[2238] 現在、検討中。 :志村TC
2004/05/01(土)2:31
さっしい様
「2236」について一つだけ報告できそうなネタが見つかりましたので
現在調査中です。もうしばらくお待ちください。
今晩30日、池袋本町のいきつけの居酒屋のカウンターで同席した男性二人の
話に割り込みました。A氏、昭和9年生まれ、B氏、昭和19年生まれ。
で両氏とも文京一中出身(茗荷谷駅すぐ)で高校時代は都電で通学して
いた、大塚仲町とか大塚窪町とか旧町名で盛んに話しているので思わず
割り込んだ次第です。
17番か16番を使っていたのでしょうね。なかでもB氏の父君はなんと
都電の運転士をしていたらしいのです。大塚営業所で。
そこの部分、ばっちり聞いてみたかったのですが、いかんせん相当酒が
入っていて突っ込んで聞く雰囲気ではなかったので詳しい話は聞けません
でした。今度、しょっぱなから同席したら聞いてみたいですが、意外と
古手の人と語るとすごい話が聞けたりするもんですよね。ただ、やたら
と関係ない話で長くなったりして困ることも多いのですが…。
今夜はこれにて失礼します。
[2239] :さっしい
2004/05/01(土)12:34 [メール]
▼志村TCさん▼
5月を迎えた、天気も良い土曜日の今日、世間的にも5連休の初日、
朝のTVの占いで、蠍座は「散歩」がキーワードだったにも係わらず、
こうして家でゴロゴロして、パソコンに向かったりしている自分。
はぁ〜、溜息です。元来、外を歩き回るのは好きなんですけどねぇ。
それにしても素晴らしい遭遇でしたね。しかも居酒屋で、ですか。
昭和一桁あたりの方の「時代の証言」は、ぜひ伺っておきたいものですね。
とはいえ、近頃の自分は、どうも対人回路あたりが不調のようですので、
志村TC諜報部員の今後の活動に、大いに期待をかけておきます。
ところで、不躾な質問をお許し願えるでしょうか?
以前から気になっていたのですが、ハンドルの「TC」の由来を、
差し支えなければ、出来る範囲でお聞かせ頂きたいと思いまして。
単にイニシャルなのかもしれませんが、なかなか恰好良いものですから。
もちろんその場合、プライバシーに係わるようなお答えは不要ですけれど。
想像するに「Tokyo City」とか、いや「千葉 太郎」さんかなぁ、とか。
鉄系としては「クハ」の略称か、もしくは「都電 中毒」だったり?…まさか。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2240] 起工式 :佐藤文俊
2004/05/01(土)13:32
また砂嵐です。大風で電圧が不安定です。
そんな中で、今日、大塚車庫を作り始めます。考えてみれば小学4年生の時、天賞堂で輸入モノのプラ製HOストラクチャの赤レンガの車庫を見た時、「このレンガ板があれば大塚車庫が作れるぞ!」って思ったのが最初ですからしつこく35年間暖めてきた企画なワケです。
一人でちょっと記念したい感じだったので密輸ビールで乾杯しましたが、何だか「都電好きの鉄仲間」の皆様に報告させて頂きたい気持ちになったもので。
[2242] 砂漠で鍬入れ式ですか? :さっしい
2004/05/01(土)18:48 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
お疲れ様です。というよりは着工おめでとうございます!…かな?
さすがにそちらでは、日本の祝祭日は関係ないのでしょうか?
まぁ、こちらにしても、今日明日は普通の土日なのですが。
そういえば、1/45の都電6000形ディスプレイモデルが発売になったと、
先日立ち読みしたTMSに載っていましたが、レジン製だとか。
そのくらい大きいとド迫力でしょうが、HOでも充分でしょう。
Nの路面電車も良く出来ているとは思いますが、いくらか腰高ですかね。
しかし佐藤さんはパワフルですねぇ、いつも感心させられます。
現実の情景を模型化するということは、子供の頃から夢見ていましたが、
早めに挫折してから、早10数年。
思えば人生って、少年時代の夢をどこまで追い求められるかで、
満足度が決められるのかもしれませんね。…なんちて。
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[2243] 新企画≪タイムスリップ35≫スタート! :さっしい
2004/05/01(土)18:59 [メール]
週替わりのトップ画像も4年目に入り、とうとうモノクロの登場です。
「タイムスリップ35」と銘打って、35年前の今頃の写真を載せていく予定。
従って、しばらくの間は、昭和44年の写真ばかりが続きますので、
内容(地域や路線)の変化には乏しくなるかもしれません。う〜ん不安。
使用できる写真もそう多くはなく、掟破りの週もあるかもしれません。
ともあれ皆さん、それぞれ年齢を35歳若くして、思い出にでも浸ってくださいね。
その結果、母胎回帰しちゃう人に関しては、当サイトの責任外とさせていただきます。
(「35歳未満の方はご遠慮下さい」にしようかなぁ〜。…って嘘ですけど。)
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2244] トップ画像良いですね! :玉電80系
2004/05/01(土)20:33 [メール]
へいお久しぶりです。
トップ画像の企画面白そうですね。
昭和44年はトップ画像の通り、さっしいさんの好きな玉電が廃止された年ですね。
タルゴことデハ200形も、電車とバスの博物館で展示されている204号は動かなくなって35年になりましたね。
バックナンバーの平成13年最初の写真、昭和45年の山下の写真気に入ってます。(笑)いつかCGで再現したいです。
今後の写真も楽しみにしています。
それでは。
http://www.ne.jp/asahi/mike/hp/index.html
[2245] 華やかさはなくなってしまいましたが :さっしい
2004/05/01(土)20:47 [メール]
▼玉電80系さん▼
お久しぶりです。玉電80系さんは母胎回帰組(?)でしたっけね。
35年前の画像だけで綴るつもりのこの企画は、さて今後どうなりますか。
東京の大手私鉄が、これまで以上に増えてくるのではないかと思いますが。
204は廃車後、しばらくは多摩川園にいたのでしたっけね。
その後が高津の高架下でしたっけ? そして電車とバスの博物館。
山下の写真は、世田谷線も小田急も、ともに旧塗装でしたね。
世田谷線が緑一色になり始めたのは、昭和45年5月のことです。
1両ずつ塗り替えたらしく、しばらくはツートンとの混結で走っていました。
そのときの写真もカラーが無くてわかりにくいのですが、
来年の今頃までこの企画が続いていたら、その時に載せましょうかね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2246] 志村線関連の歴史・補足 :さっしい
2004/05/01(土)22:32 [メール]
[2236]に、都電志村線関連の歴史について書き込みましたが、
開通年月日に関して、また別の日付を発見したので、記しておきます。
「東京都交通局40年史」(昭和26年発行)からの転記です。
19. 7. 3 志村線の一部「下板橋−板橋十」1粁235 開通
19.10. 2 志村線「板橋十−志村」開通(※距離の記載なし)
先に記した「わが街 わが都電」の
S19/07/05 下板橋−新板橋(※板橋十丁目)
S19/10/05 新板橋−志村(※志村坂上)
とは日付が異なりますね。う〜ん、この辺の事実関係や如何に?
しかし、なぜこのように明白な相違が生じるのでしょう。
公営交通とはいえ戦時中のことでもありますし、仕方ないことなのか。
改訂・増補の成された、後発の資料の方を採用すべきなのでしょうか。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2247] 中東の砂漠の真ん中で :佐藤文俊
2004/05/02(日)21:17
この掲示板は軽いので助かります。それでもラッキーに開けられる時で5分くらいかかります。おすしさんやTADAさんの掲示板は途中で「ページが開けられません」となってなかなか開けられません。
毎日何回かホットメールのアカウントを使って皆様に写真の送信を試みるんですが全然駄目です。
夕べは数年前に日本から持ち込んでブランクだと思っていたVHSビデオテープが土埃にまみれて出てきたので観てみたら、何と草刈正雄と関根恵子の「神田川」と秋吉久美子の「バージンブルース」でした。
「神田川」は面影橋付近と江戸川橋の文京区水道辺りが舞台で、32番の旧7000型が出てきますし、鳴子温泉のシーンではオレンジとクリームのバス窓気動車が出てきます。昭和48年か49年の作品ですね。江戸川橋は私の高校がすぐそばで丁度在学時期と同じだったので見慣れた風景に思わずタイムトリップしてしまいました。
それにしても、今観ると当時の日本映画が低迷著しいのが当たり前のように、ストーリーも撮り方も独り善がりでつまんない作品です。関根恵子も当時は憧れましたが、今の目で見ると何だか寸詰りで大した事無いって感じです。
秋吉久美子は今見てもいいですけど、まあ、これは個人的な見解ですねえ。
ところで女関係と言えば、イラン人女性は世界でも美しいので有名です。1日に最低10回は見とれてしまうくらいの美人を見ます。
黒づくめのスカーフと衣装で無愛想にバザールの店番をしてるような店員の中にもハリウッド女優みたいなのがゴロゴロいます。
だからって下手に手なんか出したら外国人でも鞭打ち40回の刑ですからねえ。指銜えて見てるしかないんですよ。ああ、残念!
志村線の開通日が不明なのは不思議ですねえ。2,3日の差ですから「開通」の意味は「試運転でOK」と「営業開始」とか、そんなところの違いじゃないですか?意外と当日の新聞の東京版を調べれば分かるかも。
明治5年の新橋、横浜間の開通だって10月14日ってなってますけど、実際は1ヶ月くらい前から金を取ってお客を乗せて走ってたんだと言うのを何かで読んだ事もありますし。
[2248] 鞭打ちの趣味は無いでしょうけれど :さっしい
2004/05/02(日)23:05 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
いえ、この掲示板って、日本からでもなかなか繋がらない時が多いんですよ。
最近は、少し待てば回復するようになりましたが、イライラすることも多いのです。
メールも大変ですね、ご苦労様です。でも、それよりも安全に配慮してくださいね。
イラクだけでなく、周辺諸国でも何かと事件があるみたいですので。
「神田川」と「バージンブルース」ですか、懐かしいですね。
実は、友人に誘われてたった一度だけ入った早稲田松竹で見たのが、
「妹」と「バージンブルース」の2本立てでした。つまらなかったという記憶が…
都電が出るなら、まだ「神田川」の方が良かったのかな? 歌は名作でしたけどねぇ。
以前も書いたかと思いますが、僕は映画館嫌いで、生まれてから今まで、
映画館で見た映画というのは、今すぐ全部言えるくらい少ないのです。
それでいて映画自体は好きなもので、ビデオなどはたくさんあるのですが…。
先日は「トイ・ストーリー」1、2とも見てしまいました。
開通の日付には、どんな事情があるのでしょうかね。
今と比べて、結構いい加減だったりして?
では、くれぐれも、鞭打ちの刑にご注意ください。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2249] 重くてすみません :TADA
2004/05/03(月)1:07
佐藤さん
あぁ〜せっかくペルシア湾からアクセスしていただいているのに、掲示板が開かなくて申し訳ありません。m(_ _)m
そんなに重いCGIではないはずなんで、サーバーに原因があるのだと思いますが・・・
ADSLに慣れてしまうとついそういったことを忘れてしまいますね。
ダイヤルアップで繋いでいたころなんてジワジワ出てくる画像が全部表示されるまで1分以上なんてのもザラでしたっけ。
こんな経験していたので、今でもなるべく画像は軽くしています。画質が大画像に耐えられないという理由もありますが。
「神田川」は映画としてはつまらないですか?この前レンタル落ちを500円で売っていたのでちょっと買おうかなとも思ったもので。
関根恵子さんには申し訳ないですが、ここ30年で日本女性のスタイルは大分スマートになったのではないでしょうか。大根足、って今はあまり見ないような。(関根嬢が大根足という意味ではありません。)
これは女性に限らず男性もでしょうね。
鉄道本開業前に品川〜横浜で仮開業していたのは6月(旧暦5月)ですね。
S44年というと・・よんさんとおの1年後、大阪万博の1年前、上野から蒸機が消えた年。
鉄道史的なエポックというとなにがあったかな?新型車も不作の年ではなかったかな?
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[2250] 通信速度 :佐藤文俊
2004/05/03(月)6:09
こっちの通信速度はこの掲示板に繋がる調子の良い時で平均1分間に1万バイトです。ヒデエもんです。 これで1分40円と言う現地ではベラボウな値段です。
[2251] 昭和44年(1969)という時代 :さっしい
2004/05/03(月)9:28 [メール]
▼TADAさん▼
確かにこの年は、鉄道界にとっては地味な一年でしたね。
派手なイベントは全部、翌年の大阪万博の年に回されていました。
近鉄の難波や鳥羽開業も、翌45年のことでしたっけ。
今、鉄道史年表を紐解いてみますと、国鉄も私鉄も新線開業は殆ど無く、
国鉄の開業は加計−三段峡間のみで、私鉄でも普通鉄道の旅客線は、
地下鉄を除けば、西武秩父線と、年末に辛うじて近鉄の五十鈴川開業程度。
それに対し、この年の前後は、全国的に軌道廃止ブームみたいな時代で、
年表を眺めているだけでも、背筋が寒くなる思いです。
<昭和44年に廃止となった私鉄> ※「鉄道百年略史」より抜粋・加筆
・三井三池港務所(一部) ・羽後交通(横荘線一部) ・大阪市電(全線)
・川崎市電(全線) ・上田丸子電鉄(丸子線全線) ・留萌鉄道(休止)
・東京急行電鉄(玉川線一部・砧線全線) ・秋田中央交通(全線)
・富山地方鉄道(黒部−電鉄桜井) ・花巻電鉄(軌道線全線・鉄道線一部)
・京福電気鉄道(金津−東古市) ・京都市(無軌条電車全線)
・江若鉄道(全線) ・定山渓鉄道(全線) ・阪神電気鉄道(国道線一部)
いかがですか? 地方私鉄と路面電車受難の時代という感がありますね。
これでも、都市路面電車の一部廃止(都電など)は除かれているんですよ。
この時代に、鉄道趣味活動を本格化させていった自分ですので、
消えゆくものへの哀惜の情が、必要以上に培われたようでもあり、
幼いながらも、言いようのない無常観に囚われることとなります。
人生における悲観主義的傾向も、この辺りに原因があったのかもしれませんなぁ。
(「巨人の星」の破滅型思考とも、決して無縁であるとは思えませんが。)
▼佐藤文俊さん▼
ご苦労様、とだけ言っておきます。こちらは日本でのんびり、申し訳ないような。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2252] ★雑談「我が映画館史」(その1) :さっしい
2004/05/03(月)11:04 [メール]
こんな話題に興味のある方も少ないでしょうが、
先日、自分が今までに「映画館で見た映画の少なさ」を書きましたので、
それを具体的に記してみることにします。(ここはエッセイコーナーか?)
それでもまとめて書くと長くなるでしょうから、分けて書き込みますね。
大型連休ヒマダネ企画です。お暇な方は適当に茶々でも入れてください。
「101匹ワンちゃん大行進」「子鹿物語」
小1か小2の夏休み、地域の子供映画会か何かで、神楽坂下の佳作座で見ました。
「101匹…」はとても楽しかった記憶があり、夏休みの絵日記の一頁を飾りましたが、
その犬の絵が、なぜかとても上手で…どうやら姉が描いてくれたようです。
実は自分の小1〜2の頃の絵日記には、父・母・姉の担当したページがあり、
どう見ても幼児には描けないようなタッチの絵が多く含まれていたりします。
「子鹿…」の方は同時上映だったか、別の機会だったか…。
佳作座であることは確かなのですが、字幕スーパーの映画で、
あまり字も読めず、内容はさっぱりわからなかったように思います。
鹿が撃ち殺されるシーンがあったように記憶しているのですが、
たしか自分は泣いて泣いて、親を困らせたような覚えが…。
ついでながら、姉の友人の市ヶ谷の床屋さんの話は以前書いたかと思いますが、
なぜか、この映画とセットで思い出されます。その日その足で行ったのだったか?
で、そこの家の二階の窓から、眼の前の外濠通りにあった都電市ヶ谷見附電停の、
3番と12番によってポイントが切り替わる様子を飽きずに眺めていたという、
それは、この時の記憶なのかもしれません。まだ10番が迂回して来る前でしょう。
もしかしたらそのことを書いたのは、おすしさんの掲示板だったかもしれません。
市ヶ谷見附の都電の写真は本などにも載っていますが、千代田区側から新宿区側を
橋越しに撮った写真には、大抵「いづみ」という看板の床屋さんが写っています。
そこが姉の友達の家で、懐かしい二階の窓がはっきりと確認されます。
小学生の自分は、あそこから顔を出して都電を眺めていたのでしょうね。
※「都電の消えた街 山手編」p19、「東京都電の時代」p89 参照。
「都電が走った街 今昔」p56には、小さいながらもカラーで載っています。
赤と青のダンダラ模様がいかにも床屋さんらしくて、好きな建物でした。
「我が映画館史」(その2)へ続く…のか?
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2253] やはり同年代?? :すみじ
2004/05/03(月)13:55
こんにちは〜。と〜〜〜ってもご無沙汰しております。お元気そうでなによりです。
鉄なこと以外で顔を出す、すみじです。
>「101匹ワンちゃん大行進」
わたくしもこれ見ております。幼少の砌。
しかもくじ運の悪い我が家の父が初めて当選した試写会でございました。
神楽坂の佳作座というところがどの程度の規模の映画館が存じませんが
こちら大阪ではフェスティバルホールなどという大仰なところでの上映だったと思います。
わたくしの連れ合いも大の映画館嫌いなので一緒に鑑賞できないのが残念です。
しかも「うんちくたれ」なので映画館で静かにしてくれるかどうかも不安です。
そのくせ、周囲の人がポップコーンなんぞを食していると文句言いそうでそれも怖いです。
[2254] 101匹わんちゃん! :RRE
2004/05/03(月)20:30 [メール]
さっしいさん ご無沙汰です。
この映画、小生も確か小学校の1年生だったか、封切りの頃に見に行きましたが、表題は「大行進」でしたっけ? 永い間「物語」と思っていました。
この頃は家族で神戸三宮に映画を観に行って、ペコチャンの飾ってある不二家で食事をして帰るのが一番の贅沢でまた楽しみでもありました。
夏休みの絵日記を書く段階になってうまく描けなくて泣き出して、父親に代わりに書いてもらったのがあまりにも上手すぎて、提出するときに少々恥ずかしかった想いがあります。皆さん同じ経験をしているなと、今頃になって改めて安心しました。
http://r2e.hp.infoseek.co.jp
[2255] おこんばんは〜 :kazuhi
2004/05/03(月)21:36
私もとーーーーーってもご無沙汰しております。この度我が愛機を新しくいたしまして、改めて参上いたしました。
昭和44年で盛り上がっているようですが、私のそのころは、中学生で、夜中のアポロの中継を布団に入ったたまま見ていました。
身近の小さな私鉄が無くなっていたなんて知りもしませんでした。今思えばもったいないことをしたもんです。
101匹わんちゃん、私も見ました。デイズニーのアニメって動きがなめらかで、いいですよね?犬も可愛くて面白かった記憶があります。
モスラ対ゴジラもその辺の頃ではなかったでしょうか?ザ・ピーナツが出ていたやつです。
これからも
ちょくちょくお邪魔しますので宜しくお願いします。
[2256] サヨナラ、サヨナラ…、ではありませんが :さっしい
2004/05/03(月)21:52 [メール]
鉄以外のネタはどうかなと思ったのですが、
ちゃんと反応してくれる人がいて、嬉しく思いました。
このところ、こういう随想をたくさん書いてみたくなっています。
そういえば最近は、掲示板にも一人でいろいろ書いてしまいましたね。
目には青葉の初夏を迎えて、気分も少し「躁」なのかもしれませんね。
この「映画館史」も、続けてもいいのかな?(どうせ少ないのですし)
▼すみじさん▼
「101匹ワンちゃん…」御覧になっていましたか。
当時のヒット作だったのでしょうか。きれいなアニメでしたよね。
当時は、子供向けの良質な映画が少なかったのかな?
先年ビデオで発売されていたのは、新作だったのでしょうか。
佳作座は、国電の飯田橋駅の近くにあったのですが、
映画ファンには有名だったらしいですよ。僕は疎いのですけれど。
それにしても、すみじさんのご主人様もビデオ派なのですか?
でも、鑑賞中に横であれこれ言われるのって嫌ですよね。
お菓子の袋のガサガサも困りますが、自宅でビデオを見る際には、
やっぱり何かしら飲食しながらが、とても幸せなのですけれど。
▼RREさん▼
おぉ、RREさんも「体験者」でしたか。「…大行進」だったと思いますが。
僕が見たのは昭和37〜8年あたりのはずですが、映画館では珍しかったのです。
夏休みに、学校の体育館で「風のフジ丸」を見たのなら覚えていますが。
しかし「神戸三宮に映画を観に」って、それだけで高級感がありますね。
地元の方の見方はわかりませんが、何か神戸というだけでエレガントな…。
不二家での食事というのも家庭的ですね。我が屋は神楽坂の田原屋で、
僕はホットケーキ、姉は一番高いチョコレートサンデーというパターンでした。
それにしても、不二家のペコちゃんといえば、最近盗難続きだそうですね。
夏休みの自由研究などは、親の方がシャカリキになっていたようですが、
いずこも同じ夏の夕暮れ…だったのでしょうかね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2257] わが趣味を語らず :831列車
2004/05/03(月)22:10 [メール]
御無沙汰です。ここのところ更新もままならず、書き込みもせず皆さんのお話を眺めるだけでした。
え〜都電のこと、1969年のこと、映画のことなど多種多彩な話題のどれに飛び込んでいいのやら、また「ぽこぺん掲示板」ならではの懐かしものにするか迷っております。私も映画館はほとんどいかないのですが、初めて行った映画館は間違い無く「早稲田松竹」のはずです。高田馬場に住んでいたので両親に連れていかれたはずです。しあkしながら何を見たのかは記憶にありません。そこでかなり後年のことになりますが、初めて意識して自分で見に行った映画は東宝の「放課後」、そうあの栗田ひろみ主演のものです。そしてもちろん主題歌は「夢の中へ」でした。映画そのものよりもむしろこの陽水さんのメロディーに感銘を受け、ここはやはり高校生のこと、その年の秋に文化祭でクラスで製作したしょーもない八ミリ映画のテーマ曲にしてしまったほどです。
101匹わんちゃんは・・・あれ?確か当時小学校へ回ってきた映画の時間に体育館で見たような記憶があるのですが・・・。
まとまりのない書き込みですみません。なおタイトルはさっしいさんが「さりげない鉄道趣味論?」について書き込んでいたさいにふと口をついて出た言葉です。
「♪朝日が昇るから起きるんじゃなくて 汽車(=鉄道)が好きだから 旅をする・・」などと替え歌など作ったりして。まだまだ自分の鉄道趣味については大きく語るところまでは昇華していないよな気がします。
http://d51155.web.infoseek.co.jp/
[2258] おはこんばんちは〜 :さっしい
2004/05/03(月)22:17 [メール]
▼kazuhiさん▼
お久しぶりです。パソコン新調おめでとうございます。
そうでした、そうでした。
アポロ11号の月面着陸も、昭和44年でしたっけねぇ。35年前。
夏休みに入ってすぐでしたよね。ちょうど臨海学校で、
食堂の白黒テレビを、食い入るようにみんなで見たっけなぁ。
「こちらヒューストン、すべて順調」…流行語にもなりましたっけ。
同じ臨海の夜、部屋の友達と、ラジオでオールスター戦を聴いていたら、
先生に見つかって取り上げられた、なんていうこともありました。
「どっちが勝ってる?」と訊かれて答えた自分が馬鹿で…おとり捜査か?
「モスラ〜ヤッ、モスラ〜♪」も流行りましたっけ。
なんか、懐かしの昭和レトロサイトみたいになってきましたね。
この年の羽後交通横荘線の廃止区間は、沼館−館合間でした。
それに加えて、五城目軌道線や、花巻の西鉛線の馬ヅラ電車など、
東北の個性派私鉄もどんどん減っていった、寂しい時代でしたね。
ところで、今日の模型運転会はいかがでしたか? 明日もですよね。
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[2259] 始発電車は行け〜♪ :さっしい
2004/05/03(月)22:41 [メール]
▼831列車さん▼
おぉっ、さすが「拓郎節」で来ましたね。
しかも陽水に、栗田ひろみネタですか〜、うるうる。
ラバーソウルみなみさんが生きていたらなぁ(…って、殺すな)
今CMで「夢の中へ」が流れますよね。(Auでしたっけ?)
やはりあのオリジナルのイントロが、ビビビッと来ます。
文化祭の映画なんていうのも、皆さん懐かしい思い出があるのですね。
秋の文化祭かぁ〜、恋が芽生えたり消え去ったり…(遠い目)
先日の「独白趣味論」(?)もお目に留めて下さったようで、
いや、何かボソボソと「つぶやきシロー」したくなる時があるんですよね。
特に近頃は、あまり何事にも燃えなくなってしまったものですから。
「人生を語らず」最高ですね。特に最近のライブでもパワフルなようです。
カラオケにこの曲がある店には、あまり遭遇しないのですが、
過去2回ほど歌ったことがありました。「みんな大好き」バージョンで。
「それからでもおそぉ〜くない〜♪」と叫ぶところが好きなんです。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2260] うっかり さっし兵衛 :さっしい
2004/05/04(火)9:24 [メール]
今日は朝から嵐の様相。でも落ち着いて本が読めたり、
家に閉じ込められるのも、決して嫌いではありません。
むしろ、このところ引きこもり傾向にあるようです。
それよりも、近頃猛威を振るっているPCウィルスの名前が、
なんでも「サッサー」というのだそうで、苦笑しています。
さて、今ふと思い出して、微妙な訂正なのですが…
先日、玉電80系さんへのレス[2245]の中で、
≫ 世田谷線が緑一色になり始めたのは、昭和45年5月のことです。
と記しましたが、これは聊か不用意な発言でした。
当時、京王線を利用しての通学途上、下高井戸駅通過の際には、
できるだけ世田谷線のホームを観察するように心がけていましたが、
ある日、2連の片方の車輛が緑一色に塗られているのを目撃したのです。
そして、カメラを持って写真を撮りに行ったのが、昭和45年5月5日でした。
ですから新塗装や混結編成は、4月中から登場していたのかもしれません。
「そんなこたぁど〜でもいいよ」と感じられる方が殆どかと思いますが、
もしかしたら、この掲示板から「正確な」情報を得ようと考えている方が、
一億人に一人ぐらいはいるかもしれませんので…というのは冗談でけれど。
何事につけても、当時を知る者の証言というものは尊重されるべきですが、
曖昧な記憶や勘違いや、時には思い込みというものもあるようですね。
歴史事実を探求する上では、多少なりとも心すべきことと思いました。
…な〜んちゃって。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2262] 101匹わんちゃん大行進 :佐藤文俊
2004/05/04(火)11:47
これ、幼稚園児の時、日比谷か銀座の映画館で観ました。帰りにロビーで「デズニーレコード」も買って貰いましたよ。これは17センチ33回転の両面20分くらいでラジオドラマ仕立てで物語になってるもので、フルオーケストラのBGM演奏、熊倉一男や藤岡拓也などの一流の声優によるデズニープロ公認の高水準モノで、バンビ、三匹の子豚、シンデレラ、ピーターパンとかシリーズになってました。
私がこの映画を観ていて不思議だったのは、さらわれた子犬の居場所をロンドンのボンゴとパーディタ(親犬)に知らせるのに沢山の犬が遠吠えで通信するんですが、その中の1匹にクレエラ(子犬の毛皮でコートを作りたい悪魔みたいな女)の愛犬が含まれてるんです。
確かその愛犬はクレエラ(その頃、菓子のエクレアと区別がつかなくて困った!)の1937年頃のロールスに乗っててその遠吠えに参加してたような覚えがおるんですけど。
あのシーンに納得いかなかったのが40年以上経っても思い出されます。あれ以来観ていないのでビデオで確かめてみたいです。
[2263] 砂漠ノ嵐ニモマケズ…? :さっしい
2004/05/04(火)12:51 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
不安定な通信環境の下、こまめに書き込んでくださり、ありがとうございます。
他の多くの方は、旅行やら帰省やら、あちこち出掛けられているようですね。
この天気ですから、今日明日はおとなしくしていようと思います。
しかし今回の投稿も、佐藤さんの面目躍如といったところですね。
その凄まじいばかりの記憶力は、どこから来ているのでしょうか。
自分は最近では、鉄道に関してさえ記憶が曖昧になりかけているのに、
40年以上前の映画の内容に言及できるあたり、羨ましい限りです。
しかも実証主義というのか、探究心も旺盛なようで、
佐藤さんの前向きな人生も、そのあたりに鍵があるのかと思いました。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2264] 北千住−元町・中華街 :さっしい
2004/05/04(火)12:56 [メール]
強風で家がガタガタ揺れて、すごい嵐だなと思っていましたが、
西の方は既に大雨だそうですね。夕方からは関東にも来るとか。
そして明日は一日中雨なのだそうで…行楽の方々にはお気の毒です。
NHKでは、道行く人の傘がオチョコになるシーンを、好んで放映していますね。
…と、ニュースを見ていたら…、え? 北千住発「元町・中華街ゆき」ですか?
へぇ、日比谷線からMM線への直通、今日走ったんですね。知りませんでした。
連休だけの臨時運転(2往復)で、明日も走るのだとか。
まぁ菊名から少し延長しただけなのですが、通年化の動きはあるのでしょうか。
確かに直通は便利とはいえ、東銀座からなら京急経由の方が早いでしょうし、
日比谷線の路線は、都内ではかなりクネクネ迂回してますからねぇ。
やはり、今だけの客寄せイベントで終わるのかな?
それにしても、ホームで写真を撮ってる「テッチャン」って…
「自分は同じに見られたくない」という思いを抱くのは、なぜなのでしょう。
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[2265] 101へぇ〜 :さっしい
2004/05/04(火)16:38 [メール]
「我が映画館史」は、映画そのものを論ずるという趣旨ではなく、
実を言うと、その殆どの作品の内容も覚えていなかったのですが、
「101匹ワンちゃん…」には予想外の反応が寄せられたもので、
責任上(?)只今ビデオの鑑賞中です。
しかし皆さん子供時代に見ているようで、学校で奨励でもされていたのか、
文部省指定か、教育委員会推薦か、ともかく優良映画だったのでしょうか?
…ふむふむ、原題は「One Hundred and One Dalmatians」であって、
「dog」なんていう言葉は一つも入っていなかったんですねぇ。
ちなみに邦題は、当時は「…大行進」が付いていましたが、
今は単に「101匹わんちゃん」と表記されていますね。
それにしてもワンちゃんたち、可愛いですねぇ。
へぇ〜、中身はこんな話だったんですか。全く覚えていませんでした。
しかも泥棒ホーレスの声の役で、ルパン3世(故・山田康雄)が登場し、
適材適所というべきなのかもしれませんが、あの独特の語り口調は、
どうしても「主役」を思わせてしまい、悪役と感じられなかったり…
さて、佐藤さんの疑問ですが、クルエラには愛犬はいないようですよ。
(最近のビデオの表記では、名前は「クルエラ」となっています。)
遠吠えに参加したのは、ロンドンの別の貴婦人の愛犬のようでした。
ところで「クレエラ」と「エクレア」の区別が…という部分を読んだら、
先日のRREさんの書き込みにあった不二家の「ペコチャン」も、
なんだか「ペチャンコ」に見えてきてしまいましたよぉ〜
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[2266] なるほど :佐藤文俊
2004/05/04(火)19:34
さっしいさん。わざわざビデオを観て下さったんですか。スミマセン!
でもそーなると40年以上私は勘違いしてた事になるんですねえ。そのシーンにはクレエラのと同じクルマは出てきますか?幼い頃の都電に関する記憶もこんなもんなんでしょうね。
あの頃学校の視聴覚室で見せられた映画で「鉄」にとって嬉しかったのは「こだま高速度試験」と「東海道新幹線」でしたが、昔の東映の漫画シリーズも素晴らしかったですね。
「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞モノなら、あの当時の「白蛇伝」「船乗りシンドバッドの大冒険」「わんぱく王子のおろち退治」や「わんわん忠臣蔵」なんかはもっと評価されていいんじゃないですか?
[2267] 頭の血がどうも :さっしい
2004/05/04(火)21:33 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
実は、細かいことの記憶力には多少自信があったのですが、
当然覚えているはずのことがふっと出てこない、
そういう体験が、最近とても多いのです。
今も、中学時代の担任の先生の名が、すぐに出てきませんでした。
脳の血管に何か詰まっているような気がして…
西城秀樹と同い年でもあるし、気をつけなくちゃいけませんね。
さて、車の種類などには全く疎いので区別も付かないのですが、
遠吠えを伝えるシーンはクルエラの車とは違うクラシックカーのような…
で、お澄まししたプードル(かなぁ?)が屋根の上で吠えたのでは?
あれまぁ、40年どころか、5時間前のことをもう忘れてますね。
最後に挙げて下さった映画は「千と千尋…」以外は知らないようです。
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[2268] 御覧になっている皆様へ :さっしい
2004/05/04(火)23:42 [メール]
この掲示板は、わざとスレッド形式ではないものを使っています。
そのため、雑多な話題が順不同で次々と連ねられてしまいますが、
どの話題にレスを付けるのも自由ですので、お気軽に横入りしてください。
ず〜っと昔のテーマを掘り返してくださっても結構ですし、
また、新たな話題の口火を切ってくださっても構いません。
スレッド(ツリー)形式に慣れた方の目には煩雑に映るかもしれませんが、
自分はこういう、ゴッタ煮みたいな形式が好きなもので…
堅苦しい公式資料の羅列があったり、お気楽なナンチャッテネタがあったり、
その落差や変化も楽しんでいますので、ご自分のスタンスでご参加下さい。
礼節をわきまえれば論争も歓迎しますし、もちろんショーモナイ雑談も可です。
対応できる範囲の内容であれば、できるだけレスを付けるようにしています。
ここ数日の流れに、戸惑っていらっしゃる方もあるかと思いましたもので。
また、別に、鉄道ネタ限定の掲示板というわけでもありませんので。
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[2269] とても盛り上がってますね。 :志村TC
2004/05/05(水)1:38
さっしい様、皆様こんばんは。
ちょっと留守にしていました。昭和44年の話とか「101匹わんちゃん」とかで話が広がりましたね。この辺りは私も好きな分野なんですけど、ちょっと前に戻らさせていただいて…。
「2252」で書かれていました飯田橋佳作座ですが、私も二度、観賞経験があります。昭和55年と62年に。ロードショーで見逃した作品や名作もの等は池袋文芸坐や飯田橋佳作座が便利でした。佳作座が閉館した時は、こういう優良な映画館が生き残る事が出来ない我が国の文化程度に悲しさを覚えましたもので。何しろ跡地に建ったのはパチンコ屋ですから(パチンコファンの方、本当にごめんなさい)、ガックリした思い出があります。
とはいうものの、私ここ10年位は映画館にほとんど足を運んでません。20代の頃、映画に夢中の時期がありましたわけで。最近はもっぱらビデオかDVDです。
さっしい様、佐藤様が「2266」で語っていた東映の長編アニメ、ご存知ないですか?私らの方では夏休みに学校の校庭で夜の映画会とかで盛んに見ましたが。特に「わんぱく王子の大蛇退治」は絶品、おすすめの一作ですよ。
あと「いづみ理容店」。紹介されました3冊、手元にありましたので、再確認しました。なるほどですねえ。実は姉が以前、市ヶ谷砂土原町に居住していた事がありまして、訪問するたびに駅から下る時、現在のビルばかりの風景と、例の昔の写真風景をオーバーラップさせ、「なんて人間味がなくなってしまったんだろう」なんて感傷にふけって歩いた経験が幾たびもあります。あの頃って人々の「生活」があったんですよねえ。他の地域もそうですけど…。
なんて感じで、しんみりさせていただきました。
本日、初めて「所沢航空公園」に行ってきました。ミュージアムに展示してある複数の飛行機を見て、「やっぱ保存てのはこうでないと」と痛感しました。コックピット等、破損の危険のある箇所は透明アクリル板で囲って子供達の破壊から守られているし、塗装などの復元も完璧のようです。こういうの見てしまうと雨ざらしの都電がつくづく可哀相に感じてしまいます。
最後に「志村TC」のHNの由来についてですが、答えるとあまりにも単純で呆れてしまうかも知れませんよ。
志村は説明不要と思いますが「TC」は「都電クラブ」の頭文字です。昔、ひとりで悦に入ってプレート作ったりして遊んでまして…。恥ずかしながら回答しました。
では、本日はこれにて失礼します。
[2270] 今日も雑談で :さっしい
2004/05/05(水)8:29 [メール]
▼志村TCさん▼
え? え? 市谷砂土原町?…あぁ〜!
…すみません、こんな箇所から反応してしまって。
実は小学校時代「初恋の人」の住んでいた町でした。
悪友連中を誘っては、家の周りをウロウロと…柿泥棒に間違えられたり。
小学生の幼い恋ですが、今ならストーカー扱いされちゃうところですかねぇ。
学校の用などで家に入ったこともあり、我が家には無いピアノやら、
ぬいぐるみやら、レースのテーブルクロスやら…。胸がときめいたものです。
それにしても今の市ヶ谷の風景は…無情ですね。シャープに恨みは無いものの。
そりゃぁもちろん、現代の街並を擁護、賛美する方もいるでしょうが、
自分の感覚では、東京の景観は確実に悪くなってきていると思います。
目立たせたいだけの看板や広告の「色」一つ取ってみても、です。
佳作座は、無くなる際にテレビニュースでも取り上げられたほど、
その筋の愛好者たちの間では有名な映画館だったらしいのですが、
あの辺に住んでいた当時は、そんなことも露知らず…
実は、ピク誌上の写真コンクールの最優秀作品は「特選」、次が「推薦」で、
「佳作」は、「優秀」や「優良」より更に下だったのではないでしょうか。
そんなことからも、「佳作」という言葉は「残念賞」みたいなイメージでした。
ですから「佳作座」とは、二流三流映画館の意味かと思っていたりして…。
子供時代には、そういう「言葉の思い込み」って多いですよね。
航空機の保存に関しては、仰るとおりですね。
やはり専門の博物館なり公園なりの保存施設が最良なのでしょうね。
さまざまな自治体や法人・個人などに引き取られた都電の廃車体も、
利用目的の多くは、「倉庫」「図書館」や「休憩所」などでしたものねぇ。
今思えば、「乗換えしげき」と歌われた旧・須田町の真ん前の交通博物館に、
都電が展示されなかったのが不思議です。(経営母胎の関係もあるでしょうが)
ハンドルの件はすみませんでした。しかし前回適当に言った「都電 中毒」って、
当たらずといえども遠からずだったのでは?
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[2271] 佳作座 :佐藤文俊
2004/05/05(水)11:58
さっしいさん
この掲示板、通信速度が超低速でも開いている時途中で落ちません。助かります。5000バイトくらいでパッと画面がクリーム色になり、そのあとは赤い文字が一つ一つ現れてきます。まるで分解写真を見るような感じで開いています。
佳作座、あそこで「燃えよドラゴン!」を観た時、帰りには何だか自分が強くなったような錯覚を起こしましたし、「ザッツエンターテイメント」を観た時は出口でバタバタとタップダンスの真似をしてました。私の母方は映画一家なので私も「映画小僧」でした。中学の頃は毎日入場料170円の京橋のフィルムセンターで歴史的名作を観てました。
志村TCさん
「わんぱく王子の大蛇退治」は私は母親に連れられて銀座で1度観て(帰りに千疋屋のメロンシャーベットを食べて、それをこの映画のパンフレットを読みふけってて、ひっくり返したのを憶えている!その前後には当然天賞堂にも行ったんでしょうね)、何年か後に小学校の視聴覚室でもう1度観ました。あとテレビで1回かな。
あれは出来の素晴らしい作品ですね。最後の花園のシーンは子供ながらにも感激して泣いたのを覚えています。あれって神話を元にしたストーリーですから今は日教組とかが反対して学校では見せられないんじゃないですか。
[2272] ★雑談「我が映画館史」(その2) :さっしい
2004/05/05(水)12:16 [メール]
このところ「自分史」の断片みたいな内容の長文が多いのですが、
こんなものでも楽しんで下さる方がいればいいな、と思っております。
ひたすら書きたくなる「作文躁期」みたいで、そのうちピタッと止まるかも。
「ここは鉄道趣味サイトの掲示板じゃないの?」というお叱りは何卒ご勘弁を。
さて「我が映画館史」の第2弾です。決して「我が映画史」ではありません。
「西遊記」(アニメ)
小2の梅雨時、神楽坂上の武蔵野館で見た冒険活劇アニメなのですが、
ある意味で、我が人生の幼年期における、
最大の意味を持った映画となりました。いや、内容ではなく…。
実はこの時に館内が込んでいて、隣にいた母は、よその子に席を譲りました。
するとその子のお母さんが、お礼にと僕にアイスキャンデーをくれたのです。
ところがその夜から激しい腹痛と下痢。元々お腹は弱かったのですが、
この時はそれが尋常ではなく、翌日、東京女子医大病院に運び込まれて、
生まれて初めての浣腸まで体験…(別にそれが趣味にはなりませんでしたが)
その結果…「赤痢の疑い」ということで、大騒ぎになりました。
新宿区の保健所から白衣を着た人たちがやってきて、家の消毒、
家族も検査、近所も学校も同じように消毒で、大変だったのだとか。
いや、それらは皆、あとで母親から聞いた話で、
自分は女子医大から、そのまま寝台車(?)に乗せられ、隔離病院へ直行。
車内では仰向けに寝かされて、後ろへ飛んで行く空だけが見えました。
駒込病院…としか覚えていないのですが、
神明町車庫に近い、吉祥寺裏の、今もある、あの病院だったのか?
伝染病の隔離病棟に3週間ぐらいだったか、梅雨の間は殆ど入院生活でした。
一般の面会は許されず、親さえも、曜日と時間を厳しく定められて、
小2の子供には心細い毎日だったはずなのですが、実は、とても楽しくて…
入院とは言っても、手術も無く、注射すら無く、薬と毎日の検査だけで、
腹痛が治まった後はすっかり正常になり、元気を持て余すようになりました。
子供部屋の中では自分が最年長なので、部屋の年下連中を手なずけて、
ガキ大将気分になって威張ったり、お見舞いの玩具で遊んだりの日々でした。
その中に、年齢の近い女の子がいたもので、一番仲良くなり、
コンビを組んで、時には大人の部屋へ押しかけて行ったりもしました。
二人で歌って踊る「スーダラ節」は大受けで、一躍スター気分でしたが、
ある日、看護婦さんから、大人の方へは行かないように注意を受けたり。
学校へは行かなくていい、お見舞いの品は日に日に増える、
家には叔父さんから豪華なプラモデルが届いたそうで、退院すれば作れる、
親は殆ど面会に来られないから、小言を聞かされる心配も無いし…
七歳にして一人暮らし気分で、天国だったような覚えがあります。
母も、たまの面会時間に来てくれると、普段とは違い、優しくて優しくて。
退院の日は、3週間ぶりのお風呂に入れられ、母親とタクシーで帰宅。
車のラジオからは大相撲放送が流れ、なぜか「青ノ里」が耳に残っています。
以上、例によって「西遊記」の中身は全く出てきませんでしたね。
「我が映画館史」(その3)へ続く
(ただし次回は、エピソードが何もありません)
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[2273] いやぁ〜映画って本当に… :さっしい
2004/05/05(水)14:16 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
このところの長文は、表示されるまでに時間がかかることでしょうね。
「燃えよドラゴン!」自分は見ていないのですが、友人が好きでした。
映画館で何回か見たそうですが、見終わって観客が外へ出てくるときは、
やはり必ずみんな「アチョ〜!」っていう雰囲気になっているのだとか。
映画って、そういう面白さもありますね。
自分も、スター・ウォーズ(ビデオ)を見た後は、ハリソン・フォードばりに、
「イ〜ヤッホォ〜!」と奇声を発して階段を駆け下りて行ったり…
(あ、でもあれは吹き替えの台詞でしたっけ?)
千疋屋のエピソードなどは、いかにも佐藤さんらしくて笑えました。
こういうちょっとした場面って、不思議と鮮明に覚えているものなんですよね。
「わんぱく王子の大蛇退治」というのは、ヤマタノオロチの話なのかな?
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[2274] 御久しぶりです :Ekimi
2004/05/05(水)18:15
連休前のピークで忙しく、連休に突入したら撮影&乗り鉄で忙しく久しぶりにカキコです。
久しぶりなのに、今日は悲しい報告です。
先日、近所の小父様から
『今年からはコスモス畑の手入れが無くなって楽に成ったよ。』
と聞いていたので、もしかしたらと思い仕事帰りに少し遠回りをして丹荘駅裏を通りました。
すると、予想通りコスモス畑と一緒にニッケル線(上武鉄道)の丹荘駅ホームが無くなっていました。
後で聞き直すと、丹荘駅ヤード跡地は西武科学(現・朝日工業)が土地を所有し、町が毎年借りてコスモス畑にしていたそうです。
その土地を宅地にして売却するために、全てを更地にしたそうです。
ニッケル線が廃止されても遊歩道に成らず、朽ちはててはいましたが最後まで往年の姿で残っていた場所が無くなり、私の心にもポカ〜ンと穴が空いてしまいました。
小さな機関車が走っていた事を思い出しながら、しばらくヤード跡を眺めてから家路に着きました(涙)
[2277] また一つ忘れ去られようと :さっしい
2004/05/05(水)19:24 [メール]
▼Ekimiさん▼
こんばんは。現役バリバリで「鉄」していらっしゃるようで何よりです。しかし、上武鉄道の遺構がまた一つ消滅ですか、寂しい限りですね。それにしても、今までホーム跡が残っていたというのも意外でした。
上武鉄道の廃線跡は多くのサイトでも取り上げられていますし、初心者向け廃線跡ウォークの場としても利用されているようですが、沿線はまだ、のんびり歩くのにふさわしい環境でしょうか? 今回のお話によれば、宅地化の波が押し寄せているようですね。
弊サイトの本編では、写真も小さく画質も悪いので、丹荘駅ホームの画像を再加工して、ここに掲載しておきますね。雨の日の撮影で、色調もイマイチなのですけれど。【昭和46年12月27日】
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[2278] 「わんわん忠臣蔵」に反応しまして :ラバーソウルみなみ
2004/05/05(水)20:34 [メール]
わんわん忠臣蔵は、はじめて小学校の先生が、希望者だけを引率して、映画館に連れて行ってくれたときの映画です。
日曜日の朝から、京浜急行の安針塚駅に集まって、普通電車で2駅、追浜駅前に映画館
がありました。生まれて初めて(だと思う)の映画館。妙に興奮して、4本立ての
最後の「わんわん忠臣蔵」を見ました。タヌキが、「まかしといて、ちょんだい!」と歌うところは、いまでも鮮明に覚えています。人殺しの虎が「キラー」というのは「吉良」とかけているんでしょうが、いまでは使えないですね(笑)
なお、この4本立て、あとの3本は、アニメではなく、成人というか普通の大人向けの映画でした。3本をたてつづけに、見て待つ間、我慢が出来ない子供は、「先生、まだなの?」と聞いてました。 でも、先生にそういうことを来ては失礼だぞ、無神経なやつめ、と思って、黙っていましたが、長かった(笑)
1本目、2本目の映画の題名は忘れましたが、4本目の題名は覚えています。
「ねむりきょうしろう」任侠ものですね。
小学1年生を10人も連れて行って、「まだ?まだ?」と聞かれる先生は・・・
大変でしたね >「眠り教師労」。「眠り狂史郎」失礼! 「眠り狂死・・・」
もういいって!
http://rs373.cool.ne.jp/
[2280] 映画の思い出はたくさんあるでしょ? :さっしい
2004/05/05(水)22:22 [メール]
▼ラバーソウルみなみさん▼
お久しぶりですね。時々呼んでたんですけど。
[2259]では殺してしまって、すみませんでした。
…ん? 「眠り狂死・・・」はその仇かな?
「狂史郎」も言えてたりして(そのまんま?)
で、「わんわん忠臣蔵」とやら、ラバーソウルみなみさんも知ってましたか。
さすが若い、…ってことはないか? ちなみに僕より五つ下の人も知ってました。
しかしまぁ、ピッカピカの1年生のときの思い出ですか? 可愛かったでしょうね。
大人の映画につき合わされたのは苦痛だったでしょうけど。
≫ 成人というか普通の大人向けの映画でした。
…って「成人向け」と「普通の大人向け」じゃ、えらい違いでは?
でも小1なら、かえって前者でも害が無いのかな?
みなみさんも、かなり「映画には強そう」ですよね。
あ、別に、映画とプロレス対決してほしいわけじゃないんですけど。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2281] 映画館の思い出 :TADA
2004/05/06(木)4:14
なんか寝付けないのでちょこっとお邪魔します。
私が子供時代をすごした街、荒川区町屋にも当時映画館が4館ありました。
東映系と日活系の封切館と2番館というのかな、今で言う名作座みたいなのが邦画専門の「日本館」と洋画専門の「世界館」
封切館はバス通りに面して2館ならんで、「日本館」「世界館」はバス通りからちょっと横道に入ったところにありました。
封切館は70年代初頭ブームに乗ってボーリング場に、その後スーパーになりました。
怪獣少年だった私は東宝の「ゴジラ」や大映の「ガメラ」が地元で見られず、上野まで連れて行ってもらったものです。
日活の「ガッパ」はそんなわけで地元で見ました。なぜか松竹の「ギララ」は見ていませんがポスターやスチールを飽きずに眺めたものです。「ギララ」のアストロボートがカッコ良くて気に入ってプラモデルも作りましたっけ。
初めての映画館はですから東映の作品「わんわん忠臣蔵」でした。
みなみさんの書き込み読んで、そうそう虎の名前はキラーだったよな、と。(^^)
「わんぱく王子」も見たなぁ、ですからスサノオノミコトのイメージは今でも少年です。
子供のかかる赤痢を疫痢って呼んでいませんでしたか?
夏のあいだに学年でひとりかふたり、疫痢で休んでいる子がいましたっけ。
駒込病院は吉祥寺の近くのあの病院だと思います。
私は病院には縁がありませんでしたが、北千住から町屋、熊野前、田端を通る都バス4系統の終点が駒込病院でした。(なんでこんなローカルな系統がヒトケタだったのでしょうね?)
ここで足立梅田町からくる東京駅北口行きに乗り換えて本郷、御茶ノ水にもよく行ったものです。
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[2282] はい、快調ですよ! :kazuhi
2004/05/06(木)11:16 [メール]
新PCっていいですねー。7年前と比べてもしょうがないですね。
子供の頃に限らず、昔の記憶ってものは、どんどん朧になってしまいます。自分では間違いない記憶と思っても、とんでもない記憶違いをしてたり。
このごろは、さっしぃさんもおっしゃるように、私も記憶があやふやになってきているので、記憶にたよらず、記録に残すようにしています。また、中学生時代に撮った蒸機の写真(ものすごく下手)を虫眼鏡で見ると、当時気付かなかった事柄が見えてきたりしてなんか新鮮です。
江戸時代の紀行家、菅江真澄、と言う人が、東北を旅しながら文を書き、絵を残しています。文献では知る事のできない庶民の暮らしがリアルに記されています。当時、あまりにも普通の事だけに誰も記録していなかった事がそこにはあるのです。
私も彼の真似事を始めてみたのです。自己満足に終わるかもしれませんけど。
あ、そうだ、模型運転会は、お蔭様で近年になく大盛況でした。人波の途切れる事もなく当事者としても嬉しい緊張感を味わいました。
それでは長々と失礼しました。
[2283] 昔の映画、テレビ番組 :佐藤文俊
2004/05/06(木)17:25
「わんわん忠臣蔵」の主題歌、今でも歌えますよ。♪進ーめ、進ーめや尻尾を振ってってやつでしたよね。
1週間ほど前にこちらの国営テレビでデ・ニーロとコスナーの「アンタッチャブル」をペルシャ語吹き替えでやってました。こっちの吹き替えは声優の声はそっくりですがBGMと効果音、セリフの整音技術が駄目です。特に音の空間的前後関係がメチャクチャで、この緻密に作られたハリウッドの大作を台無しにしています。周りに聴こえてはならない密談にエコーがかかっていたり、とかです。
あと、暴力、残酷シーンはノーカットですが、イスラムで禁止されているセクシーなシーンや映像はカットかボカシが入っていました。
そー言や、昔のテレビの「アンタッチャブル」も良かったですね。あと、「逃亡者」。「リチャード・キンブル、職業医師」で始まるんですよね。「彼は、身に覚えの無い妻殺しの罪によって死刑を宣告され、護送の途中列車事故に遭って辛くも脱走した。」「彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、現在を、そして明日を生きるために・・・」と、これともう一つのバージョンは夜の列車内で手錠をはめられたキンブルがジェラード警部にタバコに火をつけて貰ってるシーンから始まるやつで、このあとポイントを通過直後に客車が脱線して横倒しになって、そこからキンブルが脱走して池にボチャンと倒れこんで手錠が付いたままの両手で顔を拭うと言うシーンに続くんです。
この脱線シーンが意外とチャチで、最初はイコライザー付きだけど枕ばねがコイル、みたいなアメリカ型台車が脱線して枕木の上をガチャガチャ跳ねるんですが、これはモロに天賞堂の輸出向けHOって感じで、そのあと切り替わるシーンではどーゆー訳か別のもっと古い客車にすりかわってて、こっちはOゲージっぽいもう少しスケールの大きい模型って感じでしたね。それがドン、ドン、って跳ねて横倒しになるんです。で、そのあとはホンモノサイズのセットで復旧作業、みたいなシーンでした。このシーン、さっしいさんは覚えていませんか?TBSでライオン油脂の提供でした。
[2284] 闘病奮戦記? :志村TC
2004/05/06(木)20:21
さっしい様こんにちは。
「2272」の闘病日記、微笑ましく読ませていただきました。
というのも私、さっしい様とほぼ同じ経験をしまして、その経緯が全く
そっくりだったからです。
時は昭和41年6月下旬、志村線が廃止になって一ヶ月目位でした。
その夜、就寝中に突然激しい下痢に襲われまして、自宅療養していたの
ですが、一向に良くならず、都立豊島病院に緊急入院となりました。
到着するなり看護婦さんに浣腸され、恥ずかしいやら痛いやら!
診断の結果は「擬似赤痢」、発病の原因は今もって不明です。即刻、
隔離病棟に収監、3週間の入院が決定しました。しかし不安を感じ
たのは最初の2〜3時間でした。なぜなら病室は子供の楽園で私もう
まい具合に最年長。投薬も3日位で済み、あとはすっかり元気になっ
て12,3人の子分を持って、勉強・宿題のない天国の様な毎日でした。
当時は病室にTVは無かったのですが患者の中で金持ちの娘の親が
14インチ位のポータブルTVを差し入れしてくれたので「ウルトラマン」
や「マグマ大使」は欠かさず見る事ができました。
隣のベッドの田中という女のコはすごく可愛くてまともに話せなか
った記憶があります。そんな中、食中毒で入院してくる連中は、入院期
間が短いので後から来て先に出て行ってしまうので折角仲良くなっても
置いてけぼりになってしまったのが唯一、切ない思い出です。TVの娘も
先に退院してしまい、ラスト3日位はTV無し生活を余儀なくされたり…。
やはり小さい子と遊ぶのは飽きてしまって、年上の子の病室に遊びに行
くのが楽しかったですね。また、保健所から消毒班が来て小学校のトイレ、
教室、その他徹底的に消毒され、姉は肩身のせまい思いをしたそうです。
私も退院してから知ったことですが。
退院の日に入った大浴場のいい湯もしっかり記憶に焼きついています。
それにしても、隔離病棟に居た子供達がいかに多かったことか…。子供部屋
だけで4つ位ありましたからざっと常時50〜60人で大賑わい。同じ位、大人
部屋、女性部屋もあり、今思うと当時は、いかに不衛生な環境下での生活が営
まれていたんだなあと実感します。実は20歳の時も全く同じ病棟に耳下腺炎で
入院し、昔の記憶を辿ったのですが入院患者は7人位、子供は一人もいず、
空き病室だけが目立ち、異常に静寂した空間を見てきたからです。
まあ隔離病棟なんて人がいないに越した事はないですけどね。
というわけで、取りとめのない乱文、長々失礼したしました。
[2285] みんな見ていたあのテレビ :831列車
2004/05/06(木)20:41 [メール]
佐藤さんの書き込んだナレーション、そう「逃亡者」は♪ちゃ、ちゃ〜ちゃ ら〜 で始まるBGMとともにみんな覚えていましたね。
安易な再放送よりこうして思い出をたぐりながら話題にするほうがかえってはっきり記憶をたどることができるのも不思議です。
ダグ&トニーがめぐる時間旅行といえば「タイムトンネル」、あのタイトルマークをよく落書きしたものです。いつも肝心なところで次の世界へ「半強制的」に移動させられてしまうのがいま思えば無理がありますが、着いた先での冒険が「また次回のお楽しみ」というかたちで興味をひくように放送していたことになるのでしょう。
http://d51155.web.infoseek.co.jp/
[2286] 逃亡者! :RRE
2004/05/06(木)21:01 [メール]
「髪の色を変え、重労働に耐えながら、犯行現場から走り去った片腕の男を探し求める。」と言ったナレーションで始まったのを覚えています。ジェラード警部や片腕の男と毎週すんでの所ですれ違い、やきもきしたものですね。デビット・ジャンセンのあのもの悲しい表情に吸い込まれるようでした。
最初の放映の頃は未だ小学生だったので、あまりストーリ等には興味が無かったのですが、最終回間近になるとキンブルの運命はどうなるのか、果たして犯人は片腕の男か、と言う視聴者クイズを募集していた記憶があります。
中学生の頃16時頃からやっていた再放送は、学校が終わるとすっ飛んで帰って欠かさず観たものです。他に16時からの再放送帯でやっていたのは、「OO11ナポレオン・ソロ」、「ウルトラ・ゾーン(アウター・リミッツ)」、「青春とは何だ!」等が想いで深いです。
http://r2e.hp.infoseek.co.jp
[2287] まず夕方までのレスれす :さっしい
2004/05/06(木)21:19 [メール]
▼TADAさん▼
眠れぬ夜は掲示板…ということもないでしょうが、そんなときもありますよね。
昔は映画館が多かったのですね。テレビの普及以前は娯楽の中心だったのでしょう。
ボーリング場は、わ〜っと出来た割には、一時期のブームだったようですね。
レーシングカーのサーキットなんていうのも、あっという間に消えましたっけ。
僕も怪獣は大好きでしたが、映画は見たことがなかったもので、
雑誌の写真とか、付録の怪獣カード、ソノシートなどで楽しんでいました。
その手のものは、今残っていたら結構なお宝になるのかもしれませんね。
表紙がペギラの写真のノートに、ウルトラQとウルトラマンの全怪獣を登場させた
自作の漫画も描いたりしましたっけ。絵は下手でしたけれど。
当時の意識として、やはり怪獣は東宝で、大映や日活は格が下、と思っていました。
しかし、ゼンマイ動力で二足歩行する、大映系の怪獣のプラモデルは秀逸でした。
ガメラ対バルゴンの戦いをさせると、重心の関係か、必ずバルゴンが勝ちます。
仰向けにひっくり返ったガメラは、まだゼンマイが残っているため手足をバタバタ。
微笑ましくもあり、また哀れというか惨めというか、哀愁の漂う姿でもありました。
(以前同じようなことを書いたかとも思いますが。)
それにしても皆さん「わんわん忠臣蔵」御覧になっているようで、
なんだか寂しいやら悔しいやら…。ビデオでも探してこようかなぁ。
▼kazuhiさん▼
新パソコン、快適なようで何よりです。
メモリが増えるだけでも、ずっと使い勝手がよくなりますよね。
HDDの寿命かと去年さんざん騒いでいたわがパソコンは、いまだに動いていますが、
近頃また、かなり大きな唸りを上げるようになってきました。薄氷を踏む思いです。
記録に残すということは大切ですよね。しかも確実です。
自分は中3〜大4(昭和45〜53年)の間は、かなり細かい日記を残しているのですが、
それ以降に関しては残念ながら、あまり明確なデータが残っていません。
日々の生活の忙しさに追われていた頃に関しては、記憶も曖昧であり、
「自分史」の空白時代にもなってしまいそうで、ちょっと後悔しています。
ところで、菅江真澄って、以前テレビで紹介されていませんでしたっけ?
「遠くへ行きたい」かなぁ? 渡辺文雄や永六輔あたりが好きそうなテーマですね。
kazuhiさん版の「おくのほそ道」が世に出る日のあらんことを。
▼佐藤文俊さん▼
挙げてくださったテレビ番組は、もちろん全部知っているのですが、
どれも見ていませんでした。う〜ん話題に乗れず残念です。悔しいなぁ。
我が家って、もしかしたら親が結構うるさかったのかもしれません。
実は、少年サンデーの「おそ松くん」が大好きだったのですが、
テレビアニメになったので、しばらくの間は楽しみに見ていたら、
ある日父親が横にいて、台詞の言葉が汚いと、テレビを消されてしまい、
以後、視聴禁止となってしまいました。まだ反抗もしない年齢でしたし…。
大人向けのドラマなども、あまり見せてもらえなかったのかもしれませんね。
中身は殆ど覚えていないのですが、家族が見ていたテレビドラマといえば、
「ララミー牧場」「ローハイド」「ベン・ケーシー」「サンセット77」
「七人の刑事」「事件記者」そんなところかなぁ。「ローハイド」は必ず
途中で眠くなり、気が付けばいつの間にか布団に運ばれて、寝ていました。
(自分の意志で見たわけではないので、時代がごちゃ混ぜだと思います。)
脱線シーンで思い出すのは、東宝映画「空の大怪獣ラドン」でしたか、
ラドンが羽ばたく風で、西鉄電車(の模型)がひっくり返るのですが、
床下配線のビニールコードが見えていたような…記憶違いかもしれませんが。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2288] タイムトンネル :佐藤文俊
2004/05/06(木)22:17
タイムトンネルとは、アリゾナ砂漠の地下数千メートルのところに造られた、人間を現在から過去へ、過去から未来へと自由自在に送る事が出来る驚異的な機械である。若き科学者ダグとトニーは・・・・・
で、時計みたいなカッチン、カッチン、カッチンてな感じのテーマ曲でしたね。
あれのプラモ、作りましたよ。あの白黒の渦みたいなスクリーンが裏の豆電球で光るだけって言うどーでもいーモノでしたけど。
フィリピンでスキューバダイビングをやった時、水深40mのところで直径10mくらいの渦に巻き込まれてグルグル回りながら「うあーっ!」って感じで宇宙に投げ出されたようにになったんですが、あの時、「これってタイムトンネルのダグとトニーが次の時代に送り込まれる時みてえだな!」って瞬間的に思った事があります。
[2289] レス「夜の部」…って何か妖しい? :さっしい
2004/05/06(木)22:27 [メール]
なんだか映画やテレビネタでミョ〜に盛り上がってしまっているようで、
「鉄道趣味サイトの風上にも置けない掲示板」になりつつあるようです。
もちろん鉄道ネタ歓迎ですので、書きこみたい方は遠慮しないでくださいね。
鉄道趣味サイトの「風下」でも良いので、置いといて頂ければ幸いです。
▼志村TCさん▼
おやまぁ(遊園地?)、まさに同じような体験ですねぇ、驚きました。
浣腸や即刻入院や同室の女の子など、これまた酷似していますねぇ。
実はその娘とは、ちょっとした行き違いから、一度喧嘩をしてしまい、
その後、仲直りする場面が、また子供らしくて面白かったのですが、
…って、そんなことだけは良く覚えているんですよ。
自分もどうやら赤痢の「疑い」で、本当は大腸カタルかもしれなかったのですが、
疑わしきを罰しても良い世界だったのでしょうね。退院後、学校で周りの連中から
「赤痢赤痢〜」と言われ、「えんがちょ」みたいにいじめられた記憶もありますが、
すぐに夏休みに入ったおかげで、二学期にはすっかり忘れ去られたようでした。
余談ですが、自分が学校を休んでいた、この小2の6月、どうやら算数の授業で、
引き算をやっていたらしいのです。そこがすっぽり抜けているためか、
いまだに買い物をしても、お釣りの計算は苦手で…(言い訳に過ぎぬという説あり)
しかし確かに「闘病記」ですよねぇ、映画館の話だったはずなのに…。
映画「西遊記」については、東映あたりの作品だったのでしょうか。
だとしたら手塚治虫の作品だったのかな、う〜ん、記憶がイマイチです。
ディズニー映画のように、かなり滑らかな動きだったように思います。
沙悟浄が、刺又みたいな武器で地面に穴を掘り、体も一緒にねじれながら、
ウィ〜ンと潜って行くというシーンだけ、なぜか覚えているんですけど…
(決して岸部シローではありませんでした。)
▼831列車さん & 佐藤文俊さん▼
おぉ、やっと…! 「タイムトンネル」ならば、熱く語ることが出来る作品です。
これは小学校高学年の頃でしたか、大好きで毎週見ていました。
学校でも友達と「転送ごっこ」と称して、あのトンネルの中を泳ぐポーズを、
スローモーション風に演じて遊んでいたものです。最後は床や校庭にゴロッと。
しかし、この当時世界史は習っておらず、実際の事件は全く知らなかったもので、
そのあたりの面白さがもう一つわからなかったのは、今思えば残念でした。
そういう点では、むしろ親父の方が喜んでいたようです。(世界史の教員でした)
自分は「ネロの亡霊」のようにお化けが出てくれば面白がっていましたし、
ロケットだの宇宙人だの、過去よりも未来の方が楽しかった思います。
もちろん話の性質上、過去の方が作りやすいでしょうから、ずっと多かったですね。
10数年前だったか、深夜に再放送されていたので、何話かはビデオに撮りました。
しかしランダムに転送されるはずなのに、よりによって歴史が大きく動くような、
ちょうどその日の、その場所に行ってしまうという設定の強引さ…
また、二人が行った先の映像を研究所のトンネルから見られるわけですが、
一体どこに何台カメラがあったのだろうか、とか、余計なことまでも…
佐藤さん、僕もプラモデル作りましたよ〜。(ショボかったですね…)
▼RREさん▼
こちらでは「OO11 ナポレオン・ソロ」が守備範囲です。(知ってて良かった)
いやぁ、あれには、はまりましたねぇ。なんたってカッコ良かったです。
ロバート・ヴォーンとデヴィット・マッカラムもですが、
吹替えの声の、矢島正明と野沢那智が、正にピッタリでしたね。
逆に、あの顔だとあの声というふうにインプットされちゃってますので、
他の映画で他の声優さんがアテレコしたりすると、とても違和感がありました。
そのあたりは、オードリーやブロンソンなんかも同じなのでしょうね。
「荒野の七人」や「タワーリング・インフェルノ」でヴォーンを見れば、
どうしてもナポレオン・ソロに見えてしまって、華麗に危機を脱出できると思い、
「大脱走」でマッカラムを見れば、どうしても「イリヤ・クレヤキン」に見えて、
もっとスマートに脱走できるだろ〜が、なんて思ったりしたものでした。
今も地下鉄日比谷線で「入谷」を通るたびに、この番組を思い出します。
タイトルも凝っていて、カラーで見るととてもきれいだという噂でした。
ところがもちろんこの当時、家にはカラーテレビがありません。
しかも夜の放送なので、近所の金持ちや友達の家で見るわけにもいきません。
そこである時、横浜で電気屋をやっている親戚の家に泊めてもらいました。
そういえば、ウルトラマンも、ジャングル大帝も、それぞれ1回だけは、
その家のカラーテレビで見せてもらったものでした。涙ぐましい時代ですね。
ちなみに我が家にカラーテレビが入ったのは、アポロ11号の年、
それこそ、ちょうど今週から連載を開始している「昭和44年」のことでした。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2290] 同病相楽しむ :赤電・青電
2004/05/06(木)22:30
さっしい様 志村TC様
映画と病院の話題で盛り上がっていますね。
実は、私も豊島病院隔離病棟に入院した経歴があります。
お二人の経験より、もう少し後の時代で、おまけにシーズンオフの2月に入院したものですから、大部屋に2〜3人でした。高校生でしたので大人部屋に入り、検便でひっかかった調理師のおじさんと一緒でした。そのおじさんが、毎日夕方になると窓の下に
見えるあかちょうちんを眺めては「ああ酒が呑みたい。呑みたいなあ。」とつぶやいて
いました。
ある日、先に退院した別のおじさんが、見舞いに訪れ、懐からトリスを取り出して
プレゼントしていきました。調理師さんは、私にも飲め飲めとすすめ、トリスのカルピス割をつくってくれました。ちょっと甘すぎた感じでしたが調理師さんは満足げでしたね。
自分は、検便の結果、細菌は出なかったのですが、赤痢と診断されてしまいました。
2週間ちょっとで退院できたので、3月末には、東北へ旅行にでかけられました。
退院のとき、志村TCさんと同じ風呂に入ったと思いますが、入浴するときの脱衣場
から浴槽から上がるところは一方通行で、新しい服が用意されているのではなかったでしょうか。外にでたときは「出所したなあ」という感じがしたのは、年齢差でしょうね。
同じ年の9月末に同じ症状になりましたが、このときは「大腸カタル」の診断で入院
はしなくてすみました。
[2291] タイムトンネル補遺 :さっしい
2004/05/06(木)22:47 [メール]
831列車さんも書かれていたオープニングタイトルですが、
人間が砂時計にどんどん埋もれていって、もがいてでもいるかのような、
シュールというのか、ちょっと怖い雰囲気じゃありませんでしたっけ?
音楽は佐藤さんの仰るように、時計のチックタックでしたね。(漫才師にあらず)
そういえば弊サイトの昭和40年代ローカル私鉄のコーナー、
元来は「タイムトンネル」という題名をつけていたのでした。
もちろん、この番組を思い起こしてのことであります。
(…ん? じゃぁ今回みたいなネタは、前にも書いたんじゃなかったかな?
プラモデルの件も、TADAさんか誰かがWEBサイトを紹介してくれたような)
ところで、この掲示板、いよいよ取り留めなくなってきましたが、
いくら「鉄バカ」でいたくはないとはいえ、鉄道趣味を冒涜していないかと…
いやいや、本来「ぽこぺん」は子供の頃の遊びだったのですし、
昭和懐古館、懐かしの映画・テレビ博物館でも、もう何でもいいです。
そういったものも資料を保存してあれば、利用することも出来たのですけれどね。
それではまた火に油を注ぐように、いずれ「我が映画館史」の続きも載せますね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2292] 逃亡者の最終回 :佐藤文俊
2004/05/06(木)22:52
あれの最後ってキンブルが片腕の男を遊園地に追い詰めたら男がジェットコースターの上から落っこちて死んじゃうんでしたよね。
その後か前に親戚の男が実は犯行を目撃していたのに怖くてキンブルの奥さんを助けられなかったから恥ずかしくて証言出来なかった、とか言うんでしたよね?忘れちゃったなあ。
あのシリーズはアメリカの貧乏な部分を見せてくれた気がします。それまでの現代モノのドラマはデッカイ家に新型のデッカイアメ車、何でも入ってる冷蔵庫によそ行きの格好にエプロンをしたママって感じでしたからねえ。アメリカ人て皆んな金持ちだと思ってました。
ところが、「逃亡者」にはぶつかってへっこんでる型の古い車とか、「貧乏な田舎モノ」とか「差別されてる人」とか、生身に近いアメリカ人が出てきて子供心にも「何だかホントっぽいハナシだなあ」って感心してましたね。
あれで理解できなかったのは、アメリカって州が変わると警官が追ってこないんですよね。「電話すりゃあ捕まえられるのに・・・」ってヘンでした。
私の母も祖母も「キンブルさん」の味方で、ジェラード警部がキンブルを追い詰めると、ムキになって「ホント!コイツ、悪い奴め!」なんて怒ってるんですよ。私は「ジャラード警部は自分の仕事を一生懸命やってるんだ!」って妙に冷静でしたけど。
[2293] 看護婦さんに優しくしてもらえるのなら :さっしい
2004/05/06(木)23:00 [メール]
▼赤電・青電さん▼
皆さん、鉄道ネタよりも、よっぽど反応してくださいますねぇ。
程よく年を取り、懐かしい時代を語りたくなる年齢なのでしょうか。
それとも「癒し」の必要な、殺伐とした今の時代のせいなのですかね。
なるほど、大人になってからの入院は、酒が飲めないで辛いでしょう。
赤電・青電さんは高校生ということでしたが、
お酒を勧められたり、大人扱いされると嬉しい年代ですよね。
幸い僕は、この赤痢騒動以来、入院というものはしたことがなく、
病院生活の退屈さも味わわずに済んでいるのですが、
一泊の人間ドックなどは、リゾート感覚で結構楽しいらしいですね。
あ、でもやっぱり、酒抜きの病院食では我慢できないかも…
なんといっても、健康第一でしょうか。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2294] 「退院騒動の巻」と報告。 :志村TC
2004/05/07(金)14:04
赤電・青電様 こんにちは。
そうでしたか、赤電・青電様も豊島病院隔離病棟卒業(?)仲間だったのですね。
さて、書込みにありました退院時の清めの入浴ですが、私達の時は入院患者数も多く、その日も大人・子供合わせて20人位の退院がありました。
都合、3班位に分かれて入浴〜退院準備という手筈だったと思います。で、私は2班だったのですが、浮き足だっていたのでしょう、看護婦さんの指示をよく聞かずに1班に付いていってしまいました。
湯船は最高の気分で大人も子供も皆、ニコニコ顔。さて、上がって服を着替える段階になって(確かに入場した時と違う道順でした)、私の服がないではありませんか!
そうなんです、迎えに来た母は別棟で2班の子供達の中から私を捜していたのですね。私は母が迎えに来てくれてないと急に心細くなって必死に涙をこらえたのですが、遂に泣き出してしまったのでした。
今、着てきたパジャマは消毒に回されてしまって着る服がないですし。で、フルチンで泣いている私を周囲の大人達が「大丈夫、大丈夫だ」と慰めてくれた事は今でも忘れられません。
仕方ないんで再び、湯船につかり不安いっぱいで待っていたら2班の子供達と一緒に母が服を持って現れた時、又泣いてしまったのです。今度はウレシイのと自分の失敗に気付いた恥ずかしさとで…。この騒動で持ち帰るはずだった入院中に作ったプラモデルの数々を全て置き忘れてしまったのでした。
といった具合でいろいろ思い出深く、かつ貴重な体験ができた入院の顛末でした。
さっしい様 報告です。
5日、用事で東武線「松原団地」に行ったのですが、用事が済んでから折角ここまで来たのだからと新越谷まで一足伸ばしました。
そうなんです、気になっていた「南越谷三丁目児童図書館」になっている都電8125の現状を偵察してまいりました。道順は覚えていたつもりでしたが、あの辺どこの横丁も酷似していて迷うこと15分、やっと辿り着きました。
外観=以前(8年前)は無かったと思われる金網で側面を覆っていました。
いたずら防止か防鳥用かと思われます。前照灯は片方は健在でした。
路線系統板の行灯は外枠だけの状態、排障器はしっかり面影を止めています。
塗装はひどく下部はバリバリに剥がれまくっていました。
塗装はオリジナルと思われますが、だとしたら経過40年以上ですかね。
全体的にまだ修復可能な形状だと思いました。
内部=車窓から見たのですが、車内の本棚には本が整然と並んでいました。
前回も今回も休館でしたので入室することが出来ずとても残念です。
運転席を覗くとマスコンなどもしっかり装着されていました。
客席との仕切板のステンレス柱などピカピカでした。
公園などと違って常に監視の目が行き届いている事、建物の一部に取り込まれ
ている事、故に車内は土足ではなくカーペットばりでしょうか。だとしたら内部
の保存状態は予想以上に良好と思われます。
平日なら開館していると思います。しかし周囲は振興住宅地ですのでこういった古い形式の図書館は住民・子供達から見放されたら存続の危機となるかも。このままスクラップになるのは偲びないものを感じました。
何しろ、オリジナル塗装で現存する8000形はこの8125だけですから…。どなたか金持ちの方、引き取ってくれませんか、なんて夢想してしまいました。
[2295] 8000形も「都電らしい」車輛でしたね :さっしい
2004/05/07(金)22:33 [メール]
▼志村TCさん▼
微笑ましい病院体験記、楽しく読ませていただきました。
「フルチンで泣いている」も、子供時代の志村TCさんだから良いものの、
高校時代の赤電・青電さんだったとしたら、う〜ん…恐ろしいかも。
都電8125のご報告ありがとうございました。
しかし「10年もてば」という思想で作られたとされる、あの8000形が、
50年近くも経とうとしているのに、今こうして存在していること自体、
何か不思議な感じがして、感動すら覚えます。
物を大切に扱うという心が、利用する子供達にも伝わると良いのですが。
≫ どなたか金持ちの方、引き取ってくれませんか
佐藤さん、いかがでしょうか? 蒲原君も、独りじゃ寂しいのでは?
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2296] ★雑談「我が映画館史」(その3) :さっしい
2004/05/07(金)22:37 [メール]
このシリーズは「自分が今までに映画館で見た映画の本数が
いかに少なかったか」ということで書き始めてみたのですが、
何やら皆さんの少年時代の思い出を誘発する源となっているようですね。
それはそれでまた、一つの役割を果たしているとも言えるのでしょう。
「キスカ」「日本一のゴマすり男」
小4の頃だったでしょうか。父に連れられ、
後楽園方面の映画館で見た記憶がありますが、時期も場所もうろ覚えです。
詳しい方もいらっしゃるでしょうが「キスカ」は戦争映画だったようで、
キスカ島でしたっけ? 軍艦で日本軍を救出に行くんだったか?
う〜ん、あまり興味も無く、内容も小学生には面白くなかったような。
しかし、同時上映の「日本一のゴマすり男」の方は、ご機嫌でした。
当時大好きだった植木等の、無責任サラリーマンシリーズで、
いつだったか佐藤さんも語っていましたね。(おすしさんの板だったか?)
「お呼びでない」も「スーダラ節」も「ハイそれまでよ」も大好きでした。
ところが僕は、ストーリーそのものは全く覚えていません。
主人公(植木等)の役名が「中 等(なか・ひとし)」で、
「名前は中等(ちゅうとう)でも、頭は高等なんだ!」とか言う台詞だけ、
妙に耳に残って覚えていました。そのぐらいでしょうか。
…というわけで、今回はエピソードも特にありませんでした。
(短くて良かったのかもしれませんね。)
「我が映画館史」(その4)へ続く
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2297] ありがとう御座います :Ekimi
2004/05/08(土)0:13
丹荘駅の写真、保存させて貰いました。
最終的にはヤード跡は、全て開耕されてコスモス畑になっていたので、片隅に草に覆われた土の山に成ってしまいましたが、まぎれもなくホームでした。
宅地化の波と言われる程の波では有りませんが、少しずつ人口は増えていますね。
相応しいか?と聞かれると難しいです。全線の殆どが遊歩道に整備されていますので、歩くのには楽です。しかし、遺構を探すのは難しいですね。
途中駅の[神川中学校前][寄島]のホームは残っていますが、それ以外では整備されすぎてしまい面白みは少ないです。
[2298] アップのお知らせ! :RRE
2004/05/08(土)8:24 [メール]
さっしいさん おはようございます。
本日は最近のこのBBSの流れに逆らって鉄分100%の案内で申し訳ありませんが、本年4回目の弊サイト更新の連絡です。
今回のアップは
我が国初のオール・ステンレスカー −「東急・7000系」
我が国最短のミニ地方私鉄 −「紀州鉄道」
我が国唯一の量産電気式DL −「DF50型DL(日豊線)」
の3コンテンツです。どうぞご笑覧下さい。
http://r2e.hp.infoseek.co.jp
[2300] 梅雨の予告編みたいな日ですね :さっしい
2004/05/09(日)11:30 [メール]
朝から窓を開けていたら、突然、雨が降り込んできました。今日は降ったりやんだり。ジメジメした季節の到来ですかな。まだ気温は高くないので、しっとりと落ち着くのは好きなのですが。
▼Ekimiさん▼
何か気恥ずかしい思いですが、写真もお役に立てれば光栄です。現役当時から、上武鉄道の存在自体、大変影の薄いものでしたが、今のように情報網の発達した時代ならば、もっと注目されていたでしょうか。
年末のあの日、自分と友人以外に、たった一人の乗客がいました。そして途中区間でも、2〜3人の小学生が乗っただけでしたが、それでも利用されてはいるのだなと、妙に感心したものでした。この時、友人のポータブルカセットテレコで車内音も録りましたが、オープンテープにダビングしたものの、それさえどこにあるのやら。
今回は未発表の、丹荘駅構内の腕木式信号機の写真を載せておきます。南側を望んだ所でしょうか? 向こうに上武や国鉄の貨車群が見えます。広々としたヤードで、土地はいくらでもあるぞといった感じでしたね。左端のポイント小屋も気に入って、アップでも撮っておきました。いずれ機会があれば、廃線跡歩きでもしてみたいものです。
▼RREさん▼
いえいえ、鉄道ネタ大歓迎です(…って、当たり前なのですけれど)。いつもながらの美しい写真を楽しませていただきました。ステンレスやアルミ車は、モノクロ写真だと質感が出にくいものですが、RREさんは流石ですね。自分の東急7000の写真などは何かイマイチです。
しかし、何といっても今回最大の感動は、紀州鉄道でした。特に当時のカラー画像は、大変貴重なものではないでしょうか。ローカル私鉄らしい、地味で落ち着いた、良い感じの塗装ですね。そのままレイアウトに再現すれば、TMSの表紙を飾れるような、
良き時代の地方私鉄そのものです。再利用の廃車体も絵になりますね。
実は、RREさんの写真の2週間ほど前に、初めて和歌山を訪れていますし、11ヵ月後には名古屋からグルッと紀伊半島を回り、御坊駅も通っています。寄れたら良かったのに…と、今更ながら。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2301] スリラー・カー 恐怖の体験? :さっしい
2004/05/09(日)11:34 [メール]
映画とは関係ないのですが、今回チラッと名前が出てきた後楽園ネタで…
後楽園遊園地は、自宅から都電の電停3つ、歩いても行ける距離だったので、
子供の頃は、家族や、近所のお兄ちゃん・お姉ちゃんや、友人たちと、
けっこう遊びに行く機会がありました。当時は絶叫マシーンも無く、
せいぜい怖いのはジェットコースターと宙返りロケットくらいだったかな。
でも臆病な自分はどちらもダメで、ジェットコースターで酔ってみたり…
コーヒーカップにも弱かったし、じゃぁ何に乗ったんだろ? 観覧車ぐらいか?
それでも、園内で売られているフランクフルトが食べたくて食べたくて、
誘われれば、こわごわ付いて行ったんじゃなかったかと思います。
スリラー・カーというのがあって、ただレールの上をゆっくり走るだけなのに、
館内で次々に現れるお化けたちが怖くて、やっぱりそれも苦手でした。
初めて乗ったときは、めちゃくちゃ泣いたんじゃなかったかな。
ともかくカッコ悪いので、何とか勇気のあるところを見せなくちゃと思いました。
ところが、ある日、ふと素晴らしい作戦を思いついたのです。
そうだ、見るからお化けも怖いんだ。見なければ怖くも何ともないはずだ、と。
そこで、親戚だったか近所の人達だったか、大勢で行ったときに実行しました。
周りで見ている人たちに胸を張り、車上から手を振って見せ、堂々と館内に突入!
(あのドアがバタンバタンって開いて中に入る時、メッチャ怖かったのです。)
そして館内に入った瞬間、すかさずギュッと目をつぶりました。
よしよし、これで怖いものも何も見えないな。やったぞ。ワレ作戦ニ成功セリ。
…と思ったものの、何やら不気味な音は聞こえますし、時々怪しい光も感じます。
やっぱり怖いので、とうとう顔を伏せてしまい、じっと我慢。早く、早く出口へ…
長い長い時間と、ものすごい緊張感と、激しい動悸と、冷や汗の果て、
ついに「バタン」という、出口のドアが開く音と、外の光が!。
その瞬間、とっさに顔を上げて胸を張り、思いきって目を開き、作り笑顔を…。
しかし、手は胸の前の掴み棒を、指が喰い込むほどギュッと握りしめていました。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2302] 花電車のCGできました :玉電80系
2004/05/09(日)14:39

こんにちは。最近、自宅のルータが不調でネット&メールが繋がらず、今も調子は良くないです。(泣
)
トップページ、花電車になりましたね。私も花電車のCG作ってみました。しばしばこちらの掲示板で画
像がUPされているのでタグが使えるのかと思ってUPしてみました。ちゃんとUPされてるでしょうか…。
さっしいさんの玉電塗装から東急色の緑色に車体が塗り変わっていった話、勉強になりました。
本などで150形の混色編成見たことがあります。その写真の日付はS45年の5月3日でした。
さっしいさんがあとで書かれた方が正しいようですね。150形以外の形式でも、この混色編成見れたん
でしょうね。
>母体回帰組
S44年当時、父も母もまだ小学生でした。私はS60年生まれです。
まだ前世だったりするのかもしれません(笑)
ただ、地元人の父が65号の花電車の写真を撮りにいったと言ってました。その写真自体物置の奥底らし
いのですが・・・。父の実家が砧本村の近くってほど近くはないのですが、二子玉川園へ遊びに行くと
きになど、しばしば利用したといってました。父が鉄分のない人なのが残念です。(笑)
それではまた。
http://www.ne.jp/asahi/mike/hp/index.html
[2303] これはすごい :TADA
2004/05/09(日)14:59
玉電さよなら花電車のCG、雰囲気でていますね、さっしいさんの撮られたトップ画像と何度も見比べてしまいました。
S44年当時は私も小学生だったのですが・・・(汗
入院中のお見舞いのプラモデル、当時は男の子への定番だったのでしょうね。
私もミドリのゼロ戦をもらいました。
単発機より双発機のほうが好きだったのでプラモデルのゼロ戦はいまだにその後組んだことはありません。
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[2304] きれいな作品をありがとうございました :さっしい
2004/05/09(日)16:34 [メール]
▼玉電80系さん▼
いやぁ、素晴らしいですねぇ。装飾の立体感が最高です。
せめて玉電の最終日は、カラーで撮っていれば良かったですね。
もう半年ばかり後だったら、そうしていたかと思うのですが、残念です。
でも今回のCGで、当日の雰囲気を再現して頂きました。
思えばこの当時は、人込みだろが構わずに写真を撮りに行っていたのでした。
それが、3年後の都電の最終日となると、もう人込みには近付くのも嫌になり、
装飾電車も無視するという変わりようで…ナイーブな青春時代だったのか。
緑一色の塗り替え途上の混結編成は、151+152と71+72を目撃しました。
それぞれ152と72の方だけが単色の新塗装で、151と71は玉電色でした。
これもカラーで撮っていないのが、なんとも…
掲示板にはタグも使えるようですが、単に画像を入れると間延びしてしまうので、
<img>要素にはalign属性を指定すると良いかと思います。
また、送信フォーム内で改行キーを押すと<br>タグが入りますので、
コピペの元原稿に<br>が入っている場合はご注意下さい。
なお、HTMLに堪能な方はタグを使用しても結構です(奨励はしません)が、
画像を直接入れる際は、後日リンクが外れることの無いようにお願いします。
そういう恐れのある場合や期間限定の際は、<a>のリンクでお願いします。
また「必要以上の」フォントサイズやカラーの指定は、ご遠慮ください。
▼TADAさん▼
玉電80系さんのCG、良かったですね。
しかし、なんとまぁ、我々とは「親子世代」ということなんですねぇ。
入院中、小さめの戦艦や戦闘機のプラモは(50円シリーズだったか?)
ベッドの上で組み立てて、病室の窓際に並べておいたりしたのですが、
叔父さんからのお見舞いは、確かモーターボートだったと思います。
その頃、モーター使用のものはまだ難しそうで敬遠していたのですが、
これはモーター&電池付きだったのです。それだけでも高級感がありました。
完成後は水上を走ったはずなので、マブチの水中モーターでも付いていたのか?
いや、船底に載せたモーターがゴムジョイントでスクリューを回していた気も…
ほんっとに、記憶というものは曖昧なものですねぇ。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2305] 玉電最終日 :さっしい
2004/05/10(月)23:05 [メール]
昭和44年5月10日。
ちょうど35年前の今日は、玉電の最終日でした。
まさに、今週のトップ画像そのものですね。
渋谷駅のホームには人が溢れ、線路に下りて写真を撮る人。
30形や40形も、昼間なのにどんどん車庫から出して最後の力走。
三軒茶屋の歩道橋の上には、こぼれそうなほどの人、人、人…。
200形連接車タルゴちゃんも、最後の最後の奮闘。
そして、美しく飾りつけられた装飾電車。
今の玉川通りや三軒茶屋からは、暖かさを感じられません。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[2306] 鉄分ゼロですが…。 :志村TC
2004/05/11(火)14:06
さっしい様 こんにちは。
「2296」で書き込まれました映画「キスカ」ですが、これ私の大好きな作品のひとつです。
封切りは昭和40年ですね。初めて観たのはずっと後年、昭和55年頃のTV放送でした。で、すっかり魅せられまして後に昭和61年にレンタルビデオ屋で発見した時は狂喜しました。現在ダビングしたものを保有していますが残念ながらベータ(β)ですので余命幾ばくもなしって感じです。目下DVDで発売されるのを待つばかり。
ですので映画館で観たことはないのですが、昨年、浅草散歩した際、偶然にも浅草新劇という映画館で上映中のを発見して、観たい心が大いにうずいたのは言うまでもありません(連れがいたので断腸の思いで諦めました)。
この作品、いつもはスーパーな役どころの三船敏郎が、反骨精神旺盛な人情味ある庶民的な艦長を演じていまして、そこのところが私のハートを刺激してくれました。
東宝の黒澤もの、特撮・怪獣もの、戦争もの、そしてクレイジーものは永遠不滅と盲信しています、ハイ。
[2307] 社長シリーズ :佐藤文俊
2004/05/11(火)16:24
最近では、こんな「地の果て」でもNHK衛星放送が観れるので有難いんですが、著作権の関係からか、日本映画は全然やってません。そこへいくと他国のチャンネル(このチューナーでは世界各国の放送が1000チャンネル近く観れます!)では古今東西の色んな映画が観れて面白いです。
フランスやイタリア物は有料でもないのに堂々とポルノ級のをやってますし、インドの映画はやたらと長くて1本が4時間なんてのがザラです。何しろ世界中からですからブータンとかアフリカ物とか日本では絶対に観られないものばかりで、衛星を観てるだけで充分に時間を潰せます。
最近観たので傑作だったのが1958年か9年のエジプト映画で、コレがモロに東宝の「社長シリーズ」なんですよ。
社長の「恐妻家だけど女好きのキャラ」から小林圭樹の秘書、その恋人の団玲子、バーのマダムの淡路恵子、など、びっくりする位に全て当てはまる登場人物が居て、ストーリーもアメリカの会社と清涼飲料水製造の現地生産契約を結ぶまでのゴタゴタお色気喜劇で全くおんなじなんです。社長シリーズでも、塗料会社で同じ話のがありましたね。それにしても宴会好きの「三木のり平風」まで出てくるんだから堪りません。
面白いのが、劇中の大道具小道具類です。エジプトの伝統的なところを残しつつ適度にアメリカナイズされていて、これも社長シリーズの奥さんの久慈あさみが和服で登場したり、数奇屋造りの旅館や料亭にきものの芸者が出てくるのとおんなじです。
更に運転手付きの社長車もアメリカ製1958年型ダッジの輸出向け専用のキングスウェイでこれも全く同じなんです。
とにかく、奥さんと彼女が鉢合わせして、その場をうまく誤魔化したり、ライバル会社に出し抜かれたり、年代も同じだし、まるでお互いに情報交換して作ったんじゃないかと思う程おんなじでびっくりしました。
[2308] もうしばらくは映画ネタもよろしく :さっしい
2004/05/11(火)22:32 [メール]
▼志村TCさん▼
へぇ〜、そうなんですか。「キスカ」ファンでいらっしゃったとは…。
たぶん自分は封切りの昭和40年に見たのでしょうから、4年生でした。
親父が好きなので、強引に付き合わされたのでしょうけれど、
内容はあまり良くわからないし、当時は興味が湧かなかったのだと思います。
でも今は、重みのある映画が好きなので、きっと面白いと感じることでしょう。
戦争映画では「トラ・トラ・トラ」が好きですが、不幸な歴史でもありますね。
▼佐藤文俊さん▼
流石ですね、こういうことを語って頂くと、佐藤さんの「独擅場」ですねぇ。
しかし好みが渋いというのか、たしか僕よりお若いはずなんですけれど。
自分は、この手の喜劇映画シリーズにはあまり入り込めませんでした。
人情ものでは、一連の小津作品と、寅さんシリーズぐらいでしょうか。
大作とかスペクタクルの方にばかり目が行く、ミーハーなのでしょうかね。
ド派手な「スター・ウォーズ」とか「ダイ・ハード」とか…
ちなみに「独擅場」ですが、「どくせんじょう」と読みます。
よく「独壇場」という誤った字で書かれ、しかもその字につられて
「どくだんじょう」などと読まれたりしますが、本来は間違いです。
しかし、近頃はむしろ、そちらの方が市民権を得てしまっていますね。
…と、また例によってウンチク垂れでした。【蘊蓄斎さっしい】
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[2309] 映鉄半々? :佐藤文俊
2004/05/11(火)23:40
ここに日本が舞台の「007は二度死ぬ」のペルシャ語吹き替えビデオがあります。(勿論、こんな色っぽいシーンがある映画はイスラム革命前に入ったものですけどね)
この映画には丸の内線車両が出るので有名ですが、その他にも、ほんの一瞬ですがショーン・コネリーと若林瑛子が乗ったトヨタ2000GTの横を都電の8000型が併走するシーンがあるんです。結構飛ばしてるんですが、あのスピードに乗ったときの8000の特徴的な「ゆーらゆーら」感がわかりますよ。懐かしいです。
それから、昭和41,2年頃のバルサンのテレビCMで上武鉄道のSLがさっしいさんの写真の2軸客車を牽いてるのがありましたよね。桜井センリが割烹着を着たおかみさんて感じで出てきて「♪おくさんシュッシュ、バルサン、シュッシュ、おくさんバルサン、シュッシュッシュ!」って歌うんですよ。最後に汽笛みたいな節で「おーくさーん!」て叫ぶんです。丁度、フマキラーの金梧楼(字がわからない!)の「べーーーーープ!」っていうのと同じ頃だったような・・・・
[2310] 007、009、0011…もありましたね :さっしい
2004/05/12(水)22:10 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
そうそう、ありましたっけねぇ、方南町支線。
組織の「自家用地下鉄」という設定でしたっけ?
しかし、そうですか、都電も出ていましたか。
007シリーズといえば、タイトルもかっこ良く、洒落た映画でしたが、
エッチなシーンが多いため、子供の頃にはあまり見られませんでした。
いや、だからこそ子供心にも、何となくそそられたのかも…
上武のSLのCMの話題は、以前にも出ましたっけね。
桜井センリの姿は覚えているのに、上武には気付かなかったなんて、
「鉄ちゃん」としては、、まだまだ修行が足りなかったのでしょうね。
う〜ん、でもその頃の自分は、地下鉄ファンだったんですよ。
部分開業のたびに乗りに行っては、記念切符を買っていましたっけ。
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[2311] ゼロゼロというと :TADA
2004/05/13(木)0:09
私はサイボーグのほうを思い浮かべてしまいます。これも昨年リメイクされましたね。
ところで「巨人の星」も再放送されているのはさっしいさんはご存知ですよね?
水曜深夜は HNK教育「サンダーバード」→TVK「巨人の星」→TV東京「鉄人28号」と見事に並んでいます。本当に今は昭和何年なんでしょう??
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[2312] 何か悲しい :kazuhi
2004/05/13(木)9:31
先日ここに書き込まん、とカチャかチャやっていたんですよ。もうそろそろ終わりにしようかな、何て思っていたら突然、画面が切り替わって、ページが見つかりません。暫く何もする気が起きませんでした、なんてオーバーですが、その後初めて書いてますので、大丈夫かな?おっかなびっくりです。
[2313] ナンバーズ宝くじは当たりませんが :さっしい
2004/05/13(木)23:36 [メール]
▼TADAさん▼
もちろん題名の「009」は、サイボーグのことです。
「007」ジェームズ・ボンドと、「0011」ナポレオン・ソロ。
そういえば「8823」ハヤブサなんていうのもあったような…
でも何か近頃は、電話番号の一部のようにも見えてしまいます。
テレフォンナンバー「6700」の歌も、CMで使われていますね。
「巨人の星」も再(再々々?)放送中でしたか。知りませんでした〜
でも深夜だと、なかなか…。ビデオに撮るだけの気力もイマイチですし。
しかし本当に世の中、昭和懐古趣味なんですねぇ。
▼kazuhiさん▼
お気の毒でした。この掲示板って時々(高い確率で)そうなりますよね。
以前よりは少し良くよくなったようですが、午後11時過ぎや金曜の夜などは、
掲示板自体に繋がらないということも、ままありますね。
自衛策として、フォームのテキストボックスに直接文章を書き込むのでなく、
メモ帳か何かで別にテキストファイルを打ち込んでおいて、
それをコピー&ペーストするのが確実かと思います。
これに懲りずに、今後とも、書き込みよろしくお願いしますね。
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[2314] 連勝ストップ :さっしい
2004/05/14(金)23:22 [メール]
本日、35連勝中の横綱朝青龍が北勝力に負けて、連勝が止まりました。
ところで先日の赤痢入院記の最後に、退院の際の車中の大相撲ラジオ放送で、
なぜか妙に「青ノ里」の名前が耳に残っているのだと書きましたが、
どうやら、その理由がわかりました。
昭和38年7月の名古屋場所では、大鵬が30連勝中でしたが、
5日目あたりで青ノ里に敗れて、連勝がストップしたそうなのです。
思えば今日の北勝力みたいな、その場所の話題の力士だったわけですね。
その頃は特別に相撲ファンでもなく、ほんの小さな記憶の断片なのですが、
やはり何かしら理由があるものなんだなと、納得してしまった次第です。
さて、そろそろ「我が映画館史」の続きを書かなくちゃ…(?)
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[2315] 今日は、のんびりできてます。 :錦糸堀車庫/M146
2004/05/15(土)18:27
久しぶりに、お邪魔します。
ズーット以前から私の片隅で気になってる事が有りまして、どなたか、記憶のある方がいらっしゃたら教えて下さい。
その気になる事とは、確か昭和44年か45年頃、コント55号の主演した映画で、欽ちゃんが、都電の運転手で、二郎(次郎、どちらでしたっけ?)さんが、お客(乗客)で、二郎さんも都電の運転手になったような・・・そんな内容だったと思うのですが、当時友人と今は無き「江東劇場」で、観た覚えが有って、気になってます。
そういえば、小学生の時、「江東劇場」(映画鑑賞会?)や、江東公会堂(観劇会?)、小学校6年の「日光」の往復などでよく『都電』の貸切を利用しました、帰りの際は、「錦糸堀車庫」の出庫線で待機している車輌に乗るので、38系統と同様、一旦、須田町方面に出て砂町方面にポイントを亘って帰るのですが、進行方向が逆に成るので、みんなで、大騒ぎをしたのを覚えています。
[2316] チンチン55号をぶっ飛ばせ :TADA
2004/05/15(土)20:08
横レス失礼します。
錦糸堀車庫さんのお探しの映画はこれですね?
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19183/comment.html
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[2317] 久々の都電ネタで :さっしい
2004/05/15(土)21:30 [メール]
▼錦糸堀車庫/M146さん▼
コント55号の映画に関しては、早速お答えがあって良かったですね。
以前、おすしさんの掲示板あたりでも話題になっていたようですよ。
坂上二郎さんも先日まで入院されていたようで、時代を感じますが、
あの二人のコントは、本当に体当たりの演技(?)でしたね。
都電の貸切車の思い出も、皆さんそれぞれに持っているようですね。
錦糸堀車庫前の方向転換など、やはり細かく記憶に残っているものですね。
自分は小学生時代、何の行事の帰りだったか、13番の貸切で、
新宿駅前の次の「角筈」電停から乗った覚えもあります。
回送線を通った時とは別の日だったか、そのあたりは曖昧ですが。
▼TADAさん▼
ご紹介ありがとうございました。
コント55号もさることながら、共演の長沢純さんも懐かしかったです。
以前書いたかもしれませんが、彼との縁で親父は雑誌「平凡」に載り、
姉はテレビのワイドショーのご対面コーナーに出演したりと、
我が家とは何かと縁のある人だったもので。
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[2318] だましだまし :さっしい
2004/05/16(日)22:56 [メール]
題名は「さだまさし」ではありません。
昨日は、あせりました。パソコンがおかしいのは去年からなのですが、
このところ何とか、小康状態を保っていたのです。(大康だったかも?)
ところが、ここに来てまた急に、全く起動しなくなってしまいました。
何度試しても駄目で、変な音はするし、今度こそ潰れるかと思いましたが、
ちょっとした弾みでまた起動でき、取りあえず買い替えは回避できたかと。
しかし、土曜の夜の更新直前だったので、一度は本当に諦めかけました。
ともかく、いつダウンしてもおかしくない状態が、半年以上も続いています。
そういう事情ですので、定期更新ができない場合もあるかもしれません。
その際は、なるべく他のパソコンから、ここへは書き込んでみますが、
今、即座に新しいパソコンを購入するのは無理なものですので…
今日もまた、運を天に任せ、祈りつつ電源を投入しました。
毎日、だましだましパソコンを使っているわけですね。
日常生活では、人を騙したことなんて無いんですけど〜♪
(あ〜、閻魔様には内緒にしといてくださいね〜)
ところで今週のトップ画像の東西線、何でもないスナップなのですが、
なかなか良い雰囲気が出ていると思いませんか?
雨の日って、しっとりした感じの写真が撮れるみたいですね。
当時からお気に入りの写真だったのですが、まさに自画自賛です。
でも中1のガキが撮ったにしては…と思っているんですけれど。
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[2319] 雑談でよろしきや。 :志村TC
2004/05/17(月)1:12
さっしい様 今晩は。
PCの調子が芳しくないそうで、ちょっと心配ですね。
私も勤務先のMac−G4も通信系の作業をしてる時に限り、やたらとゴネる事が多く、調子の悪い時は1日何度も再起動を余儀なくされます。
締め切り時間が迫っている時など「お願いだからフリーズしてくれるなよ」と祈りながらの作業、本当体に悪いです。保存してなかった時など最悪です。
表紙の更新「東西線5000系」ですが、私の地元の都営6号6000系に似ていて好きでした。
私が初めて「葛西」に降りたったのが昭和48年。開通してから大分たっているというのに駅の周囲は見事に何もなかった事を記憶してます。高架沿いの水溜りにコサギが何羽もいて「なんて田舎なんだろう」が第一印象でした。駅前の滑走路のような砂利の広い敷地、予備知識なく見たものですから、これは何になるんだろうと不思議でした。その後12年ほどして訪れた時、ビルやマンションが建ち並び、砂利の広い敷地は環状7号線に変身した姿を見て浦島太郎的気分になったものです。
3月末、威勢よく発表した5/16東京シティロードマラソンですが、体調不良20%と雨模様80%で「勇気」ある棄権をしました。なんとも情けない話でして…。
「2309」で佐藤文俊様が書き込まれていました「007は二度死ぬ」、早速、借りてきて観ました。フロントウィンドウ越しに走行中の8000形、しっかり映ってました。
この作品、TVで何度か観た事ありましたが、ビデオでじっくり観ますといろんな発見があって面白いですね。なかでもボンドが蔵前国技館で相撲見物するシーンは必見・記録ものだと思います。
仕度部屋で佐田の山と会話するシーン(後方に締め込み中の大鵬も!)、取り組みでは三役時代の若き日の琴桜とベテラン富士錦の対戦、行司は式守伊三郎(好きだったですこの行司)。花相撲のような、うそっぽい取り組みも結構、迫力ありました。しかしこの部分、撮影に相撲協会が全面協力したんでしょうね。館内の満員のお客も全部エキストラでしょうし、世界に相撲を知らしめる絶好のチャンスですし撮影出演料も破格だったんでしょうね。
その辺りのメイキングなんて知ってみたいです。
本日はつらつらと長文、失礼いたしました。
※「独擅場」。勉強になりました。私、今まで「どくだんじょう」を何度、発してしまった事でしょう。知らないって事は恐ろしいですね。
[2320] うんちくさい再び :蘊蓄斎さっしい
2004/05/17(月)22:40 [メール]
▼志村TCさん▼
営団東西線は、地元(生まれ故郷)初の地下鉄で、
神楽坂駅が出来たときは、本当に新鮮な気分でした。
忘れもしない昭和39年12月23日の開業日に、父と乗りに行きましたが、
最初の開業は、高田馬場−九段下間という、何とも中途半端な区間で、
当時の九段下には他の地下鉄も無く、従って乗降客も少なく、
開業後何日か経っても、3両編成の車内はガラガラでした。
それを思うと、今は隔世の感がありますね。
西船開業当時は、葛西も浦安も行徳も、本当に見渡す限り何も無く、
京葉線開業の頃に、その光景が再現された気がしましたが、
今や、どちらの沿線も全く様変わりして、近代的な街並みですね。
一時期、「A列車4」というPCゲームにハマっていて、
無人の荒野に鉄道を敷いて列車を走らせると、少しずつ街が出来て行き、
長い年月をかけて大都市に発展して行くという感動を味わったのですが、
まさにその感覚が現実化されたような地域だと思いました。
100年以上昔を思えば、新宿も渋谷も池袋も、そうだったのでしょうね。
志村TCさんは、いつも様々な話題を提供してくださり、
内容も楽しくて、その一つ一つにお返事したいのですが、
今日は少し熱っぽいようで、風邪薬でも飲んで、早めに寝てみますね。
あ、でもあと一つだけ…(またコロンボか?)
「どくだんじょう」ですが、別に、普通に使われて構わないと思いますよ。
国語学的に厳密に言えば誤りだということで、一般には認知されています。
「一生懸命」だって意味は通らないものの、世間では使用されていますね。
自分の場合は専門ということもあり、意識して「一所懸命」としていますが。
似たような例では、「消耗」「洗滌」「撒布」「攪拌」なども、
本来は「しょうこう」「せんでき」「さっぷ」「こうはん」なのですが、
慣用的に「しょうもう」「せんじょう」「さんぷ」「かくはん」などと読まれ、
それらは既に「誤り」とは認識されず、むしろそちらが主流になっていますね。
しかし「重複」を「じゅうふく」、「口腔」を「こうくう」と読むとなると、
自分にとっては、かなり抵抗感がありますけれど。
数人の方でも、いや、たとえお一人でも、こんなことにも興味を持って、
「へぇ〜」を押してもらえると、書く甲裴もあるのですけれど。
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[2321] 今週はずっと不順な天候ですかね。 :志村TC
2004/05/18(火)19:10
さっしい様
お体の具合いかがですか? 大丈夫ですか?少し熱っぽいとか。
ここのところすっきりしない天気がつづいてますから…
晴れたり、小雨になったり、三寒四温は身体に悪いですからね。
ご自愛なすってください。
私も本日、昨年の健康診断でひっかかった部位の二次健診がありまして
生まれて初めて、腹部超音波検査てのを受けました。よく妊婦が受ける
やつですね。肝臓の脂肪の状態を診たそうです。あと血液検査ですね。
結果は来週だそうで、いやはや健康が本当に一番ですよね。
では、お大事にお過ごしください。
[2323] 梅雨のハシリだそうですね :さっしい
2004/05/18(火)21:51 [メール]
今日はまた、何とも息苦しい天気でしたね。
暑いような寒いような、雨が降るような降らないような…
雨降り自体は、特に小雨の日などは、しっとりと落ち着いて好きなのですが、
変に日が差したり気温が上がると、イライラしたり、ボォッとなったり。
ジメジメしたこれからの季節は苦手ですが、エアコンで何とか凌ごうかと。
体調の方は、昨夜ルルをガバッと飲んで寝たところ、持ち直したようです。
年を取ると、体のあちこちにもガタが来るのは仕方ないのでしょうが、
自分も数年前に内視鏡検査をやった後は、そのままにしています。
病院嫌いなもので、なかなか自分からは足を運ぶ気になれなくて。
…って、往年の鉄道美少年(?)も、すっかりオッサンの会話ですねぇ。
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[2324] 昔11PMで・・・ :佐藤文俊
2004/05/19(水)11:38
志村TCさん
「007は二度死ぬ」ついでに・・・。
あの中で組立式小型ヘリコプターが出てきて漁村の上空を飛ぶシーンがあって、2人の海女がそれを見上げるんですが、そのうちの1人がメチャ若い松岡きっこなんです。
昔、11PMで松岡きっこが巨泉に「オマエ、ボンドガールだったんだろう?」とか言われてこのシーンを放映したのを思い出しました。
ま、どーでもいい事なんですが・・・・
あの映画は小4の時に封切りロードショーでリアルタイムで観てるんですよ。同級生の両親に連れられて日比谷映画街にコロナ1600GTで行きました。エッチなシーンが多くてバツが悪かったのと、佐田の山が中国人みたいでホンモノに見えなかった事、忍者が出てくるのが理解出来なくてそれ以降の筋書きがワケ分んなくなっちゃったりでしたが、やっぱり通学で乗ってる丸の内線が出てきて嬉しかったですね。
さっしいさん
こっちは既に気温41度です。CNNの天気予報を観たら昨日は世界で1番気温が高いのがこの辺りだったみたいです。次がカイロの37度かな。しかもこれは百葉箱の中ですから、砂漠の中の道路をクルマで飛ばして窓を開けて手を翳すと、まるで石油ファンヒーターの吹き出し口のようです。
それにしても「しょうこう」「せんでき」「さっぷ」「こうはん」ですか・・・。
[2325] 11PMと都電をつないで :さっしい
2004/05/19(水)21:27 [メール]
蒸し暑いのは、と〜っても苦手なのですが、
暑くても、カラッとしているのは好きなんですけどね。
ですから7〜8月あたりは、かえって元気だったりします。
しかし砂は苦手なので、そちらの風土には適応できないかと思いますが。
ところで11PMといえば、その昔、かの高松吉太郎氏も出演したんですね。
ピク誌のご本人の記事中に、出演したときのことが書かれていました。
もちろん、カバーガールと一緒に「ダバダバダ〜♪」と
やっていたわけではないでしょうけれど…。
でも、あの番組だったら、「チンチン・ゴー」でも充分危ないかも?
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[2326] あれまぁ… :さっしい
2004/05/19(水)21:35 [メール]
昨日の書き込みに ▼志村TCさん▼
今日の書き込みに ▼佐藤文俊さん▼
を、それぞれ入れ忘れていました。
おわかりとは思いますが…失礼いたしました。
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[2327] 羽後交通キハ4 :志を鈴
2004/05/20(木)14:39
こんにちは。ご無沙汰しています。羽後交通雄勝線サイトの志を鈴(旧しをりんこ)です
以前羽後交通キハ4の塗色の件ではお世話になりましたm(__)m
当サイトでキハ4の模型競作会を行いまして、結果発表と云うか・・・宣伝させてください(^_^;)
こちらに投稿されているkazuhiさんも12mmで参加くださいました
さっしいさん、kazuhiさん、皆様、いろいろありがとうございます
今度、走行しているところをケータイ動画で撮影して掲載できないかな?と考えています
http://siworinco.hp.infoseek.co.jp/contest.html
[2328] 涼しげなハンドルで :さっしい
2004/05/20(木)21:54 [メール]
▼志を鈴さん▼
洒落たハンドルになりましたね。
江戸の老舗の料亭か甘味処、といったような風情でしょうか。
これからの季節、水羊羹が美味しそうな…?(勝手にすみません)
羽後交通DCの色ですが、ツートンの上半分はどう表現すれば良いのやら。
水色とも薄緑ともクリーム色ともつかぬ、微妙な色合いでしたね。
模型にての再現場面を楽しませていただきました。
キハ04系に関しては、昔はありきたりだと思っていましたが、
ローカル線の雰囲気満載で、私鉄色にすると一層ムードが出ますね。
雄勝線の晩年の写真は、なかなか発表できずにいますが。
ところで、今は12ミリゲージがファインスケール(?)なのですか?
以前は、13ミリゲージというのがありましたよね。
16.5ミリにしても、Nの9ミリにしても、日本車のガニマタは気になりました。
日本独自でも、1067ミリの雰囲気を出せるゲージが早くから普及していればと、
模型界から遠ざかった今でも思っています。
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[2329] 遅レスですが・・・・ :坂下国郎
2004/05/21(金)16:13
さっしい様へ
ごぶさたしております。
東西線西船橋伸延、当日は春休みだったので友人と乗りました。南砂町を過ぎて地上にでると、まさにな〜んにもありませんでした。もちろん、西葛西・南行徳・市川妙典・なんてカゲもカタチもなかったです。葛西駅は東海道新幹線開業当時の「岐阜羽島」みたいでした。浦安・行徳あたりではアサリやハマグリがザクザクとれました。
M146様へ
初めまして。江東区にお住まいだったようですね。私は、T陽小学校→F川第四中学校です。日光の「移動教室」へは亀戸まで都電貸切でした。年齢もたぶん近いのではないでしょうか?私は昭和30年生まれです。
佐藤様へ
遠〜いところから・・・・・。
「奥さんシュッシュッ」は上武鉄道でしたか・・・。
桜井センリは「ルーチョンキ」のイメージが強かったんですが、そうでした、バルサンもやってました。ベ〜〜〜〜〜〜プッ、父がよく真似をしてましたっけ。
ところで、昭和43年頃、森永のCMで都電が使われてたのを覚えてますか? 「ヤングもり〜な〜が〜」というCMソングをバックに、15番の系統板をつけた2500形が登場してました。小川町を神保町方面に左折する(だったと記憶してます)シーンがありました。メインのキャラクターは当時人気絶頂のテンプターズでしたけど。
もうひとつ、どなたかご存知の方がいらっしゃれば・・・・。やはり昭和43年頃、トリブラという乗り物酔い止め薬のCMで、木曽森林鉄道(らしき)が使われてました。
[2330] 文字通りの、地下鉄「快速」でした :さっしい
2004/05/21(金)20:30 [メール]
▼坂下国郎さん▼
お久しぶりです。前回はちょっと余計な突込みをしてしまったので、
お気を悪くなされたのではないかと、いささか心配しておりました。
そうですね。東西線の西船開業は、3月下旬なので春休みでしたね。
開業が土曜日で、今週のトップ画像は翌日の日曜日だったと思います。
当時は大抵、開業日に乗っていたのですが、この時は何があったのか…
しかし、雨でも乗りに行くなど、やはり元気な少年時代だったのですね。
今なら面倒くさがってしまいそうです。
新線区間は本当に「無人の広野を行く」というムードで、荒川放水路橋梁は、
たしか新幹線の富士川に次いで、我が国第二位の長さだったような…。
運転席の後ろにしがみついて見ていたところ、時速97キロぐらいで飛ばし、
トラスがビュンビュン後ろへ飛んで行くという感じでした。
後日、あそこで電車が風に巻き上げられることになったんですよね。
葛西、浦安、行徳、原木…、当時は未知の世界という響きの地名でした。
「葛西のおばさん」という魚の行商人が、家に出入りしていましたっけ。
船橋・千葉方面へは、春の遠足でも良く潮干狩りに行きました。
保育園で谷津遊園、小学校で幕張や稲毛、中学では木更津だったかな。
東京から東の方って、自分にとってはそういう世界だったんですね。
そういえば「潮干狩り」のことを「ひよしがり」と言う友達がいました。
ちなみに、夏目漱石の『吾輩は猫である』には「行徳の俎(まないた)」
という言葉が出てきて、それでこの地名は知っていたのですが、
行徳では「馬鹿貝」がよく採れるので、そこの俎は馬鹿貝ですれている。
従って「馬鹿で人ずれがしていること」を言う隠語なのだそうですが、
今にして思えば凄い言い方ですね。地元としては迷惑な言葉でしょうね。
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[2331] そー言えば :佐藤文俊
2004/05/22(土)15:00
さっしいさん
30年以上忘れていた事を思いだしました。これはいつだったかも全くアヤフヤなんですが、多分開通前、東京駅(だったと思う)であの東西線の5000系(だと思うんですけど)が8両くらいの編成で走ってるのを見たことがあるんですよ。
ピカピカでしたからメーカーからの新製回送だったのか、それにしても白昼堂々と国鉄の線路の上、しかも大勢の人が見てる天下の東京駅を自走してたんですよ。しかも「いかにも回送」って感じの動きじゃなくて、「タタン、タタン、」なんて国電とおんなじ音を立てて・・・そんなワケないだろうから、あれは夢で見たのかもしれませんが、私の好みからいってあの車両が夢に出てくる事は無いのでやっぱりホントに見たんでしょう。
それにしても回送であんなところを通るんですかね?と言ってもどの線を通っていたのかも覚えてませんけど、八重洲のほうから赤レンガ方向を見たときだったような・・・・やっぱり中央線かな?
坂下国郎さん
「ヤングもーりーなーがー」憶えてますよ。私の記憶だと2000型のスカート付きか2500かな?ってアヤフヤな感じでした。交差点内をぐるーっと画面いっぱいに周る都電が嬉しかったです。当時すでに都電の未来は無い状態でしたから、アイドルと都電が一緒に出た事も嬉しかったです。
[2332] 考えると夜も眠れなく…? :さっしい
2004/05/22(土)22:52 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
中央線への乗入れ開始後の、新車回送シーンを目撃したのでしょうか?
武蔵野線が開業する前は、都心部の回送もあったとは思えますが…
「地下鉄はどこから入れた?」では、懐かしの夫婦漫才になってしまいますが、
第1期開業では車庫も地上区間もないため、吊り下ろして搬入しましたね。
第2期の中野−竹橋間の開業から、中央線との直通運転が始まったので、
国鉄線を回送しての入線が可能になったと思います。
東陽町の深川検車区ができてからは、隣接した越中島貨物線との連絡線を作り、
非電化区間ですので、蒸気機関車が牽引(推進)搬入して話題になりましたね。
D51と最新のステンレスカーとの取り合わせが、何とも不思議なシーンでした。
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[2333] 東京駅?の5000系 :佐藤文俊
2004/05/23(日)19:26
さっしいさん
あの時私は東京駅(2割くらいの確率で新宿かも?)のホームの端で別の方向を向いて山手かなんかを待ってて、加速しながら通過する103系みたいなタタン、タタン、と力行するモーター音を聞いていてたんですが、「ヒューーーーン、ツッ、コン!」と加速の途中でノッチ・オフした音がしたので何の気なしにそっちを見たんです。そうしたら丁度通過し終わるピカピカの5000系だったんですよ。「あ!」って感じでした。テールライトが真っ赤ででっかく見えました。よそ者のくせに全くフツーに走ってるのが印象的でした。
国鉄線内の回送って貨車に付けるみたいな円盤型の尾灯を付けるんですよね。でも、あの時はアレは付いてなかったような気がするんですけど。別の時かなあ?
言われてみれば、「東西線用の5000系だ」って分かったんですから、開業後ですよね。
[2334] 佐藤文俊さま :kazuhi
2004/05/23(日)20:00
遠くからご苦労様です。
国鉄線内の回送ですが、無動力の時はそうですが、その時は自走してたようですので、自前の尾灯でも良いと思います。
よそ者でもフツーに走るのは、運転しているのが国鉄の運転士、当時は機関士かな?だからそれがフツーなのだと思います。
でも、そこに在るはずの無い車輌だと違和感は拭えませんよね?
[2335] 営団5000系の話題 :FS329S1
2004/05/23(日)21:32
さっしいさん、ご無沙汰しています。佐藤文俊さん、はじめまして。
(旧)営団5000系は想い出の多い車両です。開業間もない44年春頃、行徳(現在の妙典駅のすぐ近く)にある墓参りで西船橋から乗ったのが最初だと思います。当時小2だったので、高架以外に何もない沿線風景位しか憶えていません。高校時代は大手町ー早稲田間を毎日利用していました。千代田線にも5+5がありました。静かなモータ音と滑らかな加速、ロータリー式の空気圧縮機の音がカッコイイのと、コクン、コックンと床板を通して絶え間なく空気制動の弁の作動音が精密機械のような印象を持ちました。反面、制動が全緩めになるとガックンと大きな衝撃があってちょっとクセがありました。今も活躍中ですが、冷房が付いて、制御方式も改造されましたが、モータ音はむかしのままですが、圧縮機は普通のレシプロ式に変わりました。トンネル中に響く程大きくなってしまったやかましい制動緩解音は感心しません。
ところで、東京駅の5000系の件は、交通新聞社刊「4Sを支えてきた車両たち 営団地下鉄車両写真集」金子元昭著で5000系車両の回送コースとして写真とともに紹介されています。
三鷹(電車区)−新宿(山手線)−品川−東京−上野(常磐線)−北千住(東武伊勢崎線)−草加−北千住−南千住(千住車両基地)
昭和41年3月の東西線中野−高田馬場・九段下−竹橋間開通に際し、増備された新車は大半が三鷹電車区へ、一部は千住車両基地に搬入され、三鷹で受取検査の終了した車両は三鷹−日野間で試運転が行われたそうです。千住からは三鷹まで逆ルートで回送されたので、41年始め頃は上野駅での常磐・山手線転線、新宿駅での山手・中央線転線が盛んに見られたのでしょう。以上、ご参考になれば幸いです。
[2336] 東西線の「快速」は憧れ :日本橋両国
2004/05/23(日)21:46
さっしいさん 掲示板の皆様、お初にお邪魔します。
つい東西線ネタに、引かれて来てしまいました。
西船橋まで開業した時、子供心に「凄いな」と思い、
地下鉄のくせに地上区間が長く、またビュンビュンぶっ飛ばす快速電車に憧れました。
しかし、
未就学児の悲しさで、一人で乗り歩く事など許されず、
事あるごとに、亡祖父や父親にせがんで乗せてもらいました。
そのくせ、車窓風景の記憶は殆ど消えてしまってます。
辛うじて
荒川橋梁のすぐ下にあった、砂町の工業水道浄水場と、
西船橋駅で乗り換えた、総武線ホームの上屋柱が木製だった事。
上り総武線車窓から、東西線の高架橋がいつまでも見えてた事など
変な所だけ覚えています。
後年になって地下鉄博物館で見た、東西線建設記録映画で
沿線が、白鷺が舞い踊る湿地帯だったと知りました。
手元に残る昭和48年8月のメトロニュース、
原木中山駅紹介記事のタイトルが「エビガニ」ですもの。
「一日の乗降客が7492人で、営団一少ない」「駅前の自転車とかやぶき屋根に障子戸の家」
との記載があります。開業後4年半経っても、こんなだったんですね。
今じゃマンション林(?)の中を行く区間が、長いですよね。
35年の歳月の経過は、感慨深いです。
長文になって仕舞い、失礼致しました。
また立寄らさせて下さい。
[2337] 佐藤さんが目撃した5000系は :さっしい
2004/05/23(日)21:58 [メール]
▼佐藤文俊さん & kazuhiさん▼
「試運転」ということは考えられませんかねぇ。
東西線が中央線と相互乗り入れを始めた時期でしょうし、
ましてや国鉄としては、初めて営団車輛を受け入れたわけですし。
中野−三鷹以外でも、一応確認のために運転してみたとか…?
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[2339] 東西線の思い出、続々と :さっしい
2004/05/23(日)23:03 [メール]
東西線は先週のトップ画像だったのですが、
ここに来て次々と皆さんの思い出が登場して、楽しく拝見しています。
▼FS329S1さん▼
解説ありがとうございました。やはり回送があったのですね。
5000系が千住に入っていたとは思いませんでした。
北千住には、国鉄と東武との連絡線もあったのですね。
メカのことはわからないのですが、
東西線は自宅に最も近い鉄道線ということで、5000系も大好きで、
前に書きましたが、初のHOゲージペーパー車体の自作もこの車輛でした。
コルゲートは鉄筆で白ボール紙に筋をつけましたが、なかなか難しく、
銀色のラッカーを刷毛塗りしたら、ボテッとなってしまいましたし、
窓の切り抜きも雑だったもので、ゲテモノっぽくなってしまいましたが。
5000系でも、コルゲートのないアルミカーの編成は希少価値で、
途中ですれ違うと、わざわざ折り返してくるのを待って乗ったり、
アルミ車体と1円玉とはどちらが硬いか、硬度実験(?)をしたりしました。
▼日本橋両国さん▼
おや「はじめまして」でしたか? 意外という気がしました。
おすしさんの掲示板で、良くお見かけしていたもので。
当方、都電ファンでもありますから、そのハンドルも何か嬉しいのです。
「メトロニュース」ですか、懐かしいですねぇ。
神楽坂駅ができて以来、友達と良く地下鉄に乗るようになったのですが、
乗らなくても毎月(月刊でしたっけ?)メトロニュースを貰いに行きました。
裏の地下鉄路線図の、特に計画線については興味津々でしたが、
浅草−三ノ輪間なんて、すぐにできるものとばかり思っていました。
千代田線用の6000系試作車の写真を見たときは、かなりの衝撃でしたっけ。
ちなみに当時、原木中山の「ばらき」という読みが妙に新鮮な響きで、
後には、チャールズ・ブロンソンを連想してみたり…(通じるでしょうか?)
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[2340] 東西線ネタ追加 :さっしい
2004/05/23(日)23:04 [メール]
ついでながら、小学生当時「子供だけで学区外に出てはいけない」という
学校の決まりがあったのですが、親は「子供に冒険は必要だ」と理解を示し、
おかげでいつも2〜3人の友人と、東西線に乗っては出かけていました。
大手町までの頃は、逓信総合博物館の常連みたいになっていましたが、
東陽町まで延びてからは、東陽公園に紙芝居を見に行ったりしました。
ついでのついでながら、神楽坂から中野へ出て、国鉄で東中野へ戻り、
ホームから見える映画館の「看板」を眺めに行ったりもしましたっけ。
これは、現地を知る人でないと意味はわからないでしょうが、
「東中野」もしくは音読みの「トーチューヤ」は、悪友仲間の合言葉でした。
小学生でも、ませ餓鬼だったんでしょうかねぇ。(「銀竜座」だったかな?)
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[2341] 不思議なシーン :佐藤文俊
2004/05/24(月)13:22
さっしいさん、Kazuhiさん、FS329S1さん、
皆様有難うございます。
東京駅で見たアレは夢じゃなかったんですね。後年、そんな筈はなあ、とか、顔が似ている都営三田線の電車だったかなあ?なんて、結構「人生に幾つかあるジレンマ」の1つだったんですよ。
そうするとあれは昭和42、3年頃って事ですよね。横に母が居たような気がするんですけど・・・。
あともう1つ
渋谷から山手に乗ったら、原宿を発車した直後にちょうどお召し列車と併走したんですよ。昭和50年頃で103系の時代ですね。
アレレレ?と思ってるうちに、もろにクロ157の前で数秒間同じスピードになって、ドア前に立ってた私なんかニコニコしている皇后陛下(昭和時代の)と目が合ったんです。
車内の乗客も「天皇陛下だ!」なんてビックリしてんですよ。「こんな事ってあるのかなあ?」って思っているうちに、こっちの103が「非常」に近いブレーキをかけて止まったんです。「やっぱりな!」って感じでした。
車掌が何て言うのかな?と思ったら「停止信号です!」
[2342] お召し列車 :さっしい
2004/05/24(月)22:26 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
たった一度だけですが、昭和50年前後の高田馬場駅で、
なぜかその日はいつもと違って西武線のホームにいたのですが、
国鉄のホームに何か業務放送が入ると、駅員の動きが慌しくなり、
貨物線(現・埼京線)側に全職員の注目が集まりました。
「…ん?これは?」と胸騒ぎがしたので見守っていると、
目白方面から、目の前をスゥ〜ッとクロ157の編成が!
お乗りになっていたのは、確かに昭和の天皇皇后両陛下だったと思います。
あっという間のことでしたが、いやぁ、びっくりしました。
佐藤さんの体験は、更に貴重なものでしたね。
やはり、たまたま併走してしまったので停めたのでしょうね。
戦前には、すれ違う貨物列車などは運休したと聞いたことがありますが、
戦後の時代でも、「畏れ」という自然な感覚は残っていたのでしょうね。
昨今のニュースにおける、意図的な敬語抜きの報道など、
自分としては、決して認める気にはなれません。
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[2343] お見送り、重なり。 :日本橋両国
2004/05/25(火)0:22
さっしいさん。
こちらの掲示板に、暖かくお迎え戴き有難うございます。
さてお召し列車関連の話で2つほど、話させて下さい。
もう20年ほど前ですが、
当時とある国電駅(西ス●)でバイトしてまして、
よく局報や業務関連通達を見る機会がありました。
確かその中にも、
「お召し列車が急行線通過の際は、駅長は構内○○位置からその通過を見送る事。」
なんて文言があったと、記憶しています。
ですから、さっしいさんが高田馬場で見かけた光景は、十分納得がいきます。
またとある日、近所の総武線下り線を、お召し列車が通過する事を知りました。
最寄駅(千ク●)で見ようと思いましたが、警備保安上きっと無理と考え、
少し距離がありますが「隅田川橋梁を通過するクロ157が見れればイイや」と思い、
両国橋上で待ってました。(ここでは、何回も警察官の職質に遭いました。)
「そろそろ来るぞ!」と思った矢先、上りの黄色の電車に重なり隠されて仕舞い、
全く見れませんでした。(ほんと見事としか言えません)
「お召し列車は特別な列車だ。」と思い直した経験でした。
ですから、佐藤さんの体験された”併走とニコニコ顔”なんて、
信じられないぐらい凄いことなんですね。
[2344] さっぷ :ラバーソウルみなみ
2004/05/25(火)2:12 [メール]
2320に飯能、いあ反応しました。
撒布という熟語を「さっぷ」と読むとは、知りませんでした。
「さっぷ」といえば、ぼぶ・さっぷですね。(笑)
なお、僕は、最近NHKのアナウンサーまで使う「目線」ということばが
嫌いです。やっぱり「視線」だろう!
http://rs373.cool.ne.jp/
[2345] 畏怖・畏敬の念は必要かと :さっしい
2004/05/25(火)22:07 [メール]
▼日本橋両国さん▼
伏字が妙に怪しくて、好きな雰囲気なのですが、
皆さん、いろいろな体験をなされているようですね。
通過見送りは、国鉄の内部規定によるものだったのですか。なるほど。
あの場合、西武側には何も知らされてなかったのでしょうかね。
平成になって、陛下の御意向か、警備は柔軟になったように聞きますが、
かつての都電の面影を求めて、半蔵門あたりをウロウロしたり、
写真を撮ったりしていると、やはり警察官がとても怖く感じられます。
もちろん「御苦労様」とは思うのですが、何か悪いことでもしているような…
とはいえ、「開かれた皇室」論には賛成しかねるのですけれどね。
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[2347] 国語問題を語らせてしまうと… :さっしい
2004/05/25(火)22:12 [メール]
▼ラバーソウルみなみさん▼
しおりか切手かプロレスネタか、もしくはビートルズか井上陽水か、
岡崎友紀か岩崎宏美か横溝正史ネタなら釣れるかとも思ったのですが、
思いがけず国語関連ネタで、仏子・元加治・反応してきてくれましたね!
(東飯能の次は「二色の高麗」だなどと言わないよ〜に。)
「目線」は嫌ですねぇ〜。NHKの立派なアナウンサーあたりが言うと尚更。
「お仕事のほう」や「1000円からお預かりします」なんかも嫌いですぅ〜。
時々書いていますが、最近多い「なな年」とか「なな人」も耳障りですし、
観光地やイベント会場などでのインタビューで良く耳にする、
「今日はどこからいらっしゃいました?」も、とっても変だと思うんです。
「撒布」は「さっぷ」、「撒水」は「さっすい」、僕は「さっしい」です(?)
しかし誤解されるといけないのですが、それだけが正しいわけではありません。
本来はそうだったのが、「さんぷ」「さんすい」という慣用読みが普及して、
今ではそれが「正しい」読みと認められていますので、お間違い無きよう。
テストに出たら、「さんぷ」「さんすい」で正解なのですよ。>学生諸君
実際、自分のパソコンのIMEでは、どちらでも変換されます。
逆に「消耗」「攪拌」などは、「しょうこう」「こうはん」では変換されません。
「耗弱」とか「攪乱」によって、「こう」という音は類推できるのですけれどね。
ちなみに、当用漢字制定以来「散布」という書き換えも認められていますが、
自分にとっては違和感が大きく、あまり使用する気にはなれません。
今は「当用漢字」自体が効力を失い、書き換える必要もないわけですね。
そんな理由もあって、「車輛」という表記にもこだわっている次第です。
…と、久々に国語問題を語ってしまいました。理屈っぽくて「ごめん〜♪」
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[2348] 「正しい日本語」ですよね。 :志村TC
2004/05/25(火)23:22
黒澤映画、不朽の名作「七人の侍」。
「ななにんのさむらい」と読む人は今のところ、私の周囲にはいませんが、その内、現れるかも知れませんね。
私も仕事柄、文字打ちを生業としていますが、若い人の書く原稿でいわゆる「らぬき」「いぬき」がすごい頻度で提出されるのが目につきます。その都度、修正していますが、「ら」「い」を入れると若い読者にマッチしないので入れてくれるなという注文がくる始末。これでは正しい日本語が伝承できません。なんか虚しい気持ちですよ、こういう時って。
と、国語問題で刺さってしまいました。
[2349] 皇宮警察 :佐藤文俊
2004/05/26(水)15:49
さっしいさんと私が目撃したお召し列車、時期的にも意外と同じかも知れませんね。
「気が引ける」と言えば、やはり昭和50年頃、正月の一般参賀に行き、坂下門をくぐって宮内庁の前に出たら当時既に珍しかったトヨタといすゞのボンネット型の灰色の警備車輌がいたので写真に撮ってたんです。
そうしたら、カメラのレンズの前に警官が立って邪魔するんですよ。こっちは「いすゞ」なんてひらがなの古いエンブレムを接写してましたからね。で、カメラの向きを変えるたんびに邪魔する警官が増えてきて、何となくヤバいな、と思ってたら、とうとう囲まれて皇宮警察まで連れてかれちゃったんです。
実はその「護送」されてる途中の車内でも、侍従か宮内庁関係者の、当時やっぱり珍しくなっていた黒塗りの観音開きクラウンがあったので「あっ!」っと言って写真を撮ろうとして阻止されました。
取調室では「何で警察のクルマを撮ってるんだ?」って言うから「古いクルマに興味があるんです!」って答えるんですけど、全然理解して貰えず、親にも連絡されたんですが、警官が嫌いなウチのオヤジが喧嘩腰で応答したので余計に心証を害しちゃったんですよ。
何だかんだと2時間くらいギュウギュウやられてフィルムは没収されるわで酷い目に遭いました。
この後もう一度、模型を作ろうと思って渋谷のパルコの前に最後迄残っていたクリーム色で屋根が赤の電話ボックスの寸法を巻尺で測ってたら、やっぱり「署まで御同行願います!」って私服の刑事に連れてかれました。
この時も前とおんなじで「模型を作るんです!」って言っても理解して貰えず、親に電話されて・・・
当時は成田がらみで過激派の爆弾騒ぎが頻発してましたからね。
今、あのエコーモデル製の電話ボックスを見るたんびに思い出します。
[2350] 国語問題 :志を鈴
2004/05/26(水)16:13
最近、知ってびっくりしたのですがメールなどにする「添付・貼付」ですが・・・貼付のほうは「ちょうふ」が本来の読みで、「てんぷ」は慣用読みだそうです
私も車両は居心地が悪く・・・車輌車輛を使います。方言をさす「鄙語」も「卑語」になったり、意思の「疏通」が「疎通」になるのも気になります・・・・・などといいつつも「疏」の字がすぐに思い浮ばない私でした
ヾ(@°▽°@)ノ
http://siworinco.hp.infoseek.co.jp/index.html
[2351] 国語と警察あれこれと :さっしい
2004/05/26(水)22:17 [メール]
▼志村TCさん▼
以前から時々ここにも書いてきたのですが、どうも放送局が最近のマニュアルで、
「なな人」とか「なな年」と読むよう指導しているとしか思えません。
「ななにんの侍」「ななねん目の浮気」も願い下げですが、
11月15日が「ななごさん」になるのではないかという心配も…
我々は、せめて都電の「池之端七軒町」だけは忘れないようにしておきましょうや。
「ら抜き」「い抜き」に関しても、仰る通りだと思います。
最近は「私にやらさせてください」というのも気になって仕方ないのですが、
この場合は助動詞の接続の文法的な間違いで、まぁ無理にでも分析すれば、
使役の動詞「やらす」+使役(許可)の助動詞「せる」とも取れるでしょうが、
そうなると「誰かに何かをやらせる命令を私にさせてくれ」ということになり、
実際にそのことを「やる」のは別の人、という意味になってしまいそうですね。
▼佐藤文俊さん▼
散々な体験をされましたね。北朝鮮でなくとも、まだそんな話があるのですか。
保育園時代には「お巡りさん」になるのが将来の夢だったんですけどねぇ。
林順信さんの都電の本を読んでいると、あちこちに警官嫌いの話が出てきますね。
確かに皇居周辺でカメラを構えるのは、なかなか勇気の要ることだと思います。
大手門から和田倉門や、桜田門の警視庁辺りは、神経を使ったことでしょうね。
そういえば、ある時、成田空港線の完乗を目指してJRで成田空港駅に到着し、
京成で戻るために改札を出ようとしたら、警官が一人一人チェックしていました。
身分証明の提示を求められたのですが、当時はまだ職員証も交付されておらず、
車の免許は無いし、保険証など持ち歩くわけもないので、かなり手間取りました。
「どこへ行く?」と尋ねられ、「切符を買って京成に乗る」と言ったものですから、
空港駅に着いて空港に入らないことが、かえって怪しまれたのでしょうね。
結局、CD屋のメンバーズカードか何かで無罪放免願ったように思いますが、
たしか、かばんの中も調べられたような…。オウムの事件の頃だったかで、
臨時の検問を設けていたのでしょうし、ご苦労様だとは思うのですけれどね。
▼志を鈴さん▼
そうなんですよ。貼付は本来「ちょうふ」なんです。京王線じゃありませんが…。
「垂涎(すいぜん)」なども、なぜか「すいえん」でも変換されてしまうのですが、
先日、IMEの「ろん」の変換候補に「諭」があることに気付いて愕然としました。
誤読する人のために用意されているのか…? なんとも気分の悪いものであります。
当用漢字への無理やりな書き換えも、孤軍奮闘、反撥していたいところなのですが
(ちなみにこの「反撥」も本来はこちらが正しいんですよ)、この年になって少し
気力が萎えてきてしまったのか、「交叉点」を「交差点」と書いたりもしています。
ひところは、正字・正仮名遣い(旧字・旧仮名)も駆使していたのですけれどね。
一応「国語問題協議会」の会員なのですが、このところ会費も滞納していたような…
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[2352] パンを買いに行くにも検問 :日本橋両国
2004/05/26(水)23:10
佐藤文俊様。
皇居内で警備車両を撮影してみたり、
街頭の丹頂鶴型の電話ボックスの実寸を取ったり、
流石ですね。敬服致します。
さて、警備がらみで私の体験です。
昭和60年に天皇在位60年を祝う式典が、両国国技館で行われた時です。
この時もゲリラ事件警戒の為、都内各所が検問所だらけでした。
そんななか、
なんと式典当日には、自宅のすぐ前(裏通り)にも検問所ができたんです。
驚きましたね。
朝起きたら(広域応援でいらした?)宮●県警の機動隊の方が立ってるんですから。
そして、近所に朝食のパンを買いに行くにも、検問を受けたんです。
まあ直ぐに住民はフリーパスになりましたが、あんな事は初めてでした。
このフリーパス特典(?)を利用して、
午後には、両国橋で陛下の車列をお見送りできましたので、
欠点ばかりでは無かったんですが。
(事件事故の未然抑止の為には、仕方ないんでしょうけど。。。)
[2353] イランの要人警備 :佐藤文俊
2004/05/27(木)14:08
イランでは、バイクは200ccまでです。それ以上は警察用と軍用だけです。何で?と訊いたら「要人の警備上の理由」だとの事でした。テロを警戒してるからでしょうが、要人が民衆と接する市街地では排気量が大きいバイクのほうが小回りがきかなくて爆弾テロには向かないと思うんですがねえ。
それからラジコンの飛行機、ミニ四駆も禁止です。やっぱりこれらに爆弾を載せて突っ込まれるのを警戒してるんでしょうし、実際にシリア辺りでそんな事があったらしいです。
どっちにしても、宗教で国民を牛耳るなんて無理ですし、後ろめたいからテロが怖いんでしょうね。
[2354] お召し列車絡みですが :kazuhi
2004/05/28(金)19:23
JRになってもお召し列車はやっぱり特別な列車なんですね。
知り合いのJRの車掌さん(若い人です)が併走するお召し列車をなにげなく見ていたら、車掌区に戻ってから二度と見てはいけない、と注意されたそうです。
本来、併走する可能性のある列車は、手前の駅でお召し列車が通過するまで止まるように時刻を変えておくのが正式な手続きのようです。
ですから、それをしなかった上層部まで大騒ぎしたとかしないとか。
なにかと大変みたいですよ。
昔、昔、国道沿いにマツダのコスモスポーツのパトカーが止まっておりました。
しかも窓まで開いていたので、なにげなく私は首を突っ込んで中を覗いてたんです。
そしたら、私の背中をトントン叩くので振り返って見ると、警官が。
咄嗟の事で一言も言わず私がよけると、警官も一言も言わず、中に乗り込んで走り去っていきました。
でも、件の警官の顔が、なにやら得意そうに見えたのは、気のせいだったのかな?
警察がらみで突然思い出したので書いてみました。
[2355] ひさしぶりに気持ちの良い日です :さっしい
2004/05/29(土)14:24 [メール]
関東地方は、久々に気持ちの良い天気の日です。
明るいけれど暑すぎぬ初夏の日差しに、心地良い風。
昨日までのジメジメした蒸し暑い感じはとても苦手でしたが、
今日は、陽を浴びての庭弄りと、汗を流した後の昼ビールでご機嫌です。
こんなささやかな幸せだけの人生ならば、続ける価値もあるのでしょうね。
▼日本橋両国さん▼
それもまた、得難い体験ということでしょうか。
当事者にとっては、不自由でたまらないでしょうけれどね。
昭和60年代といえば(短かったのですが)、個人的には、
かなり充実していて楽しかった時期だったような気がします。
仕事も脂が乗って面白く、世の中も今より穏やかだったような…。
しかし昭和天皇の崩御、及び、それに伴う平成の到来と共に、
全てが狂ってしまったという感が、自分にはあるのです。
大相撲も、あの頃の方が面白かったように思えます。
北天佑、琴風、朝潮あたりが大関だった頃でしょうか。
▼佐藤文俊さん▼
一文字違いのイラクでは、また日本人の殺傷事件が起こったようですね。
イランは隣でしょうが、そのあたり、どうも地理的な感覚が無いもので。
いずれにしても異郷の地ですので、くれぐれもご注意を。
とはいえ昨今は、日本国内でも安心して暮らせるとは言い難いのですが。
イスラム教もキリスト教も、宗教というのは何だか理解不能なのですが、
いずれにせよ、人を狂気に駆り立て、限りなく追い込むものなのでしょうね。
仏教や神道にしても、妙にムキになる時代もあったわけでしょうけれど。
自分は、ご先祖様をはじめとする死者の魂、幾多の先人の業績や苦労、
また、自然界に存在する畏怖すべき現象(それが神でしょうか?)に対して、
利害損得なしに、素直に手を合わせ、頭を下げることの出来るような感情、
そういうものを大切にしていくことが「宗教的な心」なのだと思っています。
…ん? 我ながら、なかなかうまいこと言ったような。(…って自画自賛?)
▼kazuhiさん▼
へぇ〜、最近でもそうなのですか。
先日来述べているように、節度ある畏怖・畏敬は必要だと思っていますが、
この時代でもそういう習慣がまだ生きているということに、
良い悪いは別にしても、軽い驚きと感動を覚えました。
どこぞの国のように独裁者を完全警護するのとは異なりますけれどね。
それでさえ、最高指導者が通った直後に列車が衝突して大爆発ということも…。
警察官、消防署員、自衛官ほか、身を危険に曝す職業の方は尊敬していますが、
どうも昨今、警官が身近な存在には感じられなくなっています。
数年前、ちょっとした事件で警察の協力を求めたことがあったのですが、
交番のお一人を除いては、なかなか親身になって取り組んではもらえず、
それでいて、父が個人的な縁で県警の要人に話を持って行ってくれたところ、
それ以後、署長以下の態度が急変し、厚遇されるという経験をしました。
助かりはしたものの、かえって何か釈然としないものが残りました。
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[2356] 地震だそうで :さっしい
2004/05/29(土)21:19 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
イランで地震があったそうですね。
たった今、NHKのニュースで知りました。
大丈夫でしたか? お気をつけて。
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[2357] 地震 :佐藤文俊
2004/05/29(土)22:29
さっしいさん
御心配有難うございます。地震はテヘランから北のようです。ここから1400km離れています。
昨日のイラン時間の夕方6時半でした。こちらのマスコミは対応が遅く、首都テヘランでは余震が怖くて皆んな公園などで一夜を明かしパニックになってるようです。
市民の情報源として国営放送はウソばかり報道するので全く信用が無く、アテにされているのは何とアメリカのペルシャ語謀略放送「自由の明日」で、中波で聴けるために被害状況の把握などに役立っているようです。
私はちょうど一ヶ月前に今回の震源地を通りました。2年前にも近いところに大地震が来たばかりです。
[2358] 1400km… :さっしい
2004/05/29(土)23:35 [メール]
▼佐藤文俊さん▼
被害が及ばなくて何よりでしたが、お仕事にも影響があるかもしれませんね。
しかし、同じ国の中でも1400km離れて…ですか。はぁ〜。
東京から1400km行ったら、しっかり海の中か、へたすりゃぁ他所の国ですね。
北海道から九州の直線距離ですもんねぇ。世界は広い…いや日本が狭いのか。
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[2359] 来週から試験・・・ :玉電80系
2004/05/30(日)1:37 [メール]
お久しぶりです。
ネットも未だに安定しているとは言えず、気づけば来週から試験が始まります。
さっしいさん
先日はCGの感想ありがとうございました。
こちらの掲示板のタグのアドバイスありがとうござます。
>緑一色の塗り替え途上の混結編成は、151+152と71+72を目撃しました。それぞれ152と72の方だけが単色の新塗装で、151と71は玉電色でした。
貴重なお話ありがとうございます。東急電車形式集3にも151+152の混色編成が載ってます。偶数車から新塗装になったんでしょうかね。
TOPページの写真、先週、今週と小田急ですね。
現在2670Fの車内に、先週の塗装の写真がありこました。結構明るい色で派手でしたね。
豪徳寺の駅、今じゃ随分変わってしまいましたね。ホームの窓から世田谷線を眺めることができます。もうじき上りホームも完成し、上りホームの窓から山下を眺められるかもしれません。
TADAさん
先日はCGの感想ありがとうございました。
>S44年当時は私も小学生だったのですが・・・(汗
親子世代ですね(笑
2月のオフ会でおすしさんをはじめ皆さんとあったとき、予想はしてましたがやはり10代は自分だけでしたね(汗
でも皆さんの昔話聞いていてとても楽しかったのでまた機会があったら参加したいです。
今度こそはちゃんと準備してCGを配付したいです。
佐藤文俊さん
>地震
お久しぶりですと同時に、ご無事で何よりです。
>アメリカのペルシャ語謀略放送
これは驚きました。
お体にお気をつけてお仕事がんばってください!!
長文になりましたがこれで失礼します。
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[2360] 玉電の再研究に着手したいと思います :さっしい
2004/05/30(日)10:40 [メール]
▼玉電80系さん▼
試験ですか〜。頑張ってくださいね。でも今となっては懐かしいなぁ。
自分が当事者だった頃、特に高校時代は辛い思いばかりでしたけれど、
今では、何か一つの目標に向かって努力するというのは気分の良いものです。
漢字検定や、パソコン関係の資格試験を立て続けに受験した頃は、
我ながら鬼気迫るという雰囲気で集中して勉強し、それがとても快感でした。
世田谷線の緑一色への塗り替えに関しては、
昭和45年当時の雑誌の投稿記事には、誌ごとに多少の異同があるのですが、
総合して判断すると、3月26日出場のデハ72から塗装変更が始まり、
4月6日に152、4月16日に85、5月7日に86という順で塗り替えられ、
10月ごろまでには全車完了したと考えられそうです。
弊サイトの玉電コーナーは、かなり叙情に流れてしまっていますね。
HP開設当初は、鉄道ファンの人より、むしろ一般の読者を意識して、
言うなればエッセイ風の、柔らかい内容を目指していたのでしょうね。
それはそれで、隠れファン(?)もいるのかもしれませんが…。
玉電に関しては、未発表写真も多少残っていますので、
世田谷線としての後日談も含め、いずれ加筆修正したいとも思っています。
(しかし、「いずれ」やりたいことが、むちゃくちゃ沢山あるなぁ…)
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[2361] 補足です :さっしい
2004/05/30(日)10:55 [メール]
▼玉電80系さん▼
書き落としましたが、トップ画像のご感想ありがとうございました。
「タイムスリップ35」になってからは、派手さ(?)が減ったため、
皆さんからはあまり興味を持たれないかと心配にもなっていたもので…。
中学生が普段の土日で出かけられる範囲での地味な場面が多くなりますが、
自分自身の「鉄道趣味史」を綴る上では、ちょうど良いかと思っています。
当時の豪徳寺駅のホームは、玉電の真上までは延びていませんでしたので、
昨夜掲載したキャプションを、多少修正しておきました。
ホームの端から玉電山下を見下ろした写真は、玉電コーナーに載せてあります。
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[2362] あるものですねぇ :さっしい
2004/05/30(日)14:16 [メール]
自分のサイト内の、初期に作成したページを何気なく眺めていたら、
文章の単純なミスタイプを発見してしまいました。
それにしても4年間近く、そのまま世間に曝していたんですねぇ。
それもまたお恥ずかしい限りなのですが、
資料的な誤りなら指摘してくれる方もいるかもしれませんが、
文章の間違いとなると、見つけてもわざわざ教えてはくれないのでしょうね。
お気付きの点がありましたら、ご遠慮なくご指摘下さい。歓迎しますので。
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[2363] いずれやりたいこと :TADA
2004/05/30(日)22:55
困りました、サイト作成でこれをあげろといわれればゆうに両手では足りません。
あの鉄道もUpしたい、あのときの撮影旅行も、あの保存車も・・・
まぁ個人サイトなのですからあわてずマイペースで広げてゆければと思っています。
単純なミス、きっと私のとこにもたくさん潜んでいそう・・・
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[2364] やる気が高まりさえすれば :さっしい
2004/05/30(日)23:30 [メール]
▼TADAさん▼
やはり皆さん、同じような思いを抱いていらっしゃるんですね。
せっかく増えたWEB容量も、なかなか有効利用できずにいるのが現状です。
自分の場合は今の35年前シリーズを呼び水として、変哲のないスナップも、
最後に一応、年代ごとにでもまとめられたら、とは思っているのですが。
当初は半月ごとに増えていたローカル私鉄篇も、止まったままですよねぇ。
羽後や大井川あたり、作りかけていた時期もあったのですけれど…
都電アルバムにしても、最初の勢いはなかなか持続しないものです。
TADAさんの九州シリーズも楽しく拝見していますが、
自分自身が訪れていないせいもあって、感想を書き込めずにいました。
おっしゃるように、お互いマイペースで、のんびり行きましょうかね。
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[2365] ビートルズに都電が :さっしい
2004/05/31(月)21:21 [メール]
巨人の試合もないので、ビートルズ来日の際のビデオを見ていたら、
「ビートルズを叩き出せ」と演説をする、かの愛国党の赤尾敏氏の後ろに、
なんと都電の側面が映っていました。一瞬ですが、6021だったようです。
まぁ当時は銀座でカメラを回せば、必然的に都電も入ったわけでしょうね。
でも彼らが来たとき志村線はもうなかったんだなぁと、妙な感慨も抱きました。
そして今や、銀座の都電も赤尾敏さんも、ジョンもジョージもこの世に無く…
あの当時「エレキは不良」でしたよねぇ。
その翌年、小学生だった自分は、例の「東中野」探訪の悪友連中と組んで、
バンド(のようなもの)を結成し(アコースティックでしたが)、
当時の日本のGSの歌を、学級のお楽しみ会か何かで歌いました。
6人編成だったかな? ギターコードも知らないくせに良くやったものです。
ちなみに自分の担当楽器は、ギターとハーモニカ(までは良いのですが)、
あと、たしか「木琴」と「リコーダ」だったような…、はぁ〜。
その演奏(?)は散々なものだったのですが、
首謀者と見られていた僕は、後で担任から一人だけ呼び出され、
図書室で延々とお説教を喰らう羽目になったのです。
…と、次回の「我が映画館史」に繋げたいような話題でした。
(連載はまだ終わってないんですよ〜!)
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