがありません。
さっしい さんは、登校途中に出かけられて、撮られたんですね。
今思えば、なんで、もっと撮らなかったんだろうと。
もう、戻りませんものね。
http://members.jcom.home.ne.jp/osushiyo/romen0.html
[2582] 普段着の姿を :さっしい
2004/09/27(月)18:35 [メール]
▼おすしさん▼
最後だからといって人々がどっと集まるのは嫌ですね。
自分もそういうのが嫌いで、最終日に訪れたのは、
玉電と、都電13番と、この日くらいだったかもしれません。
今年の東横線桜木町も、最終日の前日に行きました。
年とともに、ますます天邪鬼になってきているようです。
鉄道も、普段の何気ない姿が一番ですね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2583] 思い出深く…。 :志村TC
2004/09/27(月)19:47
さっしい様
No.37「別れの朝」拝見しました。
普通の朝同様に出勤に向かう停留所の人達の姿に哀愁を感じます。
「明日からどうやって通勤するのだろう。」
翌日から全く違う方法で出勤しなければならない、大人って
大変だなあ…私は当時こんな他愛もない事を心配していました。
当然、各方面代替バスが用意されていましたでしょうが、毎日
のリズムが変わるわけですから自分には耐えられないかも、
な〜んて情けないことを考えてた事を思い出します。
ウチの前の志村線が廃止になったのは溯ること6年前で小学3年生
でした。もの心ついた時から見ていましたからこの時も実に、悲
しかったですねえ。カメラを扱う様になったのは5〜6年生からで、
昭和41年当時はただ見ていただけ。今、あったらどんなに貴重な
記録となっていたことでしょう。
さっしい様の思いのこもった温もりのある文章はいつ読んでも
いいですねえ。
[2584] お褒めにあずかり舞い上がっています :さっしい
2004/09/27(月)21:33 [メール]
▼志村TCさん▼
過分なお褒めの言葉に恐縮しますが、
キャプションの文章を気に入って頂けて、とても嬉しく思っています。
本来このサイト自体(写真に自信がないということもありますが)、
鉄道に関するエッセイを中心に、と思って開設した部分もあるのです。
最初に作った玉電のページなどは、鉄道ファンではない、
一般の読者(?)を意識して、かなり情に流れた構成になっています。
しかしローカル私鉄では、記録性や、社史・車輛史を重視するようになり、
都電ではまた自分史のようで、統一性の無いものになってきてしまいました。
都電アルバムも、週替わりのトップページの画像のキャプションも、
限られた字数に収めるために、一応推敲を重ねてはいますので、
今回の温かいお言葉、本当に身にしみて嬉しく感じました。
自分も、もっと以前から都電を撮っていなかったことが残念でなりません。
昭和42年12月以前も、都電各線には頻繁に乗っていたのですし、
特に42年の夏は、例の江戸城の門の研究で、内堀・外堀を歩き尽くし、
もちろんカメラも持っていたのですから、なんで都電を撮らなかったのか。
今思い返しても悔しさで一杯です。車体の一部や線路がチラッと写っていたり…
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2586] 荒川線30年、系統消えて30年、そして・・・ :都電20番
2004/09/30(木)20:39
こちらでは本当にお久しぶりです。
明日で都電27(王子駅前〜三ノ輪橋)系統、32系統が合同して荒川線になって30年になります。と、いうことは、それまで親しまれてきた系統番号制度がなくなって30年ということになります。そういう目で、それより2年前の都心部の都電全廃というのを見ると、何ともいえない気持になります。もう32年も前の話になるのですね。
私などは20系統のおぼろげな記憶がある以外は、ツーマン時代の荒川線以降しか都電の記憶はないです。でも、それからももう25年以上経っているのですから、やっぱりけっこうな年月が経過しているのだと感じます。
今回は10月2日に荒川車庫でイベントがあるようです。私は残念ながら用事で行けません。すでに装飾電車が走っているようです。あるサイトで見ましたがけっこう綺麗な色彩です。
荒川車庫のイベントでは「都電博物館」なるものもあるそうです。また車庫所蔵の昔の部品(系統板、横サボなど)を展示するのでしょうか。それと、すでに車籍はありませんが7504は車庫前まで出てくるのでしょうか。この前出てきたときは、ろくにお色直しをしておらず、みすぼらしい感じがしました。保管しておくのなら、多少の手入れはしてもいいのではと思ったりしますが。
[2587] やっと復旧… :さっしい
2004/09/30(木)20:53 [メール]
しかし、メンテの話は聞いていましたが、本当に3日間も使えなくなるとは…。
まぁ、ここも以前よりは格段に繋がり易くなっているので、大目に見ましょうか。
また都電・私鉄・国鉄・その他、いろいろな話題をよろしくお願いいたします。
▼MOTOYAMAさん▼
はじめまして。
投稿は有難いのですが、今回の内容は純然たるマルチポストですし、
ここでの商用宣伝はご遠慮願っていますので、管理者判断で削除させて頂きました。
この手のBBSは、当然ながら「掲示板」というイメージが強いのかもしれませんが、
ここは皆さんと楽しく語り合う「談話室」と位置づけていますので、悪しからず。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2588] 30年ですか…自分も変わりましたねぇ :さっしい
2004/09/30(木)21:15 [メール]
▼都電20番さん▼
お帰りなさい…というのも変ですかな。時々うるさいことを言ったりしましたが、
都電を愛する心は同じだと思いますので、これからもよろしくお願いします。
そうですねぇ、あれから30年…。昭和49年といえば自分は浪人生でした。
時間はあったのに、特に新「荒川線」を見に行くということはしなかったかな。
しかし、約2年間も27と32の番号が残っていたことは、意外と忘れられがちですね。
林順信氏でさえ、昭和47年11月11日で系統番号は消えたと著書に書いたりしています。
何度か言いましたが、自分は「荒川線」はもう「都電」とは感じられませんでした。
嫌いという意味ではなく、「都電荒川線」としての存在価値も認めているわけですが、
あそこはやはり「王電」の生き残りであり、純粋な「都電」ではなく、
純粋な「路面電車」への愛情と、生来の天邪鬼とが合わさって、そう思っています。
6000や旧・7000や7500がいるうちは、まだ「都電」の面影がありましたけれどね。
10月2日に都電のイベントですか? 自分はイベントの類が嫌いなもので、どうも…
ところで、10月1日は今でも「都民の日」なのでしょうね。
そうすると公立の小中学校などは、明日から3連休なのかな?
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2589] いろいろ教えていただいてます。 :志村TC
2004/09/30(木)23:28
さっしい様、復旧再開されまして、まずはなによりですね。
突然、メンテナンスのお知らせ画面になってしまったので驚きました。
「2584」は私のほうこそ、恐縮してしまいます。
WWWさんがこちらに見えて大変、感激されていましたが、私もネット
サーフィンで飛んできて、初めて足を踏み入れさせていただいた時は、
なんとも言えないワクワクする楽しさと同時に安心感を感じました。
それはやはり「玉電」のページの解説文によるところが大きいと思いま
す。私は玉電、あまり詳しくなかったのでさっしい様のおかげで随分と
新しい知識を得られました。私にとってはさっしい様の意図は外れてな
かったのではないでしょうか。
>特に42年の夏は、例の江戸城の門の研究で、内堀・外堀を歩き尽くし、
もちろんカメラも持っていたのですから、なんで都電を撮らなかったのか。
今思い返しても悔しさで一杯です。車体の一部や線路がチラッと写っていたり…
これはNo.11「黄昏の池袋界隈」のラストにある呉服橋交差点の17系統
8000形の写真ですね。
以前からどうしてこの写真だけ2年もずれているのだろう、主役であるべき
都電がかけているし…と不思議に思っていたのですが、これで解明できました。
なんかちょっと面白かったです。
明日の10月1日、ウチの息子の小学校(区立)は休みですね。3連休だと
喜びまくっていました。