[154] 謹賀新年 :さっしい
2002/01/01(火)0:26
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
とりあえずそれだけ…
[155] あけましておめでとうございます :TADA@年始回り
2002/01/01(火)1:04
今年も懐かしいひとこま、個性あふれる私鉄の紹介、気軽なお散歩でのちょっとした風景など楽しませていただきます。(^0^)
今回のトップも小田急が1900というところがなんとも言えずシブイですね。それにしてもきれいに当時そのままの色がでていること(@@)
運河駅、友人が住んでいるので何度か降りました。最初は「運河」行きの電車、って変な感じしたものです。
星一家は私も墨田公園のエピソート覚えていたので、そのあたりかな、と思っていましたが、一時はやった「謎本」に荒川区町屋説が紹介されていました。
ところで星一徹の指差す方角から「巨人の星」を特定した人がいるとか(^^;)
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[156] 賀正 :von
2002/01/01(火)9:22
"JS2VONのページ"の管理人vonです。
明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いします。
http://www3.justnet.ne.jp/~von/
[157] あけましておめでとうございます。 :さばきよ商店
2002/01/01(火)9:27
あけましておめでとうございます。
表紙のOERいいですね! あの色も懐かしいです。かつて
子供の頃、チャコちゃんなどTVで出てくる電車といえば小田急!
踏み切りの音も、違いました。
(最近、西武の踏み切りの音が小田急風になりましたが)
というわけで、本年もよろしくお願いします。
http://homepage1.nifty.com/sabakiyo/
[158] 謹賀新年 :てい
2002/01/01(火)22:15 [メール]
あけましておめでとうございます。リンクどうもありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
生まれが小田原なので小田急電車は僕が最初に見た電車だと思われます。
僕が見たときはもうとっくに現在の白地に青帯塗装になっていましたが、貫通扉上の2つの前照灯に窓上の尾灯という前面スタイルは懐かしいです。
http://isweb40.infoseek.co.jp/photo/nisimiya/
[159] 本年もどうぞよろしくお願いいたします :さっしい
2002/01/01(火)23:54 [メール]
改めまして、あけましておめでとうございます。
本年も、当HPをよろしくお願いします。
▼ていさん▼
このたびは、リンクありがとうございました。
こちらも更新しておきましたので、ご確認下さい。
「西宮後」駅の件ありがとうございました。固有名詞の読みは難しいですね。
名鉄は以前から、駅の廃止や統合を積極的に進めてきたようですが、
その全貌をつかむような、まとまった資料を持っていません。
何か良い資料がありましたらご紹介下さい。高価なものには手が出ませんが…
▼すみじさん▼
すみじさんにとって去年は、なかなか充実した年だったようですね。
パソコンの知識も技術も次々と身につけ、日々研鑽に励んでいる姿は立派ですね。
僕も、昨年来P検でも受けようかと思いながら、いまだにそのままになっています。
今年こそは挑戦してみようかな。受験の秘訣でもあったら教えて下さい。
それにしても、かつての「メガトンアタック・ひみはなのすみじママ」も、
今や大学の先生さまですもんねぇ〜、頭が上がらないなぁ〜
でも「プチ浜崎あゆみ」と化してるって、一瞬すみじさんのことかと思って…(絶句)
▼南野哲志さん▼
お正月もお仕事ですか、大変ですね。ご苦労様です。
好きな模型の製作が仕事なんて、傍目には羨ましくも見えるのですが、
それはそれで、また大変なご苦労があることでしょうね。
自分は昨年、仕事に関して挫折を味わいましたが、
ホームページは、これからも頑張っていきたいと思います。
三岐の動きも楽しみです。今年もよろしくお願いしますね。
▼RREさん▼
海も越えて精力的に動き回っていらっしゃるようで、さすがですね。
昨年はありがとうございました。いつも励まして下さり、感謝しています。
当サイトも、本編の方はなかなか更新が進まないのですが…
小田急は、あの時に登場した5000系から新塗装となり、他形式も順次塗り替えられました。
新塗装は旧形車にも及び、昭和46年までには全ての通勤車が変更されたように思います。
さて「気まぐれ散歩」シリーズは、鉄道を離れたものもやってみたいのですが、
この先どうなっていくかは、まだ自分でも掴めていません。末永く見守っていて下さいね。
▼TADAさん▼
小田急の写真は、初めて使ったカラーフィルムで、実はこの時の写真は大部分が失敗。
しかも、まともなものも、ネガがカビにやられたりしていて散々でした。
その中で、一応まともだった数少ないコマが、この写真でした。
1900系なども、新塗装となりますが、若作りの厚化粧のようで似合わない感じがしたものです。
まぁ短い間でしたし、元・63形の切妻1800系までもが、あの色になっていたわけですが…
「運河」駅ってインパクトありますよね。ユーカリが丘の「中学校」や「女子大」よりも。
鳴門線の「教会前」という駅も思い出しましたが、他にこの類の駅ってありませんかね。
星一家の住所は町屋でしたか。巨人の「星」は「おおいぬ座のα−1」だそうですね。
▼vonさん▼
こんにちは。このところちょっと御無沙汰してしまっています。
貴サイトの「鉄道サウンドライブラリー」は素晴らしいもので、
それぞれの現場の気分に浸ることができます。
ビデオも良いのですが、目を閉じて生録の音に聞き入っていると、
目の前に実際の光景が広がってきますよね。
昔の、何気ない色々な場面が、音で再現できたらなぁと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
▼さばきよ商店さん▼
小田急のOERという略称も、懐かしい響きですね。そういえばあの当時は、
TKK(東京急行)だのKTR(京王帝都)だのKHK(京浜急行)だの、
あちこちで、略称のローマ字が車体にも表記されていましたっけ。
しかし、踏切の音などは気にしていなかったのですが、
そうですか、小田急や西武の聞き分けができるんですね。
形式別の電車の音っていうのは、良く真似してみたものですが。
写真の方は、そのうちに西武も登場させたいと思いますので…
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[160] 謹賀新年 :はまとん
2002/01/02(水)13:45 [メール]
明けましておめでとうございます。
昨年は何かとお世話になりました。豪徳寺懐かしいですね。
今年も益々のご発展と 良いお年でありますよう お祈り申し上げます。
http://www.ne.jp/asahi/hamaton/kido/
[161] 大雪お見舞い申し上げます :さっしい
2002/01/03(木)19:44 [メール]
東海・北陸地方は記録的な大雪ということで、皆さんは大丈夫でしたか?
名鉄新羽島駅の高架線暴走は、一歩間違えば大変な事故になるところでしたね。
新幹線にも遅れが出て、交通機関が雪に弱いことを示してしまいました。
帰省中の皆さん、お帰りの際には、くれぐれもお気を付けて。
▼はまとんさん▼
お久しぶりです。
豪徳寺界隈や世田谷線沿線は、高校時代の定番デートコースでした。
僕の場合、屋根のあるところが苦手で、お寺や城跡や公園ばかり。
健全といえば健全でしたが、映画館とも喫茶店とも縁がありませんでした。
豪徳寺も良いお寺です。井伊直弼の墓の前で、よく蚊に刺されたものでした。
さて「浜頓別軌道」のサイトは、可愛らしい鉄道はもちろんなのですが、
「風景」のコーナーも好きなんです。自然の風景写真がきれいですね。
当サイトの「気まぐれ散歩」も、その流れを汲んでいるのかもしれません。
もっとも、こちらはゴミゴミしたところばかり歩いていますが…
今年もよろしくお願いいたします。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[162] 初めまして☆ :有華
2002/01/03(木)20:32 [メール]
明けましておめでとうございます。
私は中学3年生です。去年学校で習っていた先生にこのHPの事を聞いたことがあります。
そこで、今日は来てみました。
すごいなって思いました!!さっしいはすごいね☆
それじゃあ、また☆
[163] まだまだお正月? :さっしい
2002/01/04(金)9:25 [メール]
皆さん、お元気ですか?
そろそろお正月にも飽きてきた頃でしょうか。
お年玉がもらえなくなってからは、そんなに嬉しくもなくなったのですが、
やっぱりお正月って、のんびりできて、いいですよね。
おもちを食べ過ぎて太らないように気を付けて下さいね。
▼有華さん▼
いらっしゃいませ〜
珍しいルートからおいでになりましたね。
でも、せっかく来ていただいても電車ばかりじゃ、女の子にはねぇ〜
一般向けにも楽しいものをと、そういう気持ちだけはあるんですけどね。
今年は、少しずつ変身していきたいとも思いますので、
今後とも末永く、よろしくお願いします。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[164] 本年もよろしくお願いします。 :に〜みや
2002/01/04(金)10:46 [メール]
さっしいさん、そして皆様、あけましておめでとうございます。
悲しいかな、今日からお仕事です。(T_T)
給料は安いわ、盆暮れの休みは短いわ、全くウチの会社ときたら、
ホンマにロクな会社やないなぁ・・・。とグチったところで・・・
>ふふ、安打=ヒットということで、ニヤッとしてしまいました。
>だいぶ「おやぢ度」が上がってきているんじゃありませんか?
元から「おやぢ」かも・・・。(爆)
子供の頃から老成している「えなりかずき」よりはまだマシだと自分では
思ってるんですけど・・・。
>個人的にはこういうギャグが好きで、周囲に寒い風を吹かせています。
>会社で席替えですか。昔は「学園天国」みたいに戦々兢々でしたが…
実は、「担当用」より一回りデカい、「主査用」机になりました。でも、
肩書きは単なる「社員」のまま。当然昇進はしてません。単に余ってる机の前に
座らされてるだけなんです。(泣)
>サザエさんは、絵そのものが違いますよね〜。テレビだけのキャラもいますし。
>テレビでは「あく」を抜いて、家族向けにまろやかな味付けにしてあるのかな。
しかし、長いこと続いてますねぇ。原作者が亡くなっても続いてますねぇ。
誰が話を作ってるんでしょう?でも、結構ネタ的にはマンネリですね。まぁ、
その辺が魅力なんだろうけど・・・。
[165] 阿波電気軌道ものがたり :に〜みや
2002/01/04(金)11:26 [メール]
>鳴門線の「教会前」という駅も思い出しましたが、他にこの類の駅ってありませんかね。
徳島のマイナーな駅名をよくご存知で・・・。駅のすぐ前に天理教の教会がある為、
こんな駅名なんですが、実は池谷寄りの隣の駅は「金比羅前」です。国鉄・JRらしからぬ
駅名ですね。鳴門線には他にも、「立道」(たつみち)という駅がありますが、この駅名は
全く地名(鳴門市大麻町姫田)とは関係がなく、この辺りの道が龍(たつ)のように曲がり
くねっていたのでこのような駅名が付けられたとか。
鳴門線・高徳線(吉成〜板野間)及び鍛冶屋原線(国鉄時代に廃止)は、元々阿波電気軌道が
大正時代に建設した路線で、撫養(むや)〜池谷(いけのたに)〜吉成〜古川間を大正5年に、
池谷〜板野〜鍛冶屋原間を大正12年に開業しています。
後に撫養駅が港から遠いという事で地元住民から要請があリ、撫養から路線を延長し、
元の「撫養」を「蛭子前」に、新駅を「撫養」とした。後に「撫養」が「鳴門」と改称し、
「蛭子前」は「撫養」に戻されるというややこしい変遷を辿っている。整理すると・・・
開業時→延長時→現 在
撫 養→蛭子前→撫 養
___−撫 養→鳴 門
となる。つまり、現在の「撫養」が「蛭子前」と呼ばれていた頃には、「金比羅前」・
「教会前」・「蛭子前」と3つも「○○前」という駅名が連続して並んでいたという事になる。
福井の「ベル前」もビックリですな。(どーゆー意味?)
軌道会社は撫養新駅から更に岡崎桟橋まで路線を延長する計画を立てたが未着工に終わった。
また、池谷から鍛冶屋原までの路線を開業した後、更に西へ阿波郡市場町内までの延長をも目論み、
鉄道敷設の免許を取得していたが、こちらも会社の経営難から着工できないまま免許は失効した。
阿波電気軌道は後に阿波鉄道と改称するが、当初電気軌道と称していたものの、元から蒸気運転の
軽便鉄道で1,067mm軌間であった。元々は電気運転を目指していたものの、電力の供給がままならない
事が判明し、やむなく蒸気動力に切替えての開業であったという。また、当時の別宮(べっく)川、
つまり現在の吉野川に架橋し得る資金に困った軌道会社は、吉成〜古川間にあった中原(なかばら)
から4隻の発動機船で徳島市内の助任(すけとう)・仁心橋・新町橋・富田橋を結ぶ河川航路の
連絡船を運航した。
連絡船とは言っても14〜18t位のモーターボートに毛の生えた程度のもので、巡航船と
呼ばれていたという。ちっぽけな船ではあったものの、国鉄買収後も吉野川橋梁の完成・
吉成〜佐古間開業までは立派に日本唯一の国鉄河川航路の連絡船として立派にその役目を
果たしたのであった。
一応、軌道会社としても徳島市内への鉄道敷設は計画しており、古川から徳島市出来島へ至る免許を
取得していたが、経営難から着工できないまま国による買収という結末を迎えたのであった。
[166] ちょっと訂補・・・。 :に〜みや
2002/01/04(金)15:28 [メール]
今日は仕事がヒマなので(いつもそんな事言うてるような気が・・・。)思い出しついでに
ちょっと書き加えてみましょうかねぇ。下で「池谷〜板野〜鍛冶屋原間を大正12年に開業」と
書きましたが、現在の板野駅は開業当時、板西(ばんざい)駅という駅名でした。元々は板西と
板東とを合わせて「板野」だったハズなのですが、町村合併で板東やその他の小さい町村は私が
小さかった頃に鳴門市に吸収されてしまいました。ちなみに、TV等で有名な板東英二の家は
元々この板東の出である。(注:板東英二自身は旧満州の生まれである。)
国鉄が吉野川に橋梁を架け、高徳線が全通すると、連絡船と盲腸線となる吉成〜阿波古川間は
廃止されました。この高徳線吉野川橋梁は我が国初の3径間連続トラス橋で、この橋梁を元に
して、東海道新幹線の富士川橋梁が架けられたのだとか。
[167] また来ちゃいました☆ :有華
2002/01/04(金)19:39 [メール]
まだ中学生なのでお年玉はもらえる年頃です♪
今年はお餅全然食べてないなぁ〜・・。
今時分がいる季節が好きと前にさっしいは言ってたよね?
いっぱいお餅食べてそうですね(笑)ほどほどに〜・・。
[168] 「初・気まぐれ」しましたよ〜 :さっしい
2002/01/04(金)20:49 [メール]
「気まぐれ散歩5」アップしてみました。
ちょっと中途半端なウォークだったのですが(いつもかな?)
他の目的もあって、鎌倉の裏町を時々うろついています。
しかし行動範囲が狭くて、ホームページとしては変化に乏しいかな。
最近よく東京にも行ってるんですが、鉄ネタじゃなくて。
▼に〜みやさん▼
新年早々から、お仕事ご苦労様です。
そして、新春書き込み3連発、中身も濃いですなぁ。
鳴門線の沿革など、そのまんま研究レポートになりますよぉ。
「撫養」の変遷は知っていましたが「蛭子前」の時代は知りませんでした。
やはり「えびすまえ」と読んだのでしょうか? 古事記では「ひるこ」ですが。
そういえば、確かに福井鉄道の「ベル前」も、すごい命名ですね。
こちらはショッピングセンターの名称なので、固有名詞ではありますけどね。
「市役所前」の類なら、全国どこにでもありますが、あと普通名詞っていうと…?
▼有華さん▼
お年玉か、いいなぁ〜。たくさんもらえましたか?
お餅は好きですが、今年は僕もあんまり食べてないんです。
う〜ん、それでも太ってる気がするけど…
「今、目の前の季節が好きだ」って言ったこと、覚えていてくれましたねぇ。
確かにそうなんですが、実はお正月って、あんまり好きじゃないんです。
だいたい始まりは苦手で、その反対に終わりが、特に年末が大好きなんです。
あ〜ぁ、また360日ほど待たないとなぁ。
でも、梅の香る早春、2月から3月にかけても、かなり好きです。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[169] あけおめ〜(中学生風に(笑)) :すみじ
2002/01/05(土)0:04
さっしいさん、皆さま、明けましておめでとうございます。
三が日も過ぎてお仕事モードに入った方もいらっしゃるようですがいかがお過ごしですか?
私の場合は年末の大掃除を頑張ったわけでもないのに2日から体調を崩しすっかり弱っております。
仕事始めが11日以降なものですからまだ余裕があるのですが、それでも新年早々これでは今年は先が思いやられます。
ところで関東方面はよいお天気だったのですね。
「気まぐれ散歩」の鎌倉の写真はとっても晴れた空が綺麗でしたね。
ああいった場所にふらりと出かけられる場所にいらっしゃるさっしいさんが羨ましいです。
でも、おひとりじゃ寂しくありません〜??な〜んて。
最近はこちらのサイトも若い女性の方もいらっしゃるようでなによりでしたね。
ご自身のホームページの訪問者の性別、年齢層の偏りについては予てよりご不満だったようですし(笑)。
これからも「気まぐれ…」の内容を充実させることで違った層をターゲットにできるかも、です。
(って、まるで会社のマーケティングのプレゼンみたいに…)
冗談はさておき、そろそろ「気まぐれ…」のコンテンツもトップから溢れそうですね。
独立も間近でしょうか?そうなるとトップの大幅模様替えもあり、かな?
そういえば、明日は土曜日でしたねぇ。こりゃ大忙しだ。
でも、頑張ってくださいませ。
楽しみにしてらっしゃる方がいっぱいいらっしゃるのですからね。
それでは〜。
[170] 本年のアップ第一弾です!! :RRE
2002/01/05(土)11:10 [メール]
さっしいさん 明けましておめでとうございます。
きまぐれシリーズも好調の様ですね。本年も宜しくお願いします。
所で早速ですが、今年の初アップです。
「地方へ行った東急青ガエル」 「キハ07のいた有田鉄道」
「台北地下鉄」 「台湾の電気機関車」
の4編をお送りします。ご笑覧下さい。
http://users.goo.ne.jp/r2e
[171] 大雪もバイトももう終わり :てい
2002/01/05(土)18:01 [メール]
本日やっとで郵便のバイトが終了致しました。
終わりの頃は雪に降られて散々でした。
この雪で名鉄の赤い電車も頭に雪をかぶる珍しい光景も見られました。
しかし同時にこの雪で新羽島では電車が高架からダイブしかけました。
時々乗る線なので特に怖いですね。
・さっしいさんへ
>名鉄は以前から、駅の廃止や統合を積極的に進めてきたようですが、
>その全貌をつかむような、まとまった資料を持っていません。
僕はJTBキャンブックスの「鉄道廃線跡を歩く」シリーズや「名鉄の廃線を歩く」を参考にしています。
中でも「名鉄の廃線後を歩く」の表見返しの名古屋鉄道昭和16年発行の沿線案内の路線図が一番
参考になります。
これを見ては電車に乗って「昔この辺に駅があったのか・・・」と車窓から探しています。
http://isweb40.infoseek.co.jp/photo/nisimiya/
[172] 風の強い日でした :さっしい
2002/01/05(土)19:22 [メール]
▼すみじさん▼
おりゃ? すみじ先生、中学生と張り合ってますなぁ〜
それにしても、お正月早々体調を崩されたようですが、大丈夫ですか?
今年も無理しないでマイペースで、のんびり行きましょうね。
鎌倉に限らず散歩は好きなので、気疲れしない一人旅もいいものですが、
たまには関東へもいらして下さい。鎌倉でも横浜でも東京でも、ご案内しますよ〜
今年は当サイトも、鉄道一辺倒から脱却し、内容を拡充していきたいと、
一応、今のところは「思っている」だけですが…
▼RREさん▼
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
RREさんの初更新、早速拝見してきました。
東急5000系は、全国いろいろな小私鉄で、ほんとに良く活躍しましたよね。
今は東急7000や、京王5000、3000あたりが、その任に当たっているわけでしょうか。
青ガエルは冷房装置を搭載できなかったのが残念でしたね。
有田鉄道は、キハ07はもちろん、キハ250の鈍重なスタイルがなんともいいですねぇ〜
▼ていさん▼
年賀状配達ですか? ご苦労様でした。
東海地方は大雪だったそうで、よけい大変でしたよね。
横浜も今日は午後急に曇ってきて冷たい雨、少し雪も混じったようです。
JTBキャンブックスの鉄道関係は大体持っていて、路線図も大いに参考になります。
広江駅と霞ヶ丘駅については「鉄道廃線跡を歩く4」に載っていましたね。
国鉄については資料が多いのですが、私鉄に関しても全貌がつかめると良いですね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[173] お言葉に甘えて :イズラー
2002/01/06(日)21:16
やってまいりました。タイムトンネル(昭和40年代の鉄道)を拝見させていただきました。
岳南鉄道は何かの行事に出席するため本吉原まで乗ったことがあります。
流山電鉄は乗ったことはありませんが、出張で長期間利用したビジネスホテルが幸谷駅の近くだったことを覚えています。
[174] 同じかな〜・・。 :有華
2002/01/07(月)0:22 [メール]
お年玉は・・あんまり貰えなかったかも!?
子供が言うのもなんですが不景気ですので・・。
私も、さっしいと同じかもしれない!!年末は好きです。
終わろうとしてるものに愛情が残っていくっていうか・・。
中学校ももうすぐで卒業です!卒業するのは嫌だな〜ってよく思います!
このまま、このメンバーで高校にいけたらいいのにって・・。
別れがあれば出会いもあるっていうけど、私は出会いはなくても言いから別れたくないって思うなぁ・・。
本によると、受験生はいちばん季節に敏感な人らしいです。
確かにねぇ・・って思いました!!
[175] 実家の近所を走っている線なので。 :に〜みや
2002/01/07(月)11:21 [メール]
さっしいさん、どうも。
>新年早々から、お仕事ご苦労様です。
>そして、新春書き込み3連発、中身も濃いですなぁ。
>鳴門線の沿革など、そのまんま研究レポートになりますよぉ。
>「撫養」の変遷は知っていましたが「蛭子前」の時代は知りませんでした。
>やはり「えびすまえ」と読んだのでしょうか? 古事記では「ひるこ」ですが。
素直に「えびすまえ」と読むのでしょう。
>そういえば、確かに福井鉄道の「ベル前」も、すごい命名ですね。
>こちらはショッピングセンターの名称なので、固有名詞ではありますけどね。
>「市役所前」の類なら、全国どこにでもありますが、あと普通名詞っていうと…?
鳴門線の「教会前」と「金比羅前」、撫養の前身の「蛭子前」位しか思い浮かびませんねぇ。
「○○前」という駅名は。う〜ん、他にあるかなぁ。
駅名と言えば、「撫養」等もそうですが、地元の人でもない限り読めないような難読駅名が
結構あるもので、私の実家のある徳島だけでみても・・・
・撫養(鳴門線)
・神宅(鍛冶屋原線・廃止)
・中田(牟岐線) ※ 当然、「なかた」とも「なかだ」とも読みません。
・麻植塚(徳島線)
・西麻植(徳島線)
・府中(徳島線) ※ 当然、「ふちゅう」とは読みません。
・牛島(徳島線) ※ 当然、「うしじま」ではありません。
・小島(徳島線) ※ 当然、「こじま」ではありません。
さっしいさん、いくつ読めますか?
[176] 「阿波電気軌道ものがたり」完全版 :に〜みや
2002/01/07(月)14:06 [メール]
前回の「阿波電気軌道ものがたり」は、何も見ずに書いているので多少誤りがありましたので
改めて訂正しておきます。鳴門線の駅順は、「鳴門」「撫養」「金比羅前」「教会前」「立道」
「阿波大谷」「池谷」です。起点は「鳴門」で、鳴門行きが上り列車となります。
阿波電気軌道は、1911年(明治44年)6月、撫養町の平塚尉平氏及び有志が徳島〜撫養間に
電気鉄道を敷設して交通の便を図ろうと、撫養町から徳島市出来島に至る間の鉄道敷設免許を
申請、同年12月23日免許を受け、翌1912年(大正元年)11月1日に設立された会社である。
資本金は40万円であった。翌1912年、徳島県下唯一の電力供給者たる徳島水力電気株式会社の
電力不足により電気動力を諦め、動力を蒸気に改めたが、社名は電気軌道のままであった。
その後、1916年(大正5年)7月1日、撫養〜古川間の鉄道が開業。開業当時に設置された
駅は、「撫養」「金比羅前」「教会前」「立道」「池谷」「市場」「勝瑞」「吉成」「中原」
「古川」で、駅長の給与が19円、駅手が日給28銭であったという。また乗車券は木札であった。
鉄道開業と同時に終点古川の1つ手前の中原から徳島市内の富田橋に至る連絡船も運航を
開始した。この航路の途中には「徳紡前」「助任」「仁心橋」「新町橋」の各停船場を設け、
中原〜富田橋間の所要時間は約46分であった。開業より約1年後に新町橋〜富田橋間は航路
廃止となり、中原〜新町橋間は所要34分とされた。後に徳紡前停船場は国の買収の前の時点で
廃止されている。
1928年(昭和3年)9月1日のダイヤ改正で中原〜新町橋間は所要30分にスピードアップ
されたが、これはどうもインチキだったらしく、実際は相変わらず35分程かかっていたという。
運航回数は列車の発着に合わせて開業当初は9往復で、列車増発に伴って11往復、13往復と
次第に回数が増え、買収直前には14往復となっていた。
中原〜新町橋・富田橋間の河川航路の連絡船(巡航船)の使用船舶は次の通り。
・大麻丸(おおあさまる) ・17.66t・旅客定員68名・1916年3月製
・妙見丸(みょうけんまる)・17.66t・旅客定員67名・1916年3月製
・別宮丸(べっくまる) ・16.00t・旅客定員49名・1916年11月製
・蛭子丸(えびすまる) ・13.00t・旅客定員87名・1920年11月製
軌道会社は、吉野川北岸の交通の整備を目的として、池谷から西へ路線を伸ばす事とし、その
第1期線として池谷〜板西〜鍛冶屋原間の鉄道敷設を計画、1916年(大正5年)10月14日、
姉妹会社として資本金20万円で上板軽便鉄道を設立したが、後に工事は軌道会社が直営で行う
事になり、1918年(大正7年)6月に20万円を増資、1923年(大正12年)2月15日、池谷〜
鍛冶屋原間が開業した。更に第2期線として、鍛冶屋原から阿波郡市場町内への延伸線を計画、
40万円を増資して1922年(大正11年)、着工に至ったが、物価の大変動と営業成績の不振から
軌道会社の経営は困難となり、工事は中止された。1925年(大正14年)8月、臨時株主総会を
招集しての討議の後、翌1926年(大正15年)4月30日、社名を阿波鉄道に変更、荒廃した
停車場、線路設備や船車の大修理、社員の大整理といった合理化を実施したが、依然として
業績は振るわなかったという。
1927年(昭和2年)11月10日、撫養町民の懇願を受けて撫養から港近くに至る延伸線を
着工、翌年1月18日に延伸線の営業を開始、元の撫養を蛭子前に、新駅を撫養とした。また、
新駅の撫養から更に岡崎桟橋へ至る延伸線も計画されたが、1929年(昭和4年)5月25日、
撫養〜岡崎桟橋間・鍛冶屋原〜市場町間・古川〜徳島市出来島間の鉄道敷設免許は失効した。
1933年(昭和8年)8月1日、阿波鉄道は国に買収され省線となった。鉄道の他に連絡船も
買収の対象となった。路線名は当初、撫養〜古川間と池谷〜鍛冶屋原間を一括して阿波線と
呼ばれた。買収に伴い、中原を阿波中原に、古川を阿波古川に、市場を阿波市場にというように
改称している。池谷〜勝瑞間にあった阿波市場駅は、戦時中に不要不急とされ廃止された。
20m車1両分の長さのホームの跡は今もそのままレンコン畑の真ん中にポツンと残っている。
1935年(昭和10年)3月20日、吉成〜佐古間に建設された吉野川橋梁が完成、阿波中原〜
新町橋間の連絡船は航路廃止となった。これに伴い、吉成〜阿波古川間の鉄道も廃止となった。
高徳本線の建設は、高松方から始まり、志度から引田へと次第に路線を延長していった。更に
大坂峠を越え板西に至り、高松〜徳島間の高徳本線が全通すると、板西〜鍛冶屋原間は枝線と
なり、鍛冶屋原線となった。途中には天井川のトンネルがあり、線路の上を常時、汚い下水の
ような水が流れ、少し強い雨が降っただけでも運休となる事すらあったという。国鉄が大赤字に
苦しむようになり、地方交通線の廃止が取り沙汰されるようになり、1942年(昭和47年)に
四国で最初に鍛冶屋原線が廃止された。鍛冶屋原駅のある上板町側では当然反対運動が起きたが
板野町側では、線路が町を2分しており、町の下水の排水に支障をきたしていた事から、下水の
整備を条件に何と鍛冶屋原線廃止に賛成したという。鍛冶屋原駅跡は現在、JR四国バスの
徳島営業所になっている。鍛冶屋原線には、「犬伏」「羅漢」「神宅」「鍛冶屋原」の4駅が
あった。
阿波電気軌道は人家もまばらな田舎に線路を敷いて営業していたせいか業績は終始振るわず、
結局は当初の目的であった徳島市内への乗り入れも果たせぬまま国に買収された悲運の会社で
あった。今回、これをまとめるに当たって、鉄道ピクトリアル誌の旧号と私の祖父母の昔話を
参考としています。特に祖母の話はピクトリアル誌の古い記事の内容ともよく一致していて、
よくもまぁ、こんな古い時代の話を覚えているもんだと驚かされました。年寄の昔話もじっくり
よく聞いてみると、結構面白いものです。しかし、さっき置いたメガネの場所さえ忘れている
クセに、大昔の事はハッキリと覚えている・・・。人間の記憶って面白いですね。
[177] 読んだ!! :有華
2002/01/07(月)15:43 [メール]
きまぐれ散歩5みました〜!!
鎌倉懐かしかったです!2年生の遠足の時に行った場所は鎌倉でした!
班のメンバーと楽しく過ごせました☆
またいつか行きたいです!!
[178] せり・なずな… :さっしい
2002/01/07(月)21:56 [メール]
1月も7日となりました。「人日(じんじつ)の節句」です。七草粥は食べましたか?
そろそろお正月気分も返上です。明日から学校も始まるんですね。
▼イズラーさん▼
ようこそいらっしゃいました。
ていさんの掲示板では、お世話になっています。
ここは今のところ昔の鉄道ばかりですが、しかもマニアックに感じられると思いますが、
少しずつ更新していますので、時々遊びに来て下さいね。
これからもよろしくお願いいたします。
▼有華さん▼
毎度ご利用ありがとうございます。
終わるもの、去りゆくものへの愛情なんて、なかなか渋いですな。
中学を卒業して高校へ行くと、友達ともみんな離ればなれになっちゃいますね。
僕もよく思いましたよ、何も変わってほしくない、このままが一番いいって。
でもね、知らなかった人たちと、こういう場で話せるのも「出会い」があったからです。
そんな素晴らしい「出会い」なら、人生で何度か体験してみたくありませんか?
もちろん3月までに、今の仲間との思い出をたくさん作っておきましょうね。
…って、先生みたいな口調になってしまいました。
鎌倉に行きたければ、ご案内しますよ〜
▼に〜みやさん▼
いつもながら熱いですねぇ。ほんっとに、掲示板ごときにはもったいない内容です。
HPのコンテンツとしても立派に成り立ちますよ。ここじゃ消えちゃいますしねぇ。
さて、駅名クイズですが、「むや」「ちゅうでん」「こう」は知っていましたが、
「麻植塚」「西麻植」は「おえづか」「にしおえ」じゃありませんか?
「神宅」は「みやけ」とでも読みそうな気がしますが…
むしろ「牛島」「小島」といった普通の字の方が、自信を持って答えられません。
漢字も趣味の一つなので得意なつもりですが、固有名詞って本当に難しいですよね。
ところで、この掲示板の文字、もう少し大きくしましょうか?>みなさん
なんだか最近、年のせいか、10ポイントだと目に厳しくなってきました。
もし予告なく変更しても、驚かないで下さいね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[179] 鎌倉、初詣にて・・・ :みしゃと
2002/01/08(火)1:05 [メール]
あけましておめでとうです☆ ことしもよろしくお願いします。
で、昨日やっと初詣に行って来ました。例年どおり鎌倉の八幡様です。
鎌倉は、いつ行っても混んでますね。もう6日なので入場制限(?)も
してないだろうと思ってたら、やってました。
で、本題。 江ノ電に乗って行ったのですが、「501形」の最後の日
だったのですね。今朝の新聞で知りました。どおりで写真を撮ってる人が
多かったです。「501形」も「もも電」になっていて、江ノ電固有の
グリーンでなかったのが、ちょっと残念でした。写真も撮ったので、ご希望が
あれば送信します。
[180] 新年早々サヨナラ運転でしたね :さっしい
2002/01/08(火)5:32 [メール]
7日も過ぎたので、トップページから新年の挨拶を外しましたが、
15日ぐらいまでは、お正月の延長でいいのでしょうか。
年賀状の返事も、まだ行き来してますしねぇ。
でも、ま、そろそろ気を引き締めていきますか。
▼みしゃとさん▼
あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
鎌倉は1日違いでしたね。さすがに八幡さまは混んでましたか〜
僕は人混みを避け、そちらには行きませんでしたが、すいてる時期ってあまりないですね。
当サイト、鉄道ばかりなのに時々覗いていただき、ありがとうございます。
でも、今年は少し変わるつもりですので、ほんの少しだけご期待下さい。
さて江ノ電ですが、そうなんですよ、501形は引退なんです。
昨年最後の週のトップをあの写真にしてみたのですが、今回は見に行きませんでした。
どうも、サヨナラ運転とかいうと、かえって敬遠したりして。
みしゃとカメラマンの写真、送っていただけると有り難いです。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[181] 駅名のハナシ。 :に〜みや
2002/01/08(火)11:53 [メール]
さっしいさん、どうも。
>いつもながら熱いですねぇ。ほんっとに、掲示板ごときにはもったいない内容です。
>HPのコンテンツとしても立派に成り立ちますよ。ここじゃ消えちゃいますしねぇ。
今回の文章はちゃんとまとめてワードのファイルで残してあります。HPのコンテンツに
するとすれば(するならという仮定の話ですが。)写真が必要ですね。高徳線の池谷〜勝瑞間の
阿波市場駅跡も一度写真を撮りに行きたいのですが、池谷〜勝瑞間は駅間が長く(とは言っても
徳島県内のJR線は大抵、駅間が1〜3km程度と比較的短いのですが。)駅から歩くのは遠くて
また、駅からでは大回りになるので、クルマで直接行った方が良さそうです。ただウチの実家の
クルマは親父が仕事に行く(しかも休日が休みとは限らない。)のに使う為、足がない状態で
以前から撮りに行こうとずっと考えていながら長らく実行できずにいます。
>さて、駅名クイズですが、「むや」「ちゅうでん」「こう」は知っていましたが、
>「麻植塚」「西麻植」は「おえづか」「にしおえ」じゃありませんか?
ここまでは正解です。
>「神宅」は「みやけ」とでも読みそうな気がしますが…
「神宅」は、「かんやけ」と読みます。
>むしろ「牛島」「小島」といった普通の字の方が、自信を持って答えられません。
>漢字も趣味の一つなので得意なつもりですが、固有名詞って本当に難しいですよね。
「牛島」は「うしのしま」、「小島」は「おしま」です。言われてみるとな〜んだって感じ
でしょうけど。小島と同じように阪急今津線の「小林」も「おばやし」と読みますね。あと、
阪急宝塚線の「売布神社」(めふじんじゃ)なんかも難しいですね。阪神の「大物」なんか、
「おおもの」と読んでしまいそうです。地元でもなけりゃぁ、「だいもつ」とは読めません。
そう言えば、鳴門線の「立道」も地元の人間でないと「たつみち」とは読めませんね。
まぁ、駅名なんぞは、「駅すぱぁと」で見れば一発でわかるんですけどね・・・。
[182] 新春クイズ、挑戦して下さい :さっしい
2002/01/08(火)19:05 [メール]
に〜みやさん、そして皆さん、
固有名詞っていうものは、人名も地名も、全てが難読語といってもいいですね。
普段、何気なく使っていますが、日本語ってとっても不思議な言葉です。
目で見て字では分かっても、読めないものがたくさんあります。
それでも通用しちゃうし、我が国開闢以来2662年(?)やってきたんですから。
さて僕は、鉄道に劣らず漢字のファンでもあり、
そんなわけで、新春・漢字クイズ第1弾!
難読「名字(姓)」の特集です。駅名ではありませんが。
1、正月一日 2、四月一日 3、六月一日 4、八月一日 5十二月田
今回は日付シリーズにしてみました。誰でも挑戦してみて下さいね。
「五月女」なら有名ですし、「十二月田」も想像できそうですけど、
あとは、知らないと読めませんよね〜。正解はいずれ。でも賞品はありません〜
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[183] 難読シリーズ! :南野哲志
2002/01/08(火)21:46 [メール]
みなさん、お久しぶりです。
正月休みが無くて、というかまだ仕事が終わって無くて、書き込み出来ませんでした。
なにやら“難読”シリーズが流行っているようですね!
では、私も三岐の駅から出題です。これは、来たことある方なら読めますよね。
@平津、A山城、B丹生川、C伊勢治田 答えは次回に!
さてさて、その三岐鉄道今週末13日からウィステリア鉄道ライブスチームの走り初めです。
お近くの方是非お越し下さい。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm
[184] 降参です!! :RRE
2002/01/08(火)21:53 [メール]
さっしいさん さっぱり判りません。
本当にこれは皆名字なのですか? 例えば「みなづき はじめ」とか言うような姓名では
無いのですね。一つも知りません。
相模鉄道の6000拝見しました。私にとって相模は縁が薄く、いずみ野線が開業した頃に
乗りに行かねば・・・と思って以来もう何十年も乗っていない様な気がします。
こんな車両もそう言えばあったんですね。
231系を5M5Tにした様な車両が今度出るようですが、前面形状は全く変わっていますね。
http://users.goo.ne.jp/r2e
[185] ワタシの名前も漢字で書くと・・・。 :に〜みや
2002/01/09(水)15:10 [メール]
さっしいさん、どうも。
>固有名詞っていうものは、人名も地名も、全てが難読語といってもいいですね。
>普段、何気なく使っていますが、日本語ってとっても不思議な言葉です。
>目で見て字では分かっても、読めないものがたくさんあります。
>それでも通用しちゃうし、我が国開闢以来2662年(?)やってきたんですから
かく言う私の名前も漢字で「新宮」と書くと「にいみや」とはなかなか読んでもらえません。
初めて行く病院等では名前を正しく呼んでもらえない為に困る事もしばしばです。(悩)
また、文房具屋の店先の3文判を探してもワタシの姓は入っていません。
新春・漢字クイズは・・・残念ながら全然わかりません。外国の国名・都市名等を漢字で表記
してあるのも面白いですね。
「亜米利加」「英吉利」「独逸」「仏蘭西」「伊太利亜」(或いは「伊太利」)「露西亜」
「阿蘭陀」位はまだ一般的にも通るでしょうが、「白耳義」「瑞西」「西班牙」「墺太利」位に
なると知ってる人も少ないのでは?「紐育」は「ニューヨーク」。「桑港」なんて、どこを
どう読んだら「サンフランシスコ」と読めるんだよ・・・。う〜む・・・。
[186] 笑 :有華
2002/01/09(水)15:12 [メール]
確かに先生みたいな口調でしたね。
私の知り合いでさっしいになんとなく似ている先生がいました。
その先生の授業はとっても楽しかったのを覚えています☆
3年生になってから学校から家に帰るのは早く3時には家に着いてしまいます。
部活をやっていた頃が懐かしいです。←過行くものに愛情をかんじてます。(笑)
さっしいは、どんな中学生だったんですか?
[187] 皆さんも難読問題出して下さいね :さっしい
2002/01/10(木)21:14 [メール]
クイズの答えはもう少し待って下さいね。
もったいぶってるわけじゃないんですが、
もうちょっと考えてみたい人も、…って、いないかな?
考えて分かるもんじゃないですからねぇ。
早く答え教えて〜、っていう人の方が多いのでしょうか。
▼南野哲志さん▼
年末年始のお仕事、ご苦労様です。
さて、三岐の駅名ですか。実はあんまり気にしてませんでした。
調べちゃつまらないので、当てずっぽで答えてみますね。
@は「ひらつ」じゃまともすぎるから「へいづ」とかいうのでしょうか?
Aも「やましろ」じゃ当たり前ですので「やまき」あたりですかねぇ?
Bは「にゅうがわ」ですか? Cは「いせはった」ですよね。阿下喜から歩きました。
そういえば「あげき」っていうのも難読ですし「員弁郡」にしても読みにくいですね。
う〜ん、でも、鉄道ファン&漢字ファンと豪語しているくらいなら、
日本中の駅名ぐらい読めないといけませんよねぇ〜。恥ずかしいので勉強します。
▼RREさん▼
前回のクイズ、1〜5まで全て「姓」だそうです。正解はもう少しお待ちを。
さて相鉄は、以前沿線の瀬谷に住んでいたので、僕自身かなり親しみを持っています。
まだ造成中で田圃の中にあった緑園都市駅近くの職場に、10年間通いました。
近年大躍進して、横浜から湘南台まで「快速」が走るようになりましたが、
それ以前も、本線系統(海老名方面)は、ほとんど全ての列車が「急行」で、
横浜・二俣川間ノンストップという、思い切った「遠近分離運転」が行われていました。
例えば鶴ヶ峰から、その2つ先の希望ヶ丘へ行く場合など、同じ本線上の駅なのに、
二俣川で必ず乗り換えなければなりませんでした。(普通はいずみ野線直通か二俣川行き)
現在では、横浜・大和間に普通列車が走るようになりましたが。
▼に〜みやさん▼
そうですよね。知人の「新宮」さんも、「しんぐう」さんでした。
日本の固有名詞、特に人名って、普通は訓読みする方が多いはずなんですけどね。
神奈川県の地名にしてもほとんどが訓読みで、純粋な音読みは「逗子市」と「開成町」ぐらいかな。
まぁ、数年後には「湘南市」もできるらしいですが…
外国地名や人名の漢字表記も面白いですね。それでも書いてくれたような一般的なものは読めますが、
ほんとに何故、サンフランシスコが「桑港」で、シェークスピアが「沙翁」なんでしょう。
でも「ハリウッド」の「聖林」は、なんか納得できちゃいますよね。全くの直訳ですものね。
▼有華さん▼
中学時代の思い出ですか。うん、とっても楽しかったですねぇ〜
そうそう、僕も家へ帰るのが惜しくて、校門の前や近所で、よく友達とおしゃべりしていたものです。
中2の途中からは電車通学になったんですよ。クラスで一番遠いのに、朝はいつも一番乗りでした。
今時分の冬の寒い朝なんかは、早起きして畑の中を駅まで歩くのがつらかったですけどね。
混んだ電車の中で、それでも頑張って読書しながら通学したのが、今では懐かしい思い出です。
友達も、中学以来の親友が3人いて、今でもメールのやりとりをしたり、時々会ったりしています。
当サイトの「上武鉄道」や「関東鉄道」および「気まぐれ散歩4」の同行者も、中学時代の友人です。
あ、どんな中学生だったかっていう話になってないや。ここの「玉電」コーナーも参照して下さいね。
ともかく中学時代は楽しかったです。でも好きな時代に戻れるのなら、大学時代の方がいいなぁ。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[188] 難読シリーズ? :南野哲志
2002/01/11(金)8:25 [メール]
みなさま、こんにちは。
ようやく、年末からの仕事が一段落です。14日まで、遅い正月休みにします。
といっても、掃除やら確定申告の準備やら...
鉄分の薄い休日になりそうです。
まだまだ、難読シリーズが続いてますね。
名字では、「新宮」さんの「にいみや」も難しいですね。
三重県人だったら隣県和歌山の新宮があるので絶対「しんぐう」と呼んでしまいます。
私「南野」も南野陽子さんのせいか「みなみの」と呼ばれることがあまりにも多いです。
正式名が「なんの」です。南野陽子さんは通称が「なんの」でしたね。
もちろん印鑑コーナーも「み」欄に入ってます。
では、まもなく廃止届が出される近鉄北勢線から出題!
@在良、A穴太、B六把野、C麻生田、D六石、E阿下喜
これも、乗ったことがある方は簡単ですよね。Eはあげきです。
ちなみに「員弁」は「いなべ」と読みます。
三岐鉄道の解答は、@へいづ、Aやまじょう、Bにゅうがわ、Cいせはった です。
さっしいさん、さすがほとんど正解です! ちなみにAが私の最寄駅です。
ではまた。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm
[189] ★・・・★・・・★ :茉莉亜
2002/01/12(土)22:58 [メール]
この名前はめったにいないので、すぐ気づいてくれると思います!!!茉莉亜って名前出すの
苦労します・・・(我)相変わらず鉄道好きですね!!!先生が授業中によく語っていた
あの眼差しを思い出しました・・。年賀状もいつも楽しみにしています・・。これからも
頑張ってください★お体には十分気をつけて・・・・。
[190] 新春クイズの答えです :さっしい
2002/01/12(土)23:45 [メール]
行楽日和の三連休ということで、出かけてる人が多いのかな。
今週の表紙は、ちょっと色褪せた画像になってしまいましたが、
30年前の瀬戸電です。懐かしい人もいっぱいいるんじゃありませんか?
さて、お待ちかね、「新春クイズ・難読名字」の正解です。
いつまでも読めないままじゃ、気になる人もいるでしょうから。(そうかな?)
・正月一日(あら) ・四月一日(わたぬき) ・六月一日(うりはり)
・八月一日(ほずみ) ・十二月田(しわすだ) …だそうです。
いろいろと謂われもあるのでしょうが、どうして〜?っていう感じですよね。
地名にもある「十八女」を「さかり」と読むのは、わかる気もしますが…?
▼南野哲志さん▼
お仕事お疲れさまでした〜。しばらくゆったりとお休み下さい。
そういえば、かつて南野陽子のことも「なんのちゃん」としか呼んでなかったなぁ。
…って、会ったわけじゃありませんが。
駅名って、特に私鉄のは、思ったほど知らないことに気付きました。北勢線ですね、…う〜ん。
@「在良」は難しいですねぇ。「あらら」じゃおかしいですしねぇ〜
A「穴太」は「あのう」でしょう。京阪の石山坂本線にもありますよね。
B「六把野」は「ろっぱの」でしょうか。C「麻生田」は「あそうだ」じゃ普通ですよねぇ〜
D「六石」も「むついし」ではまともすぎますし…
やはり地名って、知っていないと安心して読めないもんですね。
▼茉莉亜さん▼
マリアさま、いらっしゃいませ〜、御無沙汰してます。
ふふ、さっしいさんの神秘のベールをはがしに来ましたね。
まぁ、別に悪事を働いているわけでもないから、かまいませんが。
このホームページも、今は鉄道だけで女の子向きじゃありませんが、
今ちょっと準備してることがあって…って、それも別に女の子向きじゃなかった…
ま、たまに更新されてることもあると思いますから、時々覗いてみてくださいな。
「茉莉亜」はIMEに辞書登録しちゃいましょう。簡単に出るようになりますよ。
大事な時期ですので、風邪ひかないようにね〜(…って、ほとんどメールモード)
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[191] いっこしか分かりません(TT) :TADA
2002/01/12(土)23:49 [メール]
四月一日さんしか分かりません。(^^;)
以前10万人くらいの名簿チェックするという気の遠くなる仕事やっとことあるのですが、さすがに読めない苗字の方いましたねぇ。
ここで紹介したいけれど漢字が出せない(TT)
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[192] 瀬戸電 :西宮後
2002/01/13(日)21:51 [メール]
ク2327+モ703は揖斐・谷汲線に移った後の赤色塗装になった後の姿を撮ったことがあります。
瀬戸線は今でもよく「セトデン」と呼ばれて他の名鉄線とは少し違った雰囲気がします。
混雑路線なのに釣り掛け電車が走っているということも面白いです。
うちのサイトの廃線跡シリーズに東濃鉄道駄知線をUP致しました。
関連でそこからこちらにリンクさせていただきました。
http://isweb40.infoseek.co.jp/photo/nisimiya/
[193] 「三岐大図鑑」更新情報 :南野哲志
2002/01/15(火)11:27 [メール]
皆様、こんにちは。
今日まで遅い正月休みで、拙「三岐鉄道車輛大図鑑」HPを若干更新しました。
三岐鉄道の内燃機関車と三岐通運・太平洋セメント四日市S.S.の内燃機関車をUPしました。
余り情報が無く、とりあえずわかっている範囲でのUPです。
三岐鉄道のDLはほとんど知られておらず、写真もほとんど無いです。
もし、写真をお持ちの方をご存じの方はご連絡下さい。
●さっしい様
名鉄瀬戸線の旧型車はいいですね。模型で作りたくなってしまいます。
尾張瀬戸駅が新しくなってしまったのが残念です。前の駅舎が好きだったのに...
しかし、難読名字はさっぱりわかりませんでした。
なんか、笑っていいとものそのようなコーナーで見たような気もしますが!
●西宮後様
廃線跡シリーズの東濃鉄道駄知線見ました。
廃線じゃないですけど、西濃鉄道の休止線もやってみてください。
近鉄北勢線の解答は次回にします。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm
[194] 難読シリーズ。 :に〜みや
2002/01/15(火)11:33 [メール]
さっしいさん、どうも。
>そうですよね。知人の「新宮」さんも、「しんぐう」さんでした。
>日本の固有名詞、特に人名って、普通は訓読みする方が多いはずなんですけどね。
>神奈川県の地名にしてもほとんどが訓読みで、純粋な音読みは「逗子市」と「開成町」ぐらい
>かな。まぁ、数年後には「湘南市」もできるらしいですが…
>外国地名や人名の漢字表記も面白いですね。それでも書いてくれたような一般的なものは
>読めますが、ほんとに何故、サンフランシスコが「桑港」で、シェークスピアが「沙翁」
>なんでしょう。でも「ハリウッド」の「聖林」は、なんか納得できちゃいますよね。全くの
>直訳ですものね。
「沙翁」は多分、シェークスピアのアタマの発音、つまり「シェ」の部分の「沙」に「翁」を
付けたものでしょう。似たような名前の有名な外人のジジイが増えてくるとどうするんだろうと
要らぬ心配をしてしまいますが・・・。「桑港」も、「桑」には「ソウ」という音があるので、
恐らくアタマの音を取ったものだと思われます。サンフランシスコは港町なので、「港」が
付いているのでしょう。「♪サンフランシスコのチャイナタウン〜」(古)という曲は、漢字で
書くと、「♪桑港の唐人街〜」とでも書くのでしょうか。まぁ、わざわざ漢字にする必要もない
のでしょうけど。(かえって歌いにくいがな。)
基本的に外国の地名・人名等を漢字に訳す際は、大抵発音に忠実に訳しますが、たまに直訳で
言葉の意味を訳している場合もありますね。表意文字の本領発揮とでも言うべきなのか???
特に「聖林」等は良い例です。まさに映画の都にピッタリなうまい表現だと思います。ただ、
知らないと「ハリウッド」とは読めないでしょうけど。他にこんな例あったかなぁ。「倫敦」
「巴里」「羅馬」「伯林」「葡萄牙」「瑞典」・・・う〜ん、みな音訳ですね・・・。しかし、
「葡萄牙」でポルトガルなんですが、「葡萄」(ぶどう)に「牙」(きば)とは・・・。
今、ふと気になったのですが、昔、学生時代に歴史の授業で「普仏戦争」というのを習い
ました。フランス(仏蘭西)とプロシア(プロイセン)との戦いの事ですが、プロシアとは
漢字でどう書いたのでしょうか?アタマの字が「普」なのはわかるのですが、その後ろに何の
字が続くのだろーか・・・。う〜ん、気になる。ちなみに、当時独逸は「プロイセン」と
「ザクセン」、「バイエルン」(伊藤ハムのソーセージではない。)という国に分かれて
いましたっけ・・・。さっしいさん、ご存知ですか?「プロシア」の漢字。
[195] あれ? :有華
2002/01/15(火)16:33 [メール]
茉莉亜さんからのあった!
でも、言ってもよかったの?あのこと・・。
まぁ、いいのかな?よくわかんないけど・・。
今日は学校で百人一首大会がありました!
さっしいは百人一首の中でどれが一番すきですか?
[196] あの頃の瀬戸線が気に入っています! :RRE
2002/01/15(火)21:49 [メール]
さっしいさん 今晩は!
名鉄瀬戸線の懐かしのカラー拝見しました。いい色を醸し出していますね。
弊サイトでも瀬戸線をアップしましたが、カラーを撮っていなかった事を今でも
後悔しています。
大曽根も高架化され、大津町以西も地下化され、近代的な通勤路線に変わったのは
良いですが、あの600V時代のゴテゴテした車両や外堀路線が消えたのが残念です。
それよりも、最近ここに現れ始めた有華さんや茉莉亜さんが気になります。先生・・・。
http://users.goo.ne.jp/r2e
[197] 知的な話題が増えてきました? :さっしい
2002/01/15(火)22:03 [メール]
世間は、お正月気分も3連休も終わって、
やっと普通の生活が始まったという感じですね。
これから大寒にかけて、一年中で一番寒い季節です。
僕は毎年のように風邪をひいたり、体調を崩しやすい時期なんです。
皆さんも健康には気を付けて下さいね。
▼TADAさん▼
ほんとに日本人の名前って、日本語なのに読めないことが多いですよね。
よくこれでスムーズに世の中が動いているものだと、妙に感心してしまいます。
しかし10万人の名前確認とは…。僕ならすぐに放り出しちゃいそうです。
当て字などで読みの難しいのもそうですが、漢字がJISに無かったりすると大変ですよね。
そういえば、高橋の「橋」の異体字とか、僕も仕事で外字を作ったりしたこともありました。
ところで、「?」とか「?」とかは、フォントが独自に持っている字なのでしょうか?
皆さんの画面では、かぎかっこの中がちゃんと表示されているのかどうか教えて下さい。
「・」「?」になる場合もあるのかとか、MACだとどうなるのかとか、
機種依存文字なのかとか、自分の環境だけでは分かりませんので… 》》》御覧の皆さまへ
▼西宮後さん▼
今週の瀬戸電の画像は、いかにも古びたカラー写真という感じでしょう?
30年以上たって、ネガも劣化して、あの辺が限界なのでしょうか。
でも確かに今でも「せとでん」と呼んだ方が似合いそうですよね。
駄知線の廃線跡調査、拝見しました。それなりに残っているものですね。
今の駄知のバス検修庫は、昔の鉄道時代のものなのですか? ちょっと驚きです。
これからも各地の廃線跡紀行、期待しています。
▼南野哲志さん▼
今年も三岐鉄道と共に歩み始めた南野さんですね。
三岐のDLはレアですね〜。僕もP誌でDB152を見ただけだと思います。
ネットを通じて、新しい資料や情報が入手できるといいですね。
瀬戸線の700形って、以前はパンタとポールの両刀使いだった車輛でしたっけ?
以前、この掲示板でも話題になっていたことがあったと思います。
あの規模の車輛って、模型化したくなりますよね。曲線の表現が大変そうですが。
▼に〜みやさん▼
「沙翁」は、ナポレオンを「奈翁」と書くのと同じ伝ですかね。
しかし、世界史で攻められるとつらいですなぁ〜
なんせ高校の時、世界史はあわや赤点で、なんとか卒業させてもらったものです。
でもまぁ、漢字には強い(自称)と思っていますので、おまかせ下さい。
プロシアは「普魯西」でしょうね。発音で何とか読めるでしょう。
しかし、音から採ったのではない当て字もあるので、難しいものです。
漢字検定に初めて挑戦した時は「応帝亜」というのが読めませんでした。
▼有華さん▼
お心遣い、ありがとうございます。別にいいですよ〜。
言いふらす必要もないけど。まぁ一番話しやすい自然体で語ってくださいな。
(しかし、僕のこと呼び捨てにしとるのは、君だけだぞ〜)
で、百人一首ですか。懐かしいな。とはいえ、僕はほとんどやったことがありません。
好きな歌はねぇ…、と語ってると長くなるので、青春の思い出の1首だけをあげれば、
「由良のとを渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋の道かな」だろうなぁ。
ちょっとした、甘酸っぱい恋の思い出があるんですよ。鎌倉の海にもね。
▼RREさん▼
あの当時の瀬戸線のカラーは、あの1枚だけだったと思います。
特急は、スカーレットに白帯でしたっけねぇ。
ミュージックホーンを響かせながら、急カーブを強引に…という感じでした。
支線区に行っても、やたら特急だらけなのもまた、名鉄の魅力の一つでした。
今やJRの高架の上をまたぐ「高・高架」には、時の流れを感じさせられますね。
で、まぁ、あまり細かいことはお気になさらずに…
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[198] ありゃま… :さっしい
2002/01/15(火)22:05 [メール]
自分でアップした文字も、結局読めませんでした。
「?」になっちゃうんですねぇ〜
「高」と「崎」の異体字を書いたつもりだったんですが、
駄目なことが分かりましたので…。お騒がせしました。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[199] 待ちに待った瀬戸電 :碧電みやさま
2002/01/15(火)22:24 [メール]
こんばんは。
1月ほど入院、療養していたため御無沙汰しておりました。そして、今日やっと職場復帰を果たしました。その間レスを失礼してしまったかも知れませんが、ご容赦願います。
たまたま拝見したらグリーンの瀬戸電が・・・! これが出てきたんでは登場せずにはいられません。(^^)それにしても快晴でいい色出ていますね。1971年の撮影ですか。私もこの年(小学校3年生)に初めて瀬戸電を見ました。本線のダークグリーンよりも明るい緑が印象的で、三郷駅横の踏切で待っていたとき、駅に到着する電車がまだ完全に止まらないうちに乗客が降りてきたことを覚えています。当時はまだ手動ドアだったんですね。
当日は父の同僚の結婚式で、式が終わるまで母、弟と線路が見える河原の公園で待ちましたが、流線型の電車も現れ、瀬戸線にも「なまず」みたいなのがいるんだと思いました。(ク2220型)
これら手動ドア、緑色の車両は1973年には本線からやってきた3700系による近代化で4両を残して転属や廃車になってしまいました。
私自身はついに緑の瀬戸電のまともな写真がないことが悔やまれてなりませんが、弊サイトでも「瀬戸鉄道倶楽部」様ご提供の瀬戸電を置かせていただいているなど、ネットを通じて当時の写真を拝見できることはとてもありがたいことです。
さっしいさんは瀬戸線にあまり長居はされなかったとのことですが、またの機会に別の作品のアップも期待しております。
http://www.ne.jp/asahi/hekkai/rail/index.htm
[200] 知的な?話題。 :に〜みや
2002/01/16(水)15:18 [メール]
さっしいさん、どうも。私も漢字は好きですが、漢字検定を受けるまでのレベルではないよう
です。まぁ、生活に支障のない程度に読めればいいかな位にしか思ってないので、今では大して
勉強もしてません。(やる気ないなぁ・・・。)
私は地理や歴史といった社会科系の勉強が好きで、今でも歴史書なんかの本を読んだりして
います。特に「三国志」が好きで、昨年暮れから正史の原文と日本語訳の併記された本を読んで
います。ところで、「日本史」の授業で、日本が初めて歴史の表舞台に登場するのが、「魏志」
(或いは「魏書」)の「倭人伝」だと教えられたと思いますが、これは真っ赤なウソ。大きな
間違いです。「魏書」には「倭人伝」なる名称の伝記は存在しません。そもそも漢民族は、
自分達が住む中華大陸のそのまた真ん中へんにある「中原」(「ちゅうげん」と読む)地域を
世界の中心と考え、そこから外れた辺境の地域に住む民族を野蛮な異民族と位置付けていて、
それらの異民族の住む地域を東西南北の方角に分けて、それぞれ「東夷」「西戎」「南蛮」
「北狄」と方角ごとにまとめて総称していました。さて、「魏書」ではそれぞれに、「東夷伝」
「西戎伝」「南蛮伝」「北狄伝」という4つの伝記を立てています。この中の「東夷伝」の中に
「倭人」の項があります。これが「魏志倭人伝」の本当の姿なのです。単なる一項目に過ぎない
のです。漢民族にとって、「倭人」という異民族は、あくまでも「東夷」の中の単なる一部族に
過ぎないという扱いなので、独自に伝記を立てるというような事は決してされていないのです。
しかし何故、文部省(現:文部科学省)は本当の事を教えないのでしょうか?伝記の名称など
どうでもいいと言う理屈は通らないと思うのですが。中国へ行って、中国人に「魏志倭人伝」
なんて言ったらバカにされますよ、絶対・・・。
最近、韓国や中国等から歴史教科書問題で日本人の歴史認識云々の議論がなされていますが、
ある意味、日本人の歴史認識は歪んでいると思われるふしがあります。(何も彼らの意見に賛成
だという事ではありませんが。)特に「魏志倭人伝」なる架空の伝記を捏造した日本の歴史
研究家のお偉いさん連中は歪みきっているとしか言いようがありません。書物に書かれている
内容がたった1項目だったのが余程悔しかったのでしょうか?
>「沙翁」は、ナポレオンを「奈翁」と書くのと同じ伝ですかね。
>しかし、世界史で攻められるとつらいですなぁ〜
>なんせ高校の時、世界史はあわや赤点で、なんとか卒業させてもらったものです。
>でもまぁ、漢字には強い(自称)と思っていますので、おまかせ下さい。
>プロシアは「普魯西」でしょうね。発音で何とか読めるでしょう。
>しかし、音から採ったのではない当て字もあるので、難しいものです。
>漢字検定に初めて挑戦した時は「応帝亜」というのが読めませんでした。
「応帝亜」・・・う〜ん、読めない・・・。(汗)
「プロシア」、実はあれから古い漢和辞典引っ張り出して調べてみました。確かに「普魯西」
ですね。なるほど。家にうちの親が子供の時分から使っていた漢和辞典があり、その巻末に
付録として世界の国名・都市・人名の漢訳の一覧が記載されていました。日本語の漢字表記と、
中国語の表記とを並べて載せてある大変面白い内容のもので、私は小学生の頃からヒマさえ
あれば眺めていました。中学の頃、「地理」や「世界史」の授業で地名や人名の長ったらしい
カタカナを書くのがイヤだった私は、ノートをとる際に出来る限りカタカナを廃し、漢字に
全て置き換えてました。(実はその方がかえって面倒なのだが・・・。)試験の前にノートを
借りに来た友達が私のノートを一目見て、全然読めなくて唖然としていた事を覚えています。
また、国語の授業で、先生がお遊びでプリントを配り、小テスト形式で外国の国名・地名の
漢字の読みを書くというのをやった時、先生が「まさか全問正解する奴はおやんらろう」と
満足げに薄笑いを浮かべていました。私は全部読めたので、先生を挑発してやろうと思い、
真っ先に全部書いて「簡単やったわ」と言って出してやりました。私の解答を見た先生はしばし
絶句。「もっとヒネった問題にしてーや」と言う私に対して、先生の口をついて出た言葉は、
「オマエ変人やなぁ。こんな事、何で知ってんねん・・・」でした。他に全問正解者はいません
でした。私の中学時代は、こんなイヤミなガキんちょでした。わははは・・・。
[201] 難読ってほどではないか :てい
2002/01/16(水)18:39 [メール]
・さっしいさん
駄知線の検修庫はRM誌に載っていた検修庫の写真と見比べてみたら
位置、鉄骨の形状が一致したのでそう判断したものです。
・南野哲志さん
西濃鉄道の休止線というと昼飯線ですか。
スイッチバックの大久保駅までしか行ったことがないので再チャレンジしてみます。
テストがあるので次回のUPは2月半ばくらいなると思います。
そう言えば「昼飯」もちょっと読みづらい駅でしょう。
大概「ひるめし」と読んでしまいます。
元北陸の人間としてはやはり
@動橋 A石動 B轟 C観音下 D大河端
でしょうか。
以前「石川の鉄道」で話題になったものですが。
僕の親類では自分で漢字を作って子供の名前に付けたという人もいて
年賀状の宛名がそこだけ手書きになっていたりするそうです。
http://isweb40.infoseek.co.jp/photo/nisimiya/
[202] 難読解答! :南野哲志
2002/01/16(水)19:32 [メール]
皆様、こんばんは。
●さっしい様
P誌でDB152を見ましたか? いつ頃でしょう? 私鉄車輌めぐり2ですか?
私は、雑誌ではそのRP128しか見たことないのですが...
あの運転室は左右非対称らしいです。
もう少し、いい写真が見つかるといいのですが...
こればかりは、三岐鉄道にも残っていないです。しかも、DC301に関しては皆無!
●てい様
西濃鉄道ぜひ行ってみてください。といってももう昼飯線には貨車は一両も残ってないです。
昔は、終点昼飯にも三岐ホキ3000や国鉄ホキ3100が捨てられていたのですけど、
美濃大久保も、奥多摩ホキ18800とかヨ8000もありましたね。
でも、沿線の遺構が結構いい感じですよ。
漢字クイズはAしか読めないです。Aは大学時代の友人が石動の出身だったので知ってます。
では、先日の近鉄北勢線解答。
@ありよし、Aあのう、Bろっぱの、Cおうだ、Dろっこく です。
今回は三重県駅名シリーズ第3弾です。
近鉄から@菰野、A内部、B海山道、C長太ノ浦、D小俣、
JRからE河曲、F下庄、G外城田、H伊勢八太、I家城。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm
[203] 漢字&地理歴史サイトに? :さっしい
2002/01/16(水)23:09 [メール]
▼碧電みやさま▼
お加減はいかがですか? くれぐれも無理しないでくださいね
瀬戸電とくれば、みやさまが反応なさると思っていました。
さすがにネガが古いのと、保管状態が悪いのとで、発色はあんな感じです。
どこかに書きましたが、この日は、名鉄蒲郡線・本線、名古屋地下鉄、名古屋市電、瀬戸電、
中央本線、東濃鉄道駄知線、北恵那鉄道と乗り回って、その日のうちに松本へ出て、
たしか、新宿行きの夜行・普通列車で帰ってきたんだと思います。忙しかったですね。
じっくり見たり撮ったりする時間もなかったのですが、モノクロはいずれご紹介しましょう。
▼に〜みやさん▼
おぉ〜、に〜みやさんも、かなりの漢字通および歴史通ということでしたか。
僕は世界史は苦手でしたが、日本史と中国史は好きなんです。
三国志、いいですねぇ。関羽や趙雲や諸葛孔明が好きです。あ、姜維もいいな。
でも、これをやり出すと漢字が大変なので、このぐらいにしておきます。
「ほう統」や「ほう徳」「荀いく」なんて、字そのものがJIS漢字にはありませんし。
で、「応帝亜」はたしか「インド」じゃなかったかな。どうしてそう読めるんでしょうかね〜?
▼ていさん▼
「昼飯」行きましたよ〜。どっちかというと歴史散歩でしたけど。
しかも昼飯駅に着いた頃は雨だったので、たいして写真も撮れませんでしたが、
もう既に廃線といったような、うらさびれた、個人的には好きな雰囲気でした。
リンクを張って下さっているnaroさんのサイトでも、西濃鉄道が紹介されていますね。
さて、駅名には意外と弱いことに気付きました。@「動橋」A「石動」は有名ですが、
B「轟」は「とどろき」で良かったんですか?(もうひとひねりありそうだな…)
CとDは想像がつきませんでした。う〜ん、やっぱり地名って難しいです。
▼南野哲志さん▼
お察しのとおり、僕はP誌一辺倒でしたので、その「私鉄車両めぐり」第2分冊です。
DB152の、たった1枚の写真だけですねぇ。昭和29年ですか…生まれる前です。
鉄道の歴史なんて、高々100年ちょっとなのに、まだまだ謎の部分も多いですね。
それだけに奥深いというのか、ちょっとした写真でも貴重な資料となります。
今回の駅名は大体読めますので、取りあえず皆さんにも考えていただきましょう。
「鉄ちゃん」じゃない方も、どうぞ参加して下さいね〜
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[204] すみません! :有華
2002/01/16(水)23:43 [メール]
私だけでしたか・・。呼捨てにしていたの・・。
だって「さっしい」と聞くとFRIENDRYな感じがして
友達気分になれるんですよ(笑)
甘酸っぱい恋の思いでねぇ・・。いっこちゃん!?
違うっけ・・?みゆきちゃん?わかんな〜い。
[205] 日本の歴史教科書のウソを暴く?! :に〜みや
2002/01/17(木)12:33 [メール]
さっしいさん、どうも。歴史教科書のウソは何も「魏志倭人伝」に限った事ではありません。
近代史において出てくる「西郷隆盛」の肖像は、弟をモデルにして描いた想像画です。実は、
西郷どんの肖像画や写真の類は残されていないのです。暗殺を恐れてかはたまた何らかの事情で
一切それらのものを残さなかったらしいのです。西郷どんの銅像を造る際にも顔がわからず
困ったので、弟をモデルにして適当な顔をデッチ上げたのですが、銅像が完成して除幕式に
西郷夫人を呼んで盛大に式典を執り行った際、夫人は銅像を見て、「ウチの人に似てない」と
言ったそうです。
>おぉ〜、に〜みやさんも、かなりの漢字通および歴史通ということでしたか。
>僕は世界史は苦手でしたが、日本史と中国史は好きなんです。
>三国志、いいですねぇ。関羽や趙雲や諸葛孔明が好きです。あ、姜維もいいな。
>でも、これをやり出すと漢字が大変なので、このぐらいにしておきます。
>「ほう統」や「ほう徳」「荀いく」なんて、字そのものがJIS漢字にはありませんし。
さっしいさんも三国志ファンでしたか。「諸葛孔明」と、いみな(漢字が出てこない)を
抜いて「姓+字(あざな・成人してから付ける通称名)」としてあるあたリはさすがですねぇ。
お○゛カな日本人はよく「諸葛亮孔明」等と「姓+名+字」と続けて書きますが、これは大きな
誤りです。「姓+名」或いは「姓+字」が正しいのです。「項羽と劉邦」の「項羽」の場合、
「羽」は字でいみなは「籍」です。「姓+名+字」と続けて書くと、「項籍羽」となり、かなり
変です。本名である「いみな」と通称、つまりニックネームである「字」はほぼ同列のように
扱われていて、いみなの後に字を続けるという規則はありません。但し、目上の人物との
やりとりにおいては本名が使われ、同僚や格下の人物との場合は「字」を使うというきまりに
なっていたようです。諸葛孔明が書いた「出師の表」の冒頭が「臣亮申す。」となっているのは
このためです。この文章は、蜀の後主、つまり皇帝である劉禅に宛てて書かれた上表文である
ので、本名で「臣亮」(臣下の亮が申し上げます。)という表現になっているのです。
「出師の表」という文章は名文です。いちいち臣下の名をいくつも挙げて、自分が出撃して
留守になる間、誰を頼りに国家経営を行えば良いかを若い暗愚な皇帝に言い聞かせるような
内容で、上表文としては異例のものです。この文章は、
「臣亮申す。先帝、業を創めて未だ半ばならざるに、中道にて崩そ(漢字がでない・「崩御」と
同じ意味)せらる。今、中原は大乱し、益州は疲弊す。これ誠に危急存亡の秋(とき)なり。」
(訳:臣下の亮が申し上げます。先の皇帝(劉備)が天下統一の事業を始めていまだ半ばにさし
かかる前に崩御せられた。今、中原は大いに乱れ、我が益州は疲弊してしまった。これはまさに
我が国の存亡にかかわる危機的な状況です。)で始まり、最後、「今、表に臨みててい泣し、
言うところを知らず」(訳:今、この上表文を書いているが、涙があふれてしまって、もう言う
べき事も思い浮かばなくなってしまった。)で結ばれている。後主に対して自分の留守中の
注意や心がまえ等を説きながらも、厭味な部分が全くなく、誠意にあふれていて、諸葛丞相の
誠実な人柄が偲ばれる、素晴らしい文章です。私はこの名文をほぼ暗記しております。
ちなみに、「後出師の表」は、「三国志演義」等では諸葛亮が書いた事にされてはいるが、
実際には誰が書いたものなのかはっきりしていない。内容は激越悲壮な感じが色濃く、読めば
厭戦ムードが高まりそうな文章で、とても戦に出るに当たって書くような上表文ではないような
感じがします。内容については割愛しますが、(私の持っている本の中に全文が収録されている
ので書いて書けない事もないですが。)私はこれを諸葛亮が書いたとは到底思えないのです。
>で、「応帝亜」はたしか「インド」じゃなかったかな。どうしてそう読めるんでしょうかね〜?
う〜ん、「インド」は「印度」としか・・・。
[206] 冷たい雨の一日でした :さっしい
2002/01/17(木)23:23 [メール]
▼有華さん▼
あは、気にしないでいいですよ〜
有華ちゃんだと、何となく違和感ないんだよなぁ。
…なんていうのは、いけませんかな?
昔は絶対に、ためグチなんてさせなかったんだけどね。
ところで、ここでは恋愛の固有名詞はやめておきますね。
本人が見るっていうことも、なきにしもあらず。
それにやっぱり公共の場、ちょっと恥ずかしいです。
ご希望とあらば、個人的に教えてあげましょう。
▼に〜みやさん▼
うんうん、「前出師の表」は名文ですねぇ。
土井晩翠の五丈原の詩も好きです。杜甫の「蜀相」の詩もいいですね。
ところで「諸葛孔明」とは意識せずに言っていたのですが、「諸葛亮孔明」は変ですか?
「劉備玄徳」とか「曹操孟徳」とか、普通に使っていたのですが…
なるほど、言われてみれば、そうなのかもしれませんね。
僕は、「三国志」ファンと偉そうに言っても、
吉川英治と、横山光輝と、光栄のゲームぐらいしか知りません。
一度、原典を読んでみたいと思いつつ…無理だな。
面白いのは「演義」の方なのでしょうね。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[207] 星落秋風五丈原 :に〜みや
2002/01/18(金)11:35 [メール]
さっしいさん、どうも。
>うんうん、「前出師の表」は名文ですねぇ。
特に最後の一文に諸葛亮の生真面目で実直な誠意溢れる人柄が滲み出ているような気がして
なりません。「今、陛下に上表する文を書いていますが、涙が溢れてもうこれ以上書く事が
できません」といった感じの表現で、この文章を書いた時の彼の気持ちがここに凝縮されている
ように思います。「出師の表」を読んで泣かない者はいなかったと言われているが、なるほどと
納得してしまいます。
>土井晩翠の五丈原の詩も好きです。杜甫の「蜀相」の詩もいいですね。
杜甫の「蜀相」は国語の時間の漢詩の授業で出てくる位、有名な詩ですね。私も好きですよ。
土井晩翠の詩の方は「星落秋風五丈原」ですね。なかなか渋いところを突いてきますね〜。私も
この詩が好きで、KOEIのゲーム「三国志」シリーズをやってて、五丈原に攻め込む際には必ず
この詩を口ずさむ程です。こうやって当時に思いを馳せるのもまた一興かと。
祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原
冷露のあやはしげくして 草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今静か
丞相病篤かりき (以下略)
>ところで「諸葛孔明」とは意識せずに言っていたのですが、「諸葛亮孔明」は変ですか?
>「劉備玄徳」とか「曹操孟徳」とか、普通に使っていたのですが…
>なるほど、言われてみれば、そうなのかもしれませんね。
三国志の登場人物の名前は、ほとんどが姓1文字に名1文字の合計2文字。それに字が2文字
ありますから、全部つなげて「姓+名+字」とすると4文字になり、日本人の名前に似てくる
から、日本ではそのような誤った書き方をするようになったのかも知れません。
また、劉備は劉備、曹操は曹操と「姓+名」で呼ぶのに対し、諸葛亮だけは孔明孔明と字で
呼ばれるのにも違和感を感じます。好きな?諸葛亮だけは特別扱いなのかも知れませんが、
主君である劉備や劉禅が諸葛亮を呼ぶ時に「孔明」と呼ぶのはおかしいです。目上の人間、
つまり主君或いは親・祖父母等の肉親のうちで上位の者は本名で呼ぶのが普通です。(但し、
諸葛亮は早くに親を失い、その後養ってもらった叔父も亡くしているが。)横山光輝のアニメの
三国志のせりふ等で劉備や劉禅が「孔明」と呼んでいるのは正確に言えば非常におかしい事
なのです。日本人は、いみなとあざなの使い分けが全然わかっていないと思います。
>僕は、「三国志」ファンと偉そうに言っても、
>吉川英治と、横山光輝と、光栄のゲームぐらいしか知りません。
>一度、原典を読んでみたいと思いつつ…無理だな。
>面白いのは「演義」の方なのでしょうね。
私も偉そうに理屈をこねたりしていますが、実は最初はゲームから入ったクチなんです。
ゲームをやるに当たって血縁関係や人間関係等が大いに関係してくるので本で調べ始め、結局
深みにハマってしまったという感じですかね。
今度、私の「諸葛亮に対する評価」をまとめてきますのでさっしさん、大いに議論しませう。
>有華ちゃんだと、何となく違和感ないんだよなぁ。
>…なんていうのは、いけませんかな?
>昔は絶対に、ためグチなんてさせなかったんだけどね。
私も実は以前に、かなり年下の女の子から(7つ位下だったかな。)呼び捨てにされていた
時期がありましたが、何だかちゃんと怒れませんでしたねぇ。「おいおい、呼び捨てかよ」とか
思いながらも、反面、「カワイイからまぁいいか」なんて思ってたり・・・。男としては、何か
ちょっと嬉しかったりもしたりして・・・。あははは・・・。
[208] ? :有華
2002/01/18(金)16:04 [メール]
呼捨てにされると嬉しいものなのでしょうか?
私の場合は、嬉しくかんじるかも・・。男子が自分の事を呼ぶのは名字。
だから、新鮮な感じがして・・。
女子から男子に呼捨てっていうのはよくある事なんですけどねぇ〜。
[209] ★・・・★・・・★ :茉莉亜
2002/01/18(金)16:56 [メール]
こんにちわ〜〜〜〜。有華さんもこんにちわっ。今日は願書提出日!!!
緊張〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。23日は面接だっし〜!!!!
頑張りますっ。百人一首最悪でした〜。過去最悪っ。あっ!ごめんなさい。さっしぃさんで・・・呼ばしていただきます。有華さんからご指摘頂きました・・。まだまだ寒いですけど
お気をつけて・・。有華さんお怪我ありませんか〜?ではでは・・・・・・・。
[210] 名鉄瀬戸線 :石川の鉄道
2002/01/18(金)20:30 [メール]
こんにちは、いつもお世話になっております。
今週の表紙は瀬戸電ですね。
懐かしいなあ、ボクは昭和40年頃城内で寮生活をしていました。
瀬戸線は当時まだまだ木造Wルーフの電車も活躍しており、堀川駅もよく利用しました。
北陸鉄道の方がよっぽど近代化されているぞと、名古屋の友人によく言ったものでした。
ところで当時堀川駅界隈にはピンク専門の「堀川劇場」おでんとお酒の「近江屋」さん、円頓寺商店街賑やかでしたねえ。かいけい座も興奮しました。
今よーく考えてみると当時はまだ未成年でした。
http://www2.nsknet.or.jp/~ohara216/isitetu.index.html
[211] 漢詩大好きです :さっしい
2002/01/18(金)21:05 [メール]
▼に〜みやさん▼
琴電だけでなく、歴史や漢文にも造詣が深いですね。
僕は、杜甫の「蜀相」は学生時代には知りませんでした。
国文科のくせに、遊んでばかりで勉強しなかったんですねぇ。
ここ10数年間で、漢詩のファンになり、のめり込み、
今では、好きな詩や言葉ともたくさん出会いましたが。
光栄のゲームも、純粋なシミュレーションは難しくてだめで、
専ら「三國志英傑伝」と「三國志孔明伝」にはまっていたんです。
SLGとRPGを組み合わせたような、リコエイションゲームとかいう分類でした。
それで、めちゃめちゃパラメーターの高い趙雲ばかり戦闘に出したり…
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[212] 青春広場ですなぁ :さっしい
2002/01/18(金)21:38 [メール]
▼有華さん▼
う〜ん、呼び捨てされる快感ですか…?
人間にはそういうちょっとマゾヒスティックな部分もあるのかもしれないけど、
僕なんか古い人間だから、目下の者からそう扱われるのは、以前はだめでした。
一見、穏やかで温厚そうに見えて(?)、実は「瞬間湯沸かし器」も秘めていて、
礼儀をわきまえない者に対しては、今で言う「マジギレ」をよくしたものです。
でも、親しみを込めてならいいんですよ。だから、有華なら許す。
…って、親しみを込めて呼び捨てしてみましたけど。
▼茉莉亜さん▼
なんだか最近はここも、青春広場、中学生日記になってきましたなぁ。
マニアックな「鉄ちゃんおじさん」たちの中では、ルンルン光ってますね。
で、もう願書提出ですか。そして面接、いよいよですねぇ。
面接では絶対に「お嬢様」してるようにねっ! その日だけはブリッコしましょう。
星飛雄魔みたいに「とうちゃんは…」って言わないように。(知らないよなぁ〜)
僕の呼び方は「さっしい」でも「さっしいさん」でも「社長」でも、何でもいいですよ。
「お・じ・さ・ま(はぁと)」でも…(?)(どうしても「おに〜ちゃん」じゃないよなぁ〜)
あ、ついでながら、「さっしい」の「い」は小さくないんですぅ〜
▼石川の鉄道さん▼
お久しぶりです。ご活躍の様子は拝見させていただいております。
名古屋城周辺で生活なさっていたんですね。堀川駅は都会の中のローカル終着駅でしたね。
当時の繁華街の様子も伝わってくるようです。古き良き青春時代ですねぇ。
僕は幡豆町の田舎によく行っていたので、名鉄には乗る機会は多かったのですが、
名古屋の町、特に鉄道を訪ねたのは、この時が初めてだったと思います。
大都会の町中をごろごろと、しかもお堀の中を直角に曲がって走ったり、
橋の下の狭いトンネルをガントレットで抜けたりと、瀬戸電は魅力たっぷりでした。
スカーレットの特急がミュージックホーンを鳴らして疾走、というのにも圧倒されました。
昔買ったキング鉄道シリーズのレコードにも、瀬戸線の特急の音が入っていました。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[213] 西宮後に統一します :西宮後
2002/01/19(土)21:55 [メール]
すみません。西宮後とていがごちゃまぜになって面倒くさかったですね。
HNはもう西宮後に統一してしまおうかと思います。
青とクリームの山陽電車懐かしいです。
親戚が須磨に住んでいたため時々乗ったのですが何時の間にかこの色は見かけなくなりましたね。
アルミ車の銀色車体に赤帯もなくなったし。
山陽は踏み切りにいるとマルーンの阪急や阪神の赤銅車も頻繁にやってきて
一本の私鉄路線にいろんな車両が来るのが面白かったものです。
神戸高速が自社の車両を作ればもっと面白いのになんぞと子供心に思っていました。
さて北陸の難読駅名シリーズですが答えは
@動橋=いぶりはし A石動=いするぎ B轟=どめき B観音下=かながそ C大河端=おこばた
となっています。
@、Aは北陸本線の駅ですから結構知られています。
どうでもいいことですが動橋は駅名では「いぶりはし」、地区名では「いぶりばし」です。
漢字変換では「いぶりはし」からは変換できました。
「いぶる」とは方言で揺れ動くと言う意味だそうです。
B轟は京福越前本線の駅です。何ともいかつい名前です。
「どめき」で漢字変換ができたのには驚きました。
C観音下は1977年廃止の尾小屋鉄道の駅でした。
Dは北陸鉄道浅野川線の駅です。
昔この駅から電車に乗ろうと思ったら急行通過駅だったので次の駅まで歩いた記憶があります。
僕は地名の由来にはとても興味があります。(「変なもんにばっか興味持つな」と言われますが・・・)
「綾部」「員弁」のような「〜べ」とつく地名は古墳時代まで遡るものが多いようです。
大和朝廷や豪族の技術集団「〜部」と名乗っていたそうで、それが現在まで引き継がれてきたものだそうです。
「員弁」は昔は「稲部」だったのかな?と推理したりするのも面白いです。
http://isweb40.infoseek.co.jp/photo/nisimiya/
[214] 青春広場ですよ☆ :有華
2002/01/19(土)22:04 [メール]
茉莉亜には、私からこのホームページを紹介しました☆
だから、私と茉莉亜は同じ学校なのです!!
さっしいを「おに〜ちゃん」と呼ぶのはちょっと無理がありますね(笑)
あっ別に、変な意味じゃなくって・・!!
んで、マゾヒスティックねぇ・・難しそうな言葉ですがいわゆるマゾってやつですよね?
下の名前で呼ばれると親しいっていう感じがするのです。だから、嬉しいのかな〜・・私の場合は。
昨日は学校で4回も転んでしまいました(涙)教室のドアのちょっとした段差に転んだり、すべってしまったり・・その転んだ所を担任の先生に見られてしまい「お前は何一人で遊んでるんだ」と言われてしまいました・・。もうすぐ受験だって言うのに、チョット縁起が悪い今日この頃です。
[215] 早起きしすぎて眠いですぅ〜 :さっしい
2002/01/20(日)5:56 [メール]
▼西宮後さん▼
はいはい、じゃ「てい」さんは「西宮後」さんに統一ですか?
ハンドルって、ペンネームと同じで、いくつか持ちたくなりますよね。
山陽電鉄は、立地が神戸以東ということで、経営的には苦しいのではないかと思います。
しかし、阪神梅田から姫路への直通特急などは、近年の思い切った施策だと感じますし、
実際に全区間乗ってみて、そう早くはないけれど、とても楽しいひとときを過ごせました。
反面、かつて阪急六甲で折り返し列車を眺めたのも、今では幻となってしまいましたね。
「どめき」は、そういえば思い出しました。「かながそ」はいかにも軽便らしい響きですね。
「おこばた」も、確かにそう読めないことはないですが、ほんとに地名って難しいですね。
地名の由来って、それだけで立派な学問にもなりますし、大いに研究して下さい。
「岱」「圦」「乢」「萢」「圷」のような、いわゆる「方言地名」専用の漢字もあったりしますし。
…って、これだけでもクイズになっちゃいます。二番目までは駅名にもありますよね。
▼有華さん▼
有華とか茉莉亜とか、今どきのお嬢さんって、芸能人みたいな素敵な名前が多いですね。
僕らの同級生は、ほとんど「○子」だったけどなぁ。せいぜい「○美」とか「○江(枝)」とか。
ところで「変な意味」ってどんな意味でしょうか?(これでも昔はおに〜ちゃんだったんだい!)
僕の場合、名前だけで呼ばれると、なんだか犬みたいな感じになっちゃうんですよねぇ〜
その昔、先輩からの電話の取り次ぎで、母親が大きな声で僕の名を連呼したもんで、
電話に出た途端、「君んち、犬飼ってるの〜?」って、からかわれちゃいました。
それにしても、なんでそんなに転ぶのでしょうか。もしかして、有華って慌てもの?
でもね、今のうちにたくさん「滑って」おくと、受験のときはきっと大丈夫ですよ。
あと1ヶ月ですか? 頑張ってくださいね〜!(こんな所に入り浸ってると、ちょっと心配だけど…)
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[217] 早起きですね! :RRE
2002/01/20(日)8:57 [メール]
さっしいさん お早うございます。
私も土曜も日曜もいつも殆ど同じ時間に起床です。特に日曜は、子供が6:30から毎週
セーラームーンの再放送を楽しみにしているので、いつもより早く目覚ましをかける
のです。
山陽須磨拝見しました。私も大好きな私鉄で、いつもこの場所で撮っていました。
しっかりと2000系ステンレス車も写っていますね。追い越しダイヤの関係で、今
でもここで山陽車が上下4本並ぶのが撮れると思います。
この撮影場所の反対側西側にカメラを向けると、高くそびえる鉄拐山や鉢伏山を
バックに阪急や阪神、山陽が次々とやって来るのが捉えられ、お気軽駅撮りには
最高の箇所でした。
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[218] ミラクルロマンス〜♪ :さっしい
2002/01/21(月)6:34 [メール]
▼RREさん▼
早起きは良かったのですが、あのあと不覚にも、またぐっすり眠ってしまいました。起きたら10時半。
しかし、セーラームーンですか。懐かしいな。
本放送の時に夢中になっていて、周囲からはあやしい男に見られていたような。
僕は断然、亜美ちゃん(セーラーマーキュリー)のファンでした。
スーファミのしょ〜もないゲームも買って、やってみましたが、
亜美ちゃんがダメージを受けるときの「あ〜ん!」という声が色っぽくて、
わざとやられて喜んだりしていたものです。やっぱり、かなり「あやしい」か…
須磨浦近辺は、平家物語の舞台でもあり、山の上からの眺めも最高でした。
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[219] 私も趙雲ファンです。 :に〜みや
2002/01/21(月)12:30 [メール]
さっしいさん、どうも。
>琴電だけでなく、歴史や漢文にも造詣が深いですね。
>僕は、杜甫の「蜀相」は学生時代には知りませんでした。
>国文科のくせに、遊んでばかりで勉強しなかったんですねぇ。
>ここ10数年間で、漢詩のファンになり、のめり込み、
>今では、好きな詩や言葉ともたくさん出会いましたが。
>光栄のゲームも、純粋なシミュレーションは難しくてだめで、
>専ら「三國志英傑伝」と「三國志孔明伝」にはまっていたんです。
>SLGとRPGを組み合わせたような、リコエイションゲームとかいう分類でした。
>それで、めちゃめちゃパラメーターの高い趙雲ばかり戦闘に出したり…
私も趙雲は大好きです。関羽や張飛を差し置いて総大将や太守に任じる事もしばしばです。
傑出した武力もさる事ながら、それ以外の能力も平均的に高いので使いやすく、理想の配下と
言えるかも知れません。趙雲の政治的能力の高さは、戦争での勝利の後、占領地での内政に
その実力を発揮します。(実際の趙雲が政治に長けていたかどうかはわからないが。)寿命も
長いので、旗揚げから統一(できればの話だが。)までの過程をずっと一緒に戦っていけると
いうのも魅力です。私が新君主として旗揚げする場合、189年の「董卓の暴政極まる」のような
初期の頃のシナリオでは、趙雲が在野で登場する幽州の代県で旗揚げしていち早く趙雲を配下に
加え、帝位についた暁には大将軍として全軍を統括させる等、配下武将の中でも最高の待遇を
与え、旗揚げ当初からつき従う股肱の臣として誰よりも重用します。劉備を滅ぼした後に投降
してくる(たまに「忠臣は二君に仕えず」等と言って仕官を拒否される場合もあるが。)関羽や
張飛よりも趙雲の方が可愛いのは当然です。
>う〜ん、呼び捨てされる快感ですか…?
>人間にはそういうちょっとマゾヒスティックな部分もあるのかもしれないけど、
私はマゾではありませんが(笑)、年下の女の子から親しみを込めて呼び捨てにされるのも
まんざら悪くはないかなと、当時はそう思っていたまでの事です。まぁ、向こうが命令口調
だったりすると私もキレてたかも知れませんが、女の子に甘えられると弱いもんで、「まぁ、
しょうがないかな・・・」なんて苦笑してました・・・。イチイチ口うるさく言うのもどうかと
思ったので、最初は何も言いませんでしたが、彼女の将来を考えて、「目上の人に対してそんな
口調ではダメだよ」と折をみてそれとな〜く諭してあげました。今頃どうしているのかなぁ?
[220] 諸葛亮は本当に天才軍師だったのか? :に〜みや
2002/01/21(月)12:54 [メール]
以前にも書いた通り、私が個人的に考える諸葛亮に対する評価を書き綴ってみたい。まずは
三国志最大のクライマックス、「赤壁の戦い」を題材に取り上げてみたいと思う。本来最初は、
諸葛亮が劉備に仕える際に進言した「天下三文の計」(隆中対)について述べるのが筋かも
知れないが、この部分は後の「諸葛亮は何故、劉備の東征を止めなかったか」で述べたいと思う
ので後回しにしたい。長くなるので数回に分けて書きます。迷惑でしょうがどうぞおつきあいの
程を。
「三国志演義」等では神がかり的な天才軍師として描かれている諸葛亮。果たして彼は本当に
そのような人物であったのであろうか?正史「三国志」の中の「蜀書」の記述と「三国志演義」
の記述とを比較して今一度考察したいと思う。
三国志の中で最大の戦いとも言われる「赤壁の戦い」であるが、「三国志演義」では諸葛亮が
東南の風を祈祷で呼び、これが赤壁での最大の勝因とされており、戦争後に劉備が荊州を領有
する根拠とされているが、これは明らかにおかしい。まず、諸葛亮が東南の風を祈祷で呼んだと
するのはフィクションであろうという説が有力である。諸葛亮は、冬のある数日間において、
ある一定の気象条件を満たせば、冬の季節風とは逆の東南の風が吹く事を予め知っていたか、
或いは付近の農民らから聞いて知っていたのであろう。諸葛亮が東南の風を祈ったとされている
「拝風台」は、今も赤壁の近くに観光名所として存在するが、これは後年にそれらしいものを
作り、観光客を呼ぶ為にデッチ上げたニセモノらしい。また、諸葛亮が風を吹かせなかったら
孫権の軍勢は曹操軍に勝てなかったとする「三国志演義」の記述は屁理屈もいいところである。
一説によると、赤壁で曹操軍の中に疫病が流行した。曹操は疫病を隠して孫権軍と対峙して
いたが密かに退却の機会を窺っていたという。北方から来た将兵は南方の慣れない気候風土に
体調を壊し、とても戦える状態ではなかったらしい。そこで自ら自軍の軍船に火を放ち退却した
とも伝えられている。後に曹操が「赤壁ではあたら周瑜に功名を挙げさせてしまった」と苦笑
したとも言われている。もしこれが事実なら、黄蓋の苦肉の計と投降と見せかけての火攻めは
全て創作という事になる。
「三国志演義」では、諸葛亮が周瑜から3日で10万本の矢を用意せよという難題を吹っかけ
られて、藁束を満載した船を用意し、夜半に霧に紛れて曹操の陣営に夜襲をかけ、慌てて矢を
射かけた曹操軍からまんまと矢を頂戴する場面があるが、これは後年の創作である。「魏略」に
よると、赤壁の戦いの際に孫権は自ら大船に乗り、敵情視察に赴いた。曹操は孫権の船に弩を
雨あられと浴びせかけたので、船は突き刺さった矢の重みで矢を受けた側へ傾き、転覆しそうに
なった。そこで孫権は船の舳先を廻らせ、反対側にも矢を受けて、船が安定したのを見計らって
引き上げたという記述がある。どうもこの話をそのまま拝借したものらしい。
また、演義の記述によれば、赤壁の戦いにおいて劉備軍が関わった事といえば、開戦に際して
諸葛亮が江東の孫権を説得した事と、風を呼ぶ祈祷のマネ事と、あと敗走する曹操軍の追撃戦に
加わった事位で、別に積極的に戦闘に参加している訳ではなさそうである。曹操軍に敗れて夏口
へ逃げた劉備の軍勢に、戦闘に参加できるだけの軍力が残っていたかどうか疑問な上、水戦に
不慣れな北方出身の武将を中心に構成される劉備軍が赤壁で活躍できたとは思えない。長坂から
命からがら逃れてきた劉備の陸軍は敗残の将兵をかき集めてもせいぜい1万位なものだろう。
あと、死んだ荊州牧劉表の長子、劉?が率いている水軍が約1万あるが、指揮官が病弱な劉?
ではどうも心許ない。数字上では約2万程度の兵力はあるのだが、散々に長坂でやられた直後
ではマトモには戦えないだろうし、戦うよりも先に軍勢を立て直すのが先決であろう。とりあえ
ず孫権と同盟を結んで曹操と対抗し、孫権と曹操とを赤壁で戦わせ、自身は日和見を決め込んで
これ以上の軍勢の損耗を避けたと考えるのが自然なのではないだろうか。
赤壁の戦いの前、曹操が荊州に攻め込む直前に牧の劉表が死に、次子の劉?が後を継いだのだ
が、劉?は曹操に降伏した。(その後、新しい任地である青州に送られる途中で謀殺された。)
長子の劉?は江夏太守として外地におり、曹操軍には降伏しなかった。後に彼は水軍を率いて
劉備軍と合流している。赤壁の戦いの後、劉?は荊州刺史となり、劉備がその後見となった。
病弱な劉?がほどなく病死した為、劉備がその後を継ぎ、まんまと戦後のドサクサに紛れて
劉備は荊州を手に入れたのであったというのが事実らしい。だが、「三国志演義」では、どう
しても赤壁での勝利を劉備の手柄にしたくて仕方がなかったのだろう。しかし、諸葛亮が風を
吹かせたから戦争に勝てたのだという理屈は、余りにも暴論過ぎる。風が吹いたら桶屋が儲かる
ではないが、風が吹いたら筵売り(劉備の元の職業)が儲かったというのでは、孫権も納得が
いかなかったのではなかろうか。
[221] う!漢字が出ない。 :に〜みや
2002/01/21(月)13:54 [メール]
すみません。一部、漢字が出ませんでしたね。荊州牧劉表の長子は「リュウキ」。「キ」の
字は[王へん+奇]。次子は「リュウソウ」。「ソウ」の字は[王へん+宗]。「リュウキ」は
先妻の子で、「リュウソウ」は後妻である蔡氏の子である。蔡氏は部将の蔡瑁の姉で、蔡一族は
地元荊州の有力者であった。劉表は元々荊州の出身ではなく、朝廷に牧に任じられて赴任した
為に、荊州の統治に当たってはどうしても地元の有力な勢力の力を借りなければならなかった。
そこで前の妻も死んだ事から手っ取り早く有力者の蔡一族から後妻を娶る事にした。これが
後のお家騒動の元凶である。劉表は蔡氏を寵愛した。(地元勢力の力を借りている手前、そう
せざるを得なかったのかも知れないが。)更に地元の名士を家臣として重用した結果、主な
家臣は全て「リュウソウ」擁立派で占められる事になり、劉表も彼らの言う事を聞かざるを
得なかった為、先妻の子である「リュウキ」は劉表から遠ざけられ、疎んぜられるように
なったのである。お家騒動は起きるべくして起きた。そこにつけ込んだのが曹操であった。
こうして荊州はその後も魏・呉・蜀、三国の争奪の地となり、長い戦乱に巻き込まれる事に
なったのである。
[222] セーラームーン・・ :有華
2002/01/21(月)21:55 [メール]
私の小さい頃もテレビで放映してましたよ!
私も週に1回それをみるのが楽しみでした!
今うちにはスーパーファミコンのソフトもありますしね♪
意外に、結構はまるんですよね〜・・。
[223] BGMが欲しいですね〜 :さっしい
2002/01/21(月)22:52 [メール]
▼に〜みやさん▼
「三國志」も熱く語ってくれていますね。いつもながら、掲示板ではもったいないですぅ〜
ともあれ、三国志をよく知らない人にとっては、良い導入となるのではないでしょうか。
といっても、ここに来ている人のうち、どれだけの人がこういう話題に興味を持つかは分かりませんが。
でも、鉄道好きの人って、地理はもちろんでしょうが、歴史にも興味のある人が多いようですね。
ところで、こういう歴史的な作品から、史実を明らかにしていくのも一つの方法でしょうが、
自分の場合は「演義」をあくまで文学として、「物語」を楽しむ方向で味わっています。
う〜ん、やっぱり文学畑出身のせいなのかな。だから赤壁の戦いにしても、
孔明が祈ったら風が吹いた、おぉ、すごい男だ〜、という捉え方で楽しいんでいます。
我が国で言えば、古事記とか、平家物語とか、太閤記とか、忠臣蔵の世界みたいなものですかねぇ。
それはそれでまた、お手軽に面白いので。(それにしても、JISの漢字って足りないですよね。)
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[224] ごめんね素直じゃなくて〜♪ :さっしい
2002/01/21(月)23:00 [メール]
▼有華さん▼
有華ちゃん、このところ快調ですねぇ。(勉強しとるのかい?)
で、でも、そうか、セーラームーンって「小さい頃」だったんですね。
まさか、あのかっこして、スティックなんて振り回してなかったろうね。
そういう中学生もいたりして…、ま、おっさんよりはいいでしょうけどね。
スーファミソフトは、一回クリアしたら、もうやらなかったなぁ。
あの頃は、声が出るだけで感動してましたけど。
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[225] 史実は史実。事実かどうかはわからない。 :に〜みや
2002/01/22(火)10:30 [メール]
さっしいさん、どうも。
>「三國志」も熱く語ってくれていますね。いつもながら、掲示板ではもったいないですぅ〜
>ともあれ、三国志をよく知らない人にとっては、良い導入となるのではないでしょうか。
>といっても、ここに来ている人のうち、どれだけの人がこういう話題に興味を持つかは
>分かりませんが。でも、鉄道好きの人って、地理はもちろんでしょうが、歴史にも興味のある
>人が多いようですね。
>ところで、こういう歴史的な作品から、史実を明らかにしていくのも一つの方法でしょうが、
>自分の場合は「演義」をあくまで文学として、「物語」を楽しむ方向で味わっています。
>う〜ん、やっぱり文学畑出身のせいなのかな。だから赤壁の戦いにしても、
>孔明が祈ったら風が吹いた、おぉ、すごい男だ〜、という捉え方で楽しいんでいます。
>我が国で言えば、古事記とか、平家物語とか、太閤記とか、忠臣蔵の世界みたいなもの
>ですかねぇ。それはそれでまた、お手軽に面白いので。(それにしても、JISの漢字って
>足りないですよね。)
孔明が祈ったから風が吹いただとか、智謀で矢を10万本用意したとかいう話だけならまだ
お話を面白くする為にはいいと思うんですが、祈祷で風を呼んだのが最大の功績で、赤壁で
勝てたのはそのお陰であって、だから荊州は劉備のものだとまでいうのはおかしな理屈です。
いくら何でもこれは屁理屈というもの。
ただ、1つだけ「演義」の作者の羅貫中の肩を持つとすれば、周瑜という人物の描き方が
いかにも生々しくリアルで人間臭いという事。史実では夭折しながらも順風満帆の人生を送った
事になっているのだが、「演義」では諸葛亮の智謀に嫉妬し、このまま生かしておけば将来、
我が軍の為にならないとまで考え、諸葛亮に対して殺意をつのらせ、数々の策謀を駆使して
陥れようとするも全て見破られ、遂に非業の死を遂げてしまう。その彼の死に際の言葉はまさに
壮絶である。私は史実のように順調な人生を送った周瑜よりも、「演義」での火宅の人生を
送った周瑜の方がリアルで、人間臭くてとても魅力的に感じてしまうのである。ただ、江東の
美周郎の最期としては、余りにもヒドい描かれ方でしょうけど・・・。
[226] 諸葛亮の失策。 :に〜みや
2002/01/22(火)11:53 [メール]
さて、レスに続いて、「諸葛亮という人物を考える」第2回です。私は何も諸葛亮の評価を
下げようとして書いている訳ではなく、「演義」やその他「三国志」に関わる小説等であたかも
超能力者であるかのような描き方をされたりしている部分を史実によって検証するというのが
テーマなのであって、私も諸葛亮は大好きな武将ですし、三国時代随一の名宰相であると思って
います。ただ、諸葛亮の立てた方策がいつもいつも当たっているとは言えない部分もあります。
まずは本題に入る前のプロローグとして、諸葛亮の失策について取り上げてみたい。
蜀の劉備が漢中王となった事に腹を立てた曹操は、司馬懿の献策を容れ呉に使いを出し、
「魏は漢中を攻め、呉は荊州を攻め、共に蜀を倒そうではないか」ともちかける。呉では、
荊州の領土問題について交渉に応じようとしない関羽に対し、出方を窺う為に関羽の娘と孫権の
息子との縁談をもちかけた。関羽は以前に諸葛亮に言われた、「東の呉とは和す」という基本
方針を忘れたのか、「虎の娘を犬ころの息子なんぞにやれるか」と即座に突っぱねた。
これにより孫権は荊州攻めを決意したのである。参謀の「ホシツ」(「ホ」は「歩」。名の
「シツ」の字は、こざとへんに「歩」そしてこの下に「馬」という字。)が、「魏は我々に
荊州を攻めさせて、漁夫の利を得ようという腹積もりだろう。自分達だって陸路からいくらでも
荊州を攻められるでしょうに。この際、樊城に駐屯している魏の曹仁に陸路荊州に攻撃を
仕掛けるよう仕向けましょう。樊城で関羽と曹仁が戦っている隙に我々が大将を派遣して荊州を
攻めれば、労せずして荊州を我が手中に収める事ができましょう」と進言、孫権も喜んでこれに
従った。
さて、これらの動きは蜀にも伝わった。諸葛亮は、「曹操が呉をけしかけるのは予想通り。
しかし呉には策士も多いでしょうからまず曹仁に荊州を攻めさせるように仕向けるでしょう」と
敵の動きを全て読んでいる。しかし、その対策はといえば、「関羽に樊城への攻撃を命じれば、
敵の策謀も瓦解しましょう」というもの。まさに呉の「ホシツ」の思惑通りではないか。結局、
敵の術中にはまった関羽は麦城で敗死してしまうのである。諸葛亮が本当に神がかり的な何でも
お見通しの天才的軍師だとするなら、この明らかな失策をどう説明し、どう取り繕うつもり
なのだろうか。
実際のところ、諸葛亮という人物は、謀臣というよりは内政で力を発揮するタイプの人材で
あって、陳寿が評したように、「軍の司令官としては凡庸であったが、内政官としては非常に
優秀だった」というのが妥当なところではないだろうか。実際、正史では極めて優秀な政治家
として描かれているのである。
[227] 諸葛亮は何故、劉備の東征を止められなかったのか? :に〜みや
2002/01/22(火)12:26 [メール]
さて、前置きがかなり長くなってしまった訳ですが、いよいよ今日の本題に入りましょう。 劉備が軍を率いて長江を攻め下った、いわゆる「関羽・張飛の弔い合戦」であるが、「演義」の
記述によると重臣達がこぞって反対する中、諸葛亮はただ、「どうしても呉を攻めるなら、大将
1人を派遣すればよし、親征だけはおやめ下さい」と諌めただけで、呉への征伐自体には絶対に
反対という立場ではなかったようだ。これでは少なくとも親征には反対であったとしても東征
自体については多少なりとも容認しているフシがなくはない。なお、正史には諌めたという
記述はないようである。
しかし、いくら何でも義兄弟を殺されたという私情だけで大軍を動かし、民に賦役を科し、
租税を徴発し、莫大なる戦費を費やして、領民や国家財政に負担をかけるというのはどうも
考えにくい。もし、これが事実なら公私混同も甚だしい。しかも、関羽が死んでから3年近くも
経った後の出撃である。いくら戦争の準備には時間がかかるとはいえ、本当に弔い合戦をやる
つもりなら、もっと早い時期に攻めていたはずである。帝位についた劉備にわがままが出たのだ
とも言えなくもないが・・・。(父親を殺された私怨で曹操が陶謙を攻めたという例はあるが、
この時はすぐに陶謙を攻めたので、何年も経ってから事をムシ返すという訳ではなかった。)
実際のところ、諸葛亮は内心、東征に賛成していたという説もある。そもそも諸葛亮が劉備と
隆中で初めて会った際に具申した、「天下三分の計」とは、益州と荊州の2州を跨有し、呉の
孫権とは同盟を結んで背後を衝かれないようにしておいてから、魏の国内に内乱等の変事が
起こればそれに乗じて魏を攻め、益州からの軍は漢中より出撃して長安を衝き、それに呼応して
荊州より別働隊が出撃して許都や洛陽を衝く。更に同盟国である呉が兵を出して建業から合肥や
淮陰を攻めれば、魏を三方から一度に攻撃する事が出来、うまくいけばやがては中原を恢復
できるだろうというものである。だから関羽が敗死し、荊州を失った時点で「天下三分の計」の
戦略は早くも破綻しているのである。そんな時に劉備が荊州を攻めると言い出したので諸葛亮は
あえて止めなかった。(呉とは和し、魏を攻めるという基本戦略からは完全に外れる行為では
あるのだが・・・。)
また、劉備が益州を取った際の家臣には、旗揚げ当初からの北方出身の武将達に加え、荊州
駐屯時に配下に加わってきた家臣も多かった。荊州が失われた際、荊州出身の家臣の中に
少なからず動揺が生じたとしても不思議はない。弔い合戦ではなく、荊州の奪還を目的に呉の
征伐が行われたと考えてもおかしくはないのではないかという見方もできるだろう。
劉備の東征中、諸葛亮は黙々と成都で兵糧や軍資金の調達・輸送等の後方支援を行っていた
のであるが、果たして彼は何を考えながら任務についていたのであろうか・・・。
次回は第3回「諸葛亮の司令官としての能力について」。一応、諸葛亮については最終回と
なります。諸葛亮が行った南征と北伐について、その戦略を述べてみたいと思う。
[228] 声を楽しむ!? :有華
2002/01/22(火)17:38 [メール]
あの声こそマゾってやつじゃないですか??
って思うんだよねぇ〜(笑)
今日は久しぶりに部活に顔を出してみました!
また、いろんな問題が発生して大変です・・。
もう、受験だからいつまでも気にしていられないんだけど・・やっぱ気になっちゃうんだよね・・。それだけ、私は部活が好きですから。
[229] もう眠いです :さっしい
2002/01/22(火)21:39 [メール]
う〜ん、最近はここもすっかり、
三国志と中学生日記とセーラームーンになっちゃいましたねぇ。
それはそれでいいのですが、鉄道の話題がないのも寂しいような…
ほかの人も、いろいろ書いていって下さいね〜
今日は遅く帰宅して、届いたピクトリアル誌をちらっと見てみました。
「臨港線」の回顧特集って、なかなかマイナーで面白いですよ。
▼に〜みやさん▼
「三國志孔明伝」のゲームでは、周瑜は無能で情けない描かれ方をしていました。
何をやっても孔明に勝てず、裏をかかれ、嫉妬と悲憤のあまり倒れるという、
「演義」そのままの人物像を持ってきたのでしょうかね。
しかし漢詩では、赤壁の戦いは周瑜の活躍として歌われているものが多いようです。
李白、杜牧、蘇東坡など、なかなか力のこもった作品を作っています。
「三國志英傑伝」では、呉を攻める戦いになかなか勝てませんでした。
▼有華さん▼
先輩としては、いろいろと心配を抱え込んでしまっていますか。
上級生ともなると、それなりの苦労もたくさんあるものですよね。
たぶん君たちが下級生だった頃、先輩たちも苦労したんだろうなぁ。
ま、そうやって世代はめぐり、時代は移ってゆくものなのでしょう。
今、自分のできることを精一杯やる。そして、自分の時代が終われば去る。
後輩に素晴らしい伝統を残し、立派に巣立っていってくださいね。
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[230] けどっ・・。 :有華
2002/01/22(火)23:15 [メール]
部活の方はうまくいかないんですよね。
うちの部活は今年?去年パソコンを買ってもらったのです!!
それで今は1年生が使ってるのですが・・遊びに使う時もあって。
2年生が怒っても直さないから3年が出なきゃいけないのですよぉ!!(怒)
でも、1年生はまじめに私が怒るとちゃんと謝ってくるんですよ♪
私が怖いのかなぁ!?ちょっとかわいらしい☆^-^V
[231] いっそ小田急で逃げまひょか? :に〜みや
2002/01/23(水)15:25 [メール]
さっしいさん、どうも。今日、ウチの会社にISO9001(品質)の監査が入りました。(-_-;)
私は我が社の工事の品質を守る検査員という役職なので、監査官から質問等をされた場合に
対応しなければならない。社外の監査官なので訳のわからん事を言ってきたり、取るに足りない
細かくて下らん事をイチイチ聞いてくる(らしい)ので、監査に立ち会うのが鬱陶しい。という
訳で今回も(!!)ISO監査を逃れる為に外出する仕事を作り、逃げ回ってから?頃合いを
見計らって事務所に帰ってきました。今回は検査合格を出すに当たっての決裁をもらいに行く
のと、別件の工事の打ち合わせでまた別のビルに行くという事で出掛けました。名付けて、
「いっそ小田急で逃げまひょか〜♪」の計。とりあえず今回も大成功!ちなみに前回も、決裁を
もらいに兵庫支店まで新快速で逃げ?ました。でも、この計略(?!)、ただ逃げるだけでは
ダメなんです。監査で、「現在検査中の工事の資料を見せて下さい」等とも言われる事がある
らしいので、絶対に監査が入る日までに検査は全て終わらせ、必ず監査の日に合わせて決裁を
もらいに出掛けるというようにしないと完全に逃げ切れなく(???)なってしまいます。
しかし、何だかんだで今までただの1回も監査に立ち会っていない私って、かなりの策士?
それともただ単に悪い奴???
という訳で、業務多忙ゆえ、今日は「諸葛亮の人物像を考える」はお休みです。次回で
諸葛亮は終わりですが、次は周瑜でも取り上げましょうか?
>「三國志孔明伝」のゲームでは、周瑜は無能で情けない描かれ方をしていました。
>何をやっても孔明に勝てず、裏をかかれ、嫉妬と悲憤のあまり倒れるという、
>「演義」そのままの人物像を持ってきたのでしょうかね。
何せゲームのタイトルが「孔明伝」ですからね。当然諸葛亮に偏った描かれ方になっている
訳なんでしょうね。
>しかし漢詩では、赤壁の戦いは周瑜の活躍として歌われているものが多いようです。
>李白、杜牧、蘇東坡など、なかなか力のこもった作品を作っています。
>「三國志英傑伝」では、呉を攻める戦いになかなか勝てませんでした。
実際のところ、漢詩で描かれている周瑜が本当の彼の実像に近いのでしょう。「演義」では
余りにも最期が無残です。ただ、相当人間臭くて、いいと言えばいいんですけどねぇ・・・。
[232] 「中学生日記」といえば・・・。 :に〜みや
2002/01/23(水)15:51 [メール]
数年前に久し振りに見たら、あの「いとうまい子」が先生役になってたのには笑えた。昔は
「不良少女と呼ばれて」いたのに・・・。
[233] 不定期更新しました :さっしい
2002/01/23(水)20:45 [メール]
週の途中ですが「気まぐれ散歩6」をアップしてみました。
「ぽこぺん写真帳」の構成変更とともに、ご感想をお寄せ下されば幸いです。
フレームの不都合等は無いでしょうか。モバイル環境についてはご容赦願いますが。
▼に〜みやさん▼
お仕事ご苦労様です。
せっかくの三国志談義も、他の人からの反応は全くありませんね。
やはりここでは「鉄」でないと盛り上がらないのでしょうか。
考えてみれば、狭い世界ですよね。
▼有華さん▼
パソコン導入ですか、豪勢ですね。
もっとも、今どきの中学生なら、誰もが操作できて当然なのかな。
おじさんたちなんて、もう…。(いえいえ、負けませんよ。)
》私が怖いのかなぁ!?
ズバリ、そうでしょう。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[234] そんなこと :南野哲志
2002/01/23(水)21:19 [メール]
みなさん、こんにちは。
●さっしいさん、に〜みやさん
反応が少ないなんて、そんなこと無いですよ。
三国志談義はかかさず読んでますよ。
鉄ネタ以外でもかえって気晴らしかも!
しかし、本業があまりにも忙しくて、なかなか書き込み出来なくて...
に〜みやさんの監査の話は私も実感!
私が設計を担当した市営住宅で、昔会計監査に引っかかったことがあって...
どうにかなんとか逃げ切りましたが。
中学生のお嬢様二人のお話も今となってはなかなか新鮮でいいですよね。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm
[235] 模様替えなさいましたね :すみじ
2002/01/23(水)21:40
さっしいさん、こんにちは。すみじです。
「写真館」と「気まぐれ散歩」の模様替えをなさいましたね。
とくに「写真帳」はフレームを使っているのに全くそれを感じさせませんし
さりげないところにさっしいさんのこだわりが感じられますね。
気まぐれ散歩も軽いのりの作りのふりをしてらっしゃいますけれども
色使いなどに気を遣っていらっしゃるのが偲ばれます。
ついこの間まで「ホームページなんぞ自分には無理」っておっしゃっていたのが不思議なくらいですね。
まだまだ隠しだまもあるような気がしますので完成を期待しています。
ただ、さっしいさんはのめり込むタイプでらっしゃいますのでくれぐれも無理なさらずに。
パソコンにかじりつきすぎてポケモン症候群になっちゃ笑えませんよ〜。
有華さん、はじめまして。
娘と同じ年頃ですので話し掛けるのは気恥ずかしいですが…(笑)。
自分が中学生の頃を思い出して、なぜかひとつ年上の二年生には妙な反発心を覚え
ふたつ年上の三年生には尊敬心を覚えたような気がします。
そして、自分が三年生になった時にはひとつ年下の二年生がたまらなく生意気に思え
ふたつ年下の一年生が可愛く思えたものです。
受験も控え、クラブの後輩の指導もなかなかできないかと思いますが
頼りがいのある先輩として頑張ってください。
そして受験勉強の息抜きに楽しい話題を提供してくださいね。
[236] なかなか眠れなくて :さっしい
2002/01/24(木)0:31 [メール]
▼南野哲志さん▼
すみません、お気遣いありがとうございます。
確かに、読んでいらっしゃる方は多いでしょうから、良しとしましょう。
ニフティの会議室時代からの悪い癖で、話題に反応してくれる方がいないと、
ついつい、つまらないのかな、なんて思っちゃうんですよ。
自分自身、軽い話題の方が得意な(?)せいもあるのでしょうが。
南野さんも、先日来だいぶお忙しいようで、お仕事ご苦労様です。
この不景気の世の中で、仕事が忙しいのは幸いとすべきなのかもしれませんね。
▼すみじさん▼
ご感想ありがとうございます。ちょっと「こそばゆい」ですが。
フレームの使用はいろいろと悩むのですが、やはり便利だと思い使ってしまいます。
今回は「写真帳」をテレビ画面風(紙芝居風?)に切り替えてみたくて、
遊びで作ってみたものが意外と気に入ってしまい、正式に採用しました。
なんか今までのは、ズルズル間延びした感じでしたのでね。
それでも相変わらずのセンスの無さを、自分としては感じているのですが。
現在また、以前からあるページの写真の、画質向上を画策しています。
それでもファイルサイズとの兼ね合いもあり、なかなか思うようにはいきませんね。
(ついでながら、この字のピンク色、ちょっと見にくいようなので変えてみましょうか?)
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[237] 試験的に… :さっしい
2002/01/24(木)0:46 [メール]
字の大きさと、ついでに文字カラーセットも変えてみました。
最近、小さな字がちょっとつらいので…(老化か?)
しばらく試用してみて、また考えたいと思います。
しばらくは違和感があるかもしれませんが、よろしく。
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[238] ちょっと(怒) :有華
2002/01/24(木)15:22 [メール]
やっぱ、私って怖いのかなぁ!?でもね、楽しい時はすっごく楽しい学校生活を送ってるんだよ!!学校の先生とは・・・まぁまぁ話すしね♪
いよいよ明日から私立高校の出願が始まるよぉ〜!!今、髪の毛の色茶色っぽいから、黒にしなくては・・。
すみじさん、初めまして☆
私も、すみじさんの気持ちは分かる気がします。
自分が一年生の時は2年生の先輩といろいろ問題があり廊下ですれ違う時に「生意気なんだよ」とか言われたり、友達は腕を捕まれて喧嘩っぽくなったことがありました・・。
けれど、私たちが2年生になって1年生が入ってきた時、私たちのときよりも生意気な行動をとっているのに、注意されたりしてませんでした!!
あの時はさすがに、ちょっとむかつきましたね・・・。この差はなんなの〜!?とか思ってましたね。
受験が終わりしだい、部活にも顔を出すようにして今までの伝統を伝えていけたらいいなと思っています。新しい1年生も入ってくるのに、なにも技術がないって言うのは寂しい事ですしね・・。
[239] 業務繁忙ゆえ・・・。 :に〜みや
2002/01/25(金)16:25 [メール]
さっしいさん、どうも。業務の都合上、「三国志談義」は今日もお休みです。この土日に
”執筆活動”に勤しんで、「諸葛亮」という人物の実像に迫る(!!)文章を書いて参ります。
ご期待(?!)下さい。また長くなりそうですが・・・。(苦笑)
●南野さん・・・
>反応が少ないなんて、そんなこと無いですよ。
>三国志談義はかかさず読んでますよ。
>鉄ネタ以外でもかえって気晴らしかも!
わたくしの駄文をご愛読頂き、ありがとうございます。m(_ _)m
>しかし、本業があまりにも忙しくて、なかなか書き込み出来なくて...
>に〜みやさんの監査の話は私も実感!
>私が設計を担当した市営住宅で、昔会計監査に引っかかったことがあって...
>どうにかなんとか逃げ切りましたが。
お忙しそうで何よりです。私の方は今日、突然計画線上になかった工事の業務依頼が来たり、
月末締めの工事代金の請求書を切ったりと忙しく、1日中バタバタしておりました。しかし、
突発で工事の仕事が来るのは売上が上がるのでいいのだが、一体誰がその工事の設計やら積算
やら監督員の仕事やら何やらの業務をすんねや?!今でも結構一杯一杯やぞ。どーすんねん!
また設計や積算の手伝いやらされるのか?絶対イヤだ!!したくないよぉ。CADで図面描く
位は簡単にできるけど、関連部門と調整するのが鬱陶しい。一旦了承しておきながら後になって言う事がコロっと変わってみんなひっくり返してしまう妙なオッサンとかが多いからイヤや。
会計監査も、社内の内部監査ならまだマシですが、ウチの会社は毎年のように会計検査院の
監査が入るので大変です。監査のオッサンの対応が終わったら、対応の模様をまとめた報告書を
イチイチ書かされるのが苦痛です。取るに足らん内容なのに、ない頭絞って考えて書かなければ
ならないなんて無駄以外の何物でもない。
[240] いよいよ受験シーズンですね :さっしい
2002/01/25(金)22:13 [メール]
▼有華さん▼
願書提出は今日行ったのかな? 無事に出願してきましたか?
私立はチェックが厳しく、出願段階から観察してるって言いますよね。
面接にしたって、その時だけ取って付けたような態度では見破られるって。
要は、普段からの真面目な生活態度が、物を言うのでしょうな。
ところで有華ちゃん、この言葉づかいの差は、いったい何なんだ〜
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[241] またまたご苦労様です :さっしい
2002/01/25(金)22:19 [メール]
▼に〜みやさん▼
忙しいのは何よりですよ。まま、ごゆっくりどうぞ。
画数の多い漢字がたくさん出てくると、
やはり大きな文字の方が見やすいみたいですね。
諸葛孔明の生き方には心惹かれる部分が多いです。知力も最高だし(?)
しかし、ゲーム中の劉禅のパラメーターの低さには笑ってしまいます。
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[242] 出願はまだです。 :有華
2002/01/26(土)0:14 [メール]
他の人は今日から始まりましたが、私は公立は30日・私立は31日です!
もうすぐなんで、ちょっと緊張!!
んで、普段からのマジメな生活態度・・そんなものないですね。
まじめに学校で生活なんかおくってるわけないじゃないですか・・。
やっぱり、なれてなかったりすると解かられちゃうのかな?
言葉遣いの差?(笑)そんなものありませんよぉ〜♪♪
[243] あ、字が・・・ :みしゃと
2002/01/26(土)1:04
タイトルの通り、掲示板の字が変わりましたね。
うんうん、こっちの方が見やすいです。
これだけなんです。。。ボソボソ
[244] 関東地方、今夜は雪になるようです :さっしい
2002/01/26(土)7:52 [メール]
昨日はテレビ埼玉での再放送「巨人の星」の最終回でした。(横浜でもよく映ります)
思えば、本放送を見たのは30年以上も昔の、昭和46年9月。多感な高校1年生の頃。
当サイトで紹介しているように、ローカル私鉄などを精力的に訪れている頃でした。
そんな昔の作品でも、やはり感動しますね。相変わらず涙を浮かべながら見ていました。
とはいえ、最終回の場面は原作本と大きく違い、以前から違和感を持っていたものですが。
テレビ版は、またそれで一つの作品と考えれば良いのでしょうね。
▼有華さん▼
すっかりここの常連さんになってしまいましたね。(そんな君の将来に一抹の不安を…)
ま、それはともかく、出願は来週ですか。いよいよという感じが迫ってきますね。
高校受験の直前は、さすがに僕でも勉強したかな。普段はしてませんでしたからねぇ。
机の前にある「巨人の星」の漫画本を、紙テープで封印したのを思い起こします。
テレビも見るのを制限したかな。ドリフの「全員集合!」は見てたような気がしますが。
「人事を尽くして天命を待つ」。できるだけの努力と準備をして、入試に挑戦して下さいね。
▼みしゃとさん▼
ふふ、お互いに歳ですかねぇ〜。確かに最近、細かい字に弱いんです。
とはいえ、元々、ニフティーの掲示版からこの掲示板に変えたのは、
字が小さくて引き締まって見え、かっこいいと思ったたからなんです。
標準の大きさに戻すなら、ニフティーの掲示板で充分だったわけですね。
ここって11時前後など、繋がりにくくなることが多いんじゃありませんか?
ところで、江ノ電の501+551は引退しましたが、502+552はまだ頑張っているんですね。
このところ、この掲示板も、鉄道の話題が影を潜めてしまっていますが、
今日は土曜日、今夜はトップ画像だけでも更新しますので、お楽しみに。
毎月最後の週は路面電車にしていますが、いつまでネタがもつか…
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[245] アップのお知らせ! :RRE
2002/01/26(土)9:46 [メール]
さっしいさん こんにちは!
このBBSは字が大きくなって見易くなりました。本日は恒例の土曜日ですが、毎月最後の週は
路面電車だったのですか? 気がつきませんでした。何処が登場するか楽しみに待っています。
所で、弊サイトのアップのお知らせです。
今回はちょっとさぼって
「阪急標準車体の小型車 610系」
「山陽路を駆け巡った583系寝台特急電車」
「フランス国鉄 TGVのバリエーション」
の3コンテンツのみです。どうぞご笑覧下さい。
http://users.goo.ne.jp/r2e
[246] おぉこれは(@@) :TADA
2002/01/26(土)23:41 [メール]
トヨテツ市内線でもこれを持ってきましたか。(^0^)う〜ん、いかにもさっしい様らしいチョイスですね。
妙に腰の低い電車、という印象です。
このグリーンとクリームの塗りわけ、各地にありましたね。方向幕やナンバーが見えなかったらちょっとどこの電車か分からないかもしれません。
封印するのなら紙テープでなく、ハリガネでがんじがらめにしなくては。(^0^)おっとこれは同じマガジンでもあっちの話しでした。m(_ _)m
http://www.photoland-aris.com/kisya/
[247] 千代大海か?栃東か? :さっしい
2002/01/27(日)15:59 [メール]
字の大きさは、おじさま・おばさま方(失礼!)に好評なので、このままにしましょうか?
今日は、午前中の天気も悪かったので、家でのんびり大相撲観戦です。
▼RREさん▼
5月の仙台市電以来、毎月最後の週は路面電車にしていたのですが、
カラーに限定するとなると、そろそろネタ切れも近いので、
その後は、ちょっと変わった車輛でも、と考えています。
あまり古さにはこだわらず、最近のものも取り入れていきたいと思いますが、
もうしばらくは、こんな感じで毎週続けられれば、と思います。
RREさんのサイトの新顔では、やはり阪急の小型車が好みでした。
▼TADAさん▼
素材がそう多くはないので、それほど意図しているわけでもないのですが、
この当時はそれだけ、なかなかに渋い車輛が多かったわけですね。
クリームと緑のツートンって、ローカルというか、時代を感じさせますが、
落ち着いていて、とても好きなムードです。最近は派手で、けばけばしくて。
しかし、この当時から大きな広告を掲げ、豊鉄は時代を先取りしていましたね。
神都線から来たこの車輛は、2枚のドア間が長く、広告電車には最適だったようです。
http://homepage1.nifty.com/sassy/
[248] 常連さんです♪ :有華
2002/01/27(日)17:51 [メール]
やっぱ、勉強もちゃんとしないと・・。だから2月になって受験が終わるまではここには顔を出さないことにしました!18日に公立の試験が終わるのでその日にまた戻ってきます!!頑張らなきゃいけないときに頑張れない人は一生がダメなんだ。っと前に塾の先生言われた事もあるしね・・。
今日は、塾の特訓があった日。9時から4時40分までお弁当持ち(涙)80分授業×5教科でした。中3の受験も大変だけど、小6も結構大変みたい。来週には試験みたいだしね・・。塾で勉強してる6年生をみると頑張らなきゃっていつも思うんだよね。
[249] 有華がんばれ〜! :さっしい
2002/01/27(日)22:10 [メール]
▼有華さん▼
決意は偉いけど、う〜ん、それも寂しいような。
ま、気晴らしが必要な時は、気軽に顔を出してくださいな。
人生、「こうじゃなくちゃいけない」ってことはないんだからね。
その上で、できる限りの努力はしましょう。頑張ってください。
健闘を祈っています。いい報告もねっ!
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[250] 受験かぁ。懐かしいなぁ・・・。 :に〜みや
2002/01/28(月)10:49 [メール]
さっしいさん、どうも。私も元々は勉強嫌いで普段は全然といっていい程しませんでしたが、
受験の時はさすがに勉強してましたねぇ。でも、徹夜は全然しなかったです。夜更かしをすると
効率が落ちるだけでちっとも身につかないという考えからで、夜は日付が変わるまでに寝て、
朝早く5時とかに起きて学校へ行くまで勉強してました。ウチの家は通ってる中学のすぐ近くに
あって、徒歩1、2分だったので、学校に行くまでに最大で3時間程勉強できました。夜中に
遅くまで起きてやるよりは余程効果があったのではと自分では思っています。
私は勉強が嫌いだったので、受験勉強して高校へ入り、また3年後に受験勉強して大学を
受けなければならないのがイヤだった為、国立高専に入ったのですが、私が今までの人生の中で
一番勉強した時期といえば、受験ではなく、卒業研究の頃だったと思います。何せ研究室に
20時間もこもってパソコンとにらめっこしてました。大抵3時間位は寝てましたから、徹夜は
しませんでしたけど。教授から研究課題として与えられた電子回路を解析するソフトに私は
非常に興味を持ち、まるでおもちゃを買い与えられた子供のように嬉々として研究にのめり
込んだのでした。ちょうどペンティアムの出始めの頃で、冬になって研究室にもペンティアム
搭載のマシンが遅れ馳せながら導入されましたが、従来使っていた386マシンとは比べ物に
ならない位の速さに非常に驚きました。従来数時間かかっていた回路解析がわずか数分で
終わったのですから。もし、ペンティアム機が研究室に導入されてなければ私の研究は終わって
なかったかも知れません。
研究ではまず、ICの設計から行いましたが、自分で設計したICに友達の名前を付けて、
「西君」とか「島田君」等と呼んでおりました。ただ、私の設計が悪かったせいか、「西君」も
「島田君」も時折予期せぬとんでもない動作をする事があり、大いに笑わせてもらいました。
何だか名前をもらった友達本人の性格を反映しているようでしたから。(かなり失礼。)
[251] 明後日出願・・。 :有華
2002/01/28(月)11:29 [メール]
私の性格の場合、頑張らなきゃって思うと頑張れるんだけど「いっか〜・・」って一回へこむとそのまんま下がっていくんだよね・・。2年生の時の成績でいうと1学期はまあまあだったのに2学期遊びすぎて5つも下がっちゃった。みたいな感じかな。それを担任からも言われたんだよねぇ・・。だから自分でけじめつけないと・それに誰かに言わないと守れないような気がしたから言ってみました。まぁ、本当に辛くなったら遊びに来るよ♪みなさんにいい報告ができるようにね〜。
[252] 諸葛亮の南征について。 :に〜みや
2002/01/28(月)11:39 [メール]
「諸葛亮という人物の実像に迫る」第3回ですが、とりあえず長くなるので南征と北伐は回を
分ける事にします。今回は南征についての考察です。
「三国志演義」では、奇策を弄し敵軍を陥れる天才軍師として描かれている諸葛亮であるが、
実際の諸葛亮の司令官としての能力はどうだったのであろうか。「演義」で描かれている南征や
北伐について考察し、その実像を探っていきたい。
まず、諸葛亮の緒戦とも言える南蛮征伐(南征)だが、先主劉備亡き後の蜀の国威を発揚し、
諸葛亮自身も軍の司令官としての自信をつけたという意味ではまず成功だったと言えるかも
知れない。しかし、この南征による兵力の損耗は大きく、決して大成功とは言えない出来栄え
ではないだろうか。敵対する魏と比べ極めて小さな国力しかない蜀にとって、この数万もの
兵力喪失は決して小さいとは言えないハズである。
建寧太守ヨウガイ(姓の「ヨウ」は「雍」、名の「ガイ」は「門がまえの中に山と豆」)らが
蜀に対して反乱を起こした。これは呉が蜀の後方撹乱を狙って交州太守らを通じて軍資金や
武器等を送り、太守や蛮族らをそそのかしたのが発端であった。諸葛亮は自ら兵を率い、南蛮
討伐に赴く事になったのだが、緒戦とはいえ、準備不足の感は否めない。戦争を行うに
当たっては精密な地図が必要である。
精密な軍用地図を持たない軍隊は盲目と同じである。どこに布陣し、どのようにして敵軍を迎え
撃つか、敵軍がどこに布陣してどのような作戦を行っているのか、またどうすれば敵を打ち破る
事ができるか等の検討すら、地図がなければ全くできないのである。幸い、永昌太守である
王伉の部下、呂凱が「平蛮指掌図」なる地図を作成していた為、彼を行軍教授に任じ、道案内を
させる事によって解決する訳だが、いくら何でもマトモな地図もなく征伐に出掛けるとは
余りにも無謀な行為であると言わざるを得ない。
征伐の詳細についてはここでは詳しく述べないが、諸葛亮の南征中に起きた数々の事件は、
諸葛亮自身で解決ができずに他人の力を借りなければならなかった事も多く、敵味方共に
犠牲者が非常に多く出た。蛮族の王、孟獲を7度捕らえて7度釈放するくだりで諸葛亮は
「孟獲を捕らえる事なんぞ簡単」等と言っているが、孟獲を7度捕らえる間に、敵味方共に
かなりの犠牲者が出ている。「孫子」謀攻篇に、「百戦して百勝するは、善の善なる者に
あらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」という言葉があるが、
諸葛亮が南征でやった事は「孫子」に書かれているような理想とは余りにもかけ離れている。
諸葛亮は兵糧を運んできた馬岱に、兵を率いて瀘水の上流を渡り、蛮軍の糧道を断たせようと
するが、川に入った馬岱の兵士達は皆流れの中でバタバタと倒れて死んでしまった。地元住民に
聞くと、昼間は川に毒気があるので、夜に水が冷えてから川を渡ればよいと言う。こんな重要な
事を事前に調査もせず、何が名司令官、天才軍師であろうか。また、後に孟獲が逃げ込んだ
禿竜洞に続く道筋にある4つの毒泉のうち、唖泉の水を飲んだ王平とその部下の兵士達は口が
きけなくなったが、万安隠者(孟獲の兄孟節の事)の助けを借りて王平らはようやく助かったと
いうくだりも同様である。例えば、魏の?艾が高山や沼沢を見る度に精密な図面を作成したと
いうのと比べるとかなり見劣りがする。三国志随一の天才軍師のエピソードにしては余りにも
お粗末なのではないだろうか。
董荼那や阿会喃らは、諸葛亮と戦って敗れ、捕らえられながらも赦されて釈放された恩に
報いる為と、領内の住民の苦しみを考え、孟獲を捕らえて諸葛亮の元に引き渡したが、諸葛亮は
孟獲を釈放した為、董荼那と阿会喃は孟獲に殺されてしまった。孟獲を釈放するとこうなる事は
わかりきっていたハズである。諸葛亮は蛮族の命を虫けら程にも考えていないようだ。しかも
董荼那と阿会喃は住民の事を思い、恥を知り、帰順の意を表していたのだから、蛮族の誠意を
裏切ったこの諸葛亮の処置には疑問が残る。諸葛亮は南征に出掛ける前に王連から「何も丞相
自ら出征しなくとも、大将を1人派遣するだけでよいでしょう」と諌められたが、「蛮族を
心から帰服させる為には剛柔様々な手段を用いてやらなければならないので自分で行くのだ」と
答えていたが、このような事をやってて果たして蛮族が心から帰順するのかどうか非常に疑問
である。
孟獲に加勢した烏戈国の王、兀突骨率いる藤甲軍は、丈夫な藤のつるに油を染み込ませて編み
上げた藤甲という鎧を着た軍隊で、この鎧は、刃物がきかず、また軽いので水に浮くという
優れたものであった。諸葛亮は魏延に命じて盤蛇谷に藤甲軍を誘い込んで地雷を用いて火攻め
にし、藤甲軍を全滅させた。植物のつるに油を染み込ませた甲冑は火には弱かった。かくして
孟獲は馬岱に捕らえられ、心から帰服する事を誓い、南蛮族の討伐は終わった。
成都へ帰還する道すがら、諸葛亮は「馬岱の率いた蜀兵千人余り、そして蛮族も殺して
しまった。これは私の罪だ」と言っているが、犠牲となった蜀の兵士は千や二千では済まない
ハズである。しかも蛮族の犠牲者の数は問題にしていない。全くおかしな言い草である。
正史には、孟獲が「演義」にあるように、諸葛亮の南征に抵抗して大暴れしたという記述は
ない。孟獲は蜀に帰順後、高い官職にまで出世しているので、「演義」にあるように、単に
武勇自慢で粗暴なだけの人間ではなかったようである。
また正史では、諸葛亮が高定を平らげた後、郡では異民族が代々の太守を殺し、その為に
太守が任地の郡に赴任できなくなった。後任の太守として張嶷が任ぜられると、彼は異民族らに
恩を与えて信頼を得、従わなかった促馬族を征伐したが、首魁の魏狼を赦して爵位を与えるよう
上表した為、諸民族を平定し、手なずける事ができたとある。どうやら諸葛亮の南征はこの
張嶷のやり方に倣ったものらしい。張嶷は南蛮族平定と、その後の現地外交における最大の
功労者であるのだが、「演義」では、南方の平定をどうしても諸葛亮の手柄にしたいが為に彼の
名政治家ぶりを一切記しておらず、単なる武官としての扱いに終始している。これでは余りにも
張嶷がかわいそうである。
結局のところ、「演義」にある諸葛亮の南征のくだりは、本当は張嶷の手柄であって、大半が
後世の創作であろう。しかし、単なる粗暴な人間として描かれている南蛮の首領、猛獲もかなり
かわいそうな気がする。実際はある程度は人徳も学も備えた人物だっただろうに・・・。
[253] また漢字が出なかった。 :に〜みや
2002/01/28(月)11:49 [メール]
>例えば、魏の?艾が
これは魏の将軍の「トウガイ」の事。姓の「トウ」は「登へんにおおざと」。あの現代中国の
偉大なる指導者、「トウショウヘイ」氏の「トウ」の字である。しかし何故この字が出ないのに
烏戈国の王、兀突骨(ゴツトツコツ)の「兀」のような変な字が出るんだろう?普通はこんな字
使わないと思うんだけど。
ちなみに「兀」は漢字であって、ギリシャ文字の「パイ」ではない。
[254] 夢ってなんだろう :さっしい
2002/01/28(月)19:30 [メール]
▼有華さん▼
なんだか似てるなぁ。僕も自分を縛り付けたり追い込んだりしないと、なかなか力を出せない。
その年で自分を律するなんて偉いけど、僕の中学時代の「禁テレ・禁漫」みたいなものでしょうか。
ま、試験勉強の息抜きや気晴らしになるのなら、ここで大いに英気を養っていって下さい。
でも、つらい現実からの逃避のために出入りするんだったら、おすすめはしません。
本当に頑張らなきゃならないときって、人生にそう何度もないんだとは思うけど、
たぶん、君にとっては、今がその時なんだろうから、しっかりやってくださいね。
いずれにしても、目標とか夢があるってことは、いいことだよね。(今の自分には?…う〜ん)
▼に〜みやさん▼
「兀」の件ですが、そう決めつけたものでもないと思いますよ。
鉄道ファンの方はご存じでしょうが、宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」は、
文学作品として見ても優れたものであり、僕の愛読書のうちの一つでもありますが、
そこに「突兀」という表現がよく出てきます。山の聳え方を形容する、立派な日本語ですから。
また、兀庵普寧(ごったんふねい)は日本とも縁が深く、その名は日本史の教科書にも登場します。
これに対して、「登」に「おおざと」の「とう」の方は、確かに有名人も多いのですが、
中国の人名地名等、限られた固有名詞にのみ使用される字のようですので、
日本独自の工業規格である「JIS漢字」から漏れたのも、仕方のないことなのかもしれませんね。
とはいえ、JIS漢字が少なすぎるということは明らかな事実であり、
我が国で普及している漢詩漢文ぐらいは、普通に書き表せるようにしてもらいたいものです。
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[255] こんばんは! :RRE
2002/01/28(月)20:19 [メール]
さっしいさん 今晩は!
トウショウヘイのトウの字”?”は出ませんか? 私の使っているATOKではJISコードの付いた
文字(963B、シフトJISではFBB9)として検索できましたが?(上の行の””の間の文字は
皆さんのPCでは正しく表示していませんか?)
私は中国関係の仕事が多いですが、日本語フォントで使えない名字や地名が多くて苦労する事
が良くあります。以前も私が必死になって文字を探し当てて文章に表記したのですが、他の人
からは読めないと指摘された事があります。ATOKで表示できても、MS IMEを使用しているPC
では読めない事があるのかも知れませんね。
所で話は変わって、豊橋鉄道見ました。ウゥ〜ン!モ3600形とは渋いですね。この車両は撮影
後、暫くして廃車になったのでは無いでしょうか? 私はこの車両は勿論の事、クリームに
赤帯以外の車両をここで見た記憶は無いように思います。
これからも路面電車シリーズのネタを絶やさない様、色々と趣向を変えて継続をお願いします。
http://users.goo.ne.jp/r2e
[256] あれぇ〜? 漢字が出ませんね! :RRE
2002/01/28(月)20:25 [メール]
失礼しました。やっと ↓ ↓ でに〜みやさんの言っている事が判りました。
このBBSの本文記述欄に書く時に特殊な漢字が画面上表示できていても、いざBBSにアップした
後は、”?”に変わっているという事だったのですね。
↓の私のトウの文字も同じでした。
http://users.goo.ne.jp/r2e
[257] JIS漢字は少なすぎる。 :に〜みや
2002/01/29(火)14:39 [メール]
さっしいさん、RREさん、どうも。テキストを編集している時には出る漢字も、BBS上では
(Web上では)出ない字があるようです。丸数字(「@」や「A」等)や記号(音符「♪」等)
なんかも機種によっては異なって表示される事があるみたいです。(機種依存文字)
一部の漢字についても多分同じ事が言えるのでしょう。よくわかりませんが・・・。
「兀」の字、確かに日本語の言葉の中にありますね。言われてみれば「登へんにおおざと」の
「トウ」の字は日本語では使わない字ですから・・・。
[258] 明日です。 :有華
2002/01/29(火)23:51 [メール]
明日は公立の出願日。
茶色かった髪の毛も黒くしてまじめ風になりました♪
靴下も、紺色にして準備OK☆☆
それはそうと今日は公立の推薦発表美でした。
推薦の人は一足早い受験のようで大変みたいです!!
私も明日にそなえて、卿は早く寝ようと思ってます!
っというわけで、おやすみなさい。
[259] もっと漢字を〜! :さっしい
2002/01/30(水)4:53 [メール]
▼RREさん▼
そうなんですよ。僕が[197]〜[198]あたりの書き込みで言ってたのも、そのことなんです。
JIS第1・第2水準の漢字は、テキストでも確実に表示されるのですが、
ATOKの「文字パレット」や、MS−IMEの「文字パッド」では出てくる、
「おまけ」みたいな漢字は、Windows上でだけ認識されるのでしょうか?
僕がやってみた時も、「高」や「崎」の異体字が「?」になってしまいました。
路面電車篇も、元画像がある限りは続けますが、古いカラーはもう残り少ないので…
トップ画像にも時々最近のも交えているんですが、いずれモノクロも登場するかもしれません。
▼に〜みやさん▼
自分のパソコン上では正常に表示されていても、アップすると変わってしまいますね。
元々、ローマ数字や、丸数字、特殊記号、半角片仮名などは「機種依存文字」なので、
ネット上では使用すべきでないということは言われていましたが、
これらの「おまけ漢字」も、それと同じ扱いなのでしょうか。
更に、Unicode表によれば、使いたくなる漢字がわんさかあるらしいのですが、表示はされません。
フォントが対応していないのだと思いますが、なんだか宝の持ち腐れみたいで…
漢字は、多いと言ってもせいぜい5万字ですので、せめて2万字ぐらいは対応して欲しいものです。
▼有華さん▼
おはようございます。(年のせいか、最近、早く目が覚めちゃうんですよね)
いよいよ今日出願ですね。気を付けて行ってらっしゃい。(これ、朝には読まないよねぇ〜)
一応、外見は取り繕いましたか。でも、行く途中でも気を抜いちゃいけないよ。
ま、出願したら、あとは自分の努力だけですので、残り3週間頑張りましょうや。
有華は公立一本なのかな? だとしたら、そんなに冒険はしてないんだろうけど。
本番に緊張しやすいタイプなら、ゆとりを持って受けられるよう、万全の準備をね。
とにかく応援してます。でも最後に頼れるのは自分だけだよ。
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[260] どうなんでしょう・・・。 :に〜みや
2002/01/30(水)15:30 [メール]
さっしいさん、どうも。今、工事の予定線表を広げて竣功検査業務の予定を立てています。
何か年度末が大変な事になってます・・・。3月だけでも完成する工事が50本だなんて。
あぁ、どうしよう・・・。
>自分のパソコン上では正常に表示されていても、アップすると変わってしまいますね。
>元々、ローマ数字や、丸数字、特殊記号、半角片仮名などは「機種依存文字」なので、
>ネット上では使用すべきでないということは言われていましたが、
>これらの「おまけ漢字」も、それと同じ扱いなのでしょうか。
>更に、Unicode表によれば、使いたくなる漢字がわんさかあるらしいのですが、表示は
>されません。フォントが対応していないのだと思いますが、なんだか宝の持ち腐れみたいで…
>漢字は、多いと言ってもせいぜい5万字ですので、せめて2万字ぐらいは対応して欲しい
>ものです。
漢字マニア?としましては、もっと使える漢字を増やして欲しいですね。確か、Windows機と
Mac機とでは一部文字コードが違う部分があるらしく、Macユーザーの友人が書いた文章では、
音符「♪」が平方根「√」になっている事がありました。他にも丸数字が読めないとか、ローマ
数字が読めないといった事もありました。この文章も、Mac機で見たら特殊記号の部分が違う
記号になっているかも知れません。きっちり確かめた訳ではないので、ハッキリとは言い切れ
ませんが・・・。
Unicode表にあってJISにない字は、文字パッド等の上に候補としては表示されますが、
テキスト等では使えず、正しく表示してくれません。文字パッドで苦労して探し出した字も、
テキストでは表示されなくてがっかりしたという事もしばしばです。三国志の登場人物の
名前や地名等に使われている字も大抵はUnicodeの表の中に入ってはいるのですが、全く使えた
試しがありません。一体これらの字は何の為にあるのでしょう???
・有華さんへ
私のような勉強嫌いで努力したがらない人間が偉そうな事言えた義理ではありませんが、
とにかく最後まで諦めないで、最善を尽くして下さい。でも、肩の力は抜いて、良い意味で
開き直って気楽にいきましょう。緊張したりして余計なところに力が入ってたりするとロクな
事にならないですから。どうしても多少は緊張するでしょうが、深呼吸して、出来るだけ
落ち着いて。試験受ける時になったら、もう最後は開き直るだけですよ。ホント。かく言う
私も、高専の入試当日に風邪ひいて39度の熱出して、薬飲んで注射打ってから試験を受け
ました。当日は南国四国も大雪で、試験会場の部屋の暖房が効き過ぎて暑かったせいで頭が
ボーっとして眠くなりましたが、それでも開き直ったのが良かったのか、奇跡的に受かって
しまいました。(周りの人間は誰も受かるとは全く思ってなかったらしい。)もう10年も前の
話ですが・・・。
この冬の風邪はしつこいようですから、体調の管理はしっかりと。万全の態勢で受験できる
ようにね。ここを見てるみんなが応援してますよ。
あえて「頑張れ!」とは言いません。ただ、後で後悔しないように努力して、最善を尽くして
下さい。健闘を祈ってます。
[261] 実は「頑張れ」という言葉、嫌いなんですよ。 :に〜みや
2002/01/30(水)16:34 [メール]
私は「頑張れ」という言葉が嫌いです。日本人は大抵、励ましたり、応援したりする時に
「頑張れ」と言います。他の言い方をするのを聞いた事はほとんどありません。何だか、
「頑張れ」としか言えない日本人のボキャブラリーの少なさ、発想の貧困さに悲しくなって
しまいます。日本語は美しい言葉です。「落語」や「漫才」(古くは「万歳」と書きました。)
等、言葉遊びを用いた古くからの芸能があるのも日本だけです。元々日本人は言葉遊びが巧みで
あったハズなんです。でも、私達を含めた現代の日本人はどうでしょう。私も自分の発想の
貧困さに自分がイヤになる事すらあります。
話がそれましたが、私は以前、長らく入院していた事がありました。見舞いに来てくれる人は
皆、「頑張れ」と言ってくれましたが、私は絶対安静で、ロクに動く事もできない有様でした。
ベッドの上でマトモに動く事すらできないのに何を頑張るのでしょう?見舞いに来てくれる
気持ちはありがたいですし、元気づけたいという相手の気持ちもわからないでもないのですが、
来る人来る人全員から「頑張れ」「頑張れ」と言われ続けたら何だかイヤになってしまって。
それに、会社休んで入院しているから、会社には迷惑をかけている訳で、でも病気の体はそう
簡単に治る訳でもないし、自分ではどうにもならないから、「頑張れ」と言われる事で何だか
自分が妙に不甲斐なく思えてきて・・・。
だから自分が他人を励ます時は「頑張れ」という言葉をあえて避けています。何だか今の
日本人には、他人を励ます時はただ「頑張れ」とさえ言えばいいような風潮があるみたいに
思えて、私には「頑張れ」という言葉がどうしてもむなしく、無責任な感じに聞こえてしまい
ます。だから誰かを心から応援したい時には、「頑張れ」以外の言葉をかけてあげたいのです。
[262] ありがとうございます☆ :有華
2002/01/31(木)14:07 [メール]
なんか、みなさんに応援してもらって幸せ者です♪
私は、公立受けますが併願で私立も受けます!
それで、昨日は公立の出願・今日は私立の出願だったのです!!
ちなみに今は学年末テスト期間中(涙)31日〜2日までなのです・・。
10日には私立の入試があって、18日は公立の入試。
3週間だけ真面目にやればあとは楽しい生活が待ってる・・って思うとなんだか頑張れる気がします。
全力疾走すべし!!(ちょっと意味不明)
[263] 「三岐鉄道車輛大図鑑」更新情報 :南野哲志
2002/01/31(木)18:33 [メール]
みなさん、こんばんは。
今回は拙「三岐鉄道車輛大図鑑」HPの更新情報です。
といっても、こちらの皆さんにはあまり興味が無い範囲かもしれませんが...
まず、製作中の三岐ガソリンカーの模型写真を載せました。
それと、三岐鉄道で活躍するセメント貨車タキ1900形の全ロットを掲載しました。
是非ご覧下さい。
●に〜みやさん
まだまだ、監査は続いているのでしょうか?
私も、2月中旬から保育園の設計補助と模型の仕事をすることになり、これが夏までかかりそうで...
その前に、高校図書館の解体の設計の積算をやることに。
なぜ、解体する建物まで、図面を描いて積算まで必要なのでしょうかね。公共物件の宿命?
●有華さん
いよいよ入試ですか。
なにか、高校入試なんて私の歳(といってもまだ31歳ですよ!)になるともう懐かしいですね。
しかし、なぜ入試ってこんな寒い季節にやるんですかね?
風邪ひいてたり、雪で試験場に行けなかったり...
もう、ここまで来たらとにかく体調を壊さないように!
その前に、
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/sangitop.htm
[264] 1月ももう終わりですか… :さっしい
2002/01/31(木)21:27 [メール]
▼に〜みやさん▼
僕は「頑張れ」という言葉、今は結構好きなんです。
実は15年ほど前に、そういうことも思ったり、同僚と議論したこともあって、
極力、その言葉を使わないようにしていた時期もありました。
病気になったときは、医者から「頑張っちゃいけない」と言われたりもしたものですが、
あることがきっかけで、その言葉が他者への大きな励ましになっていたことがわかり、
また、さだまさしの「関白失脚」の歌の中の「頑張れ」も、なかなかに感動的で、
特定の機会には意識して使うようにしています。今回は3回も言ってしまいましたね。
表現の貧困さや、ある意味で無責任さもあるにせよ、自分にとっては心からの応援のつもりです。
言葉というものには魅力も魔力もあり、様々な理由で好き嫌いが生じるものですね。
もちろん、現代日本語の貧困さや情緒の無さということも、痛切に感じていますが。
▼有華さん▼
出願は私立の方が後だったんだ。併願ということで、僕と同じですね。
僕はもう30年以上も前になるわけですが、東京の海城高校を併願で受けました。
ものすごい数の受験者で、新宿区の体育館まで借りて入試を実施したのですが、
当時は併願に最適だった学校が、今では難関校の一つになってしまっています。
私立校の入試は、ともかく、めちゃくちゃ難しかったという覚えがあります。
試験の直後は「これじゃ絶対に不合格だ」と思ったぐらいです。
私学は、学校のプライドもあり、問題を難しく設定しているのでしょうか。
それに対して公立は、ひねりも少なく、一般的な問題が中心でした。
いずれにしても、今までの努力の成果を普通に発揮できれば、大丈夫でしょう。
また、今から入試当日までの勉強が、意外と役に立ったりもするものですよ。
全力疾走…。うん、3週間ぐらいだったら、ちょうどいいかもしれないね。
▼南野哲志さん▼
久々に鉄道の話題という気がしますね。ガソリンカー大好きです。
南野さんの三岐サイトは、身近な鉄道ということもあり、中身が濃く、力がこもっていますね。
しかも、趣味にも繋がった、創造性のある仕事をこなしていらっしゃるようですね。
いろいろと面倒で大変でしょうが、やり甲斐のあるお仕事なのではないでしょうか。
自分も30歳前後って、がむしゃらに走っていたような、そして少しは輝いていたような…
ところで、ほんとに入試の時期って雪が降ったり、寒くてつらいですよね。
ただ、ひところ、9月入学が議論されていたこともありましたが、
やはり入学は、桜の花びら舞い散る中っていうのが、日本的でいいんじゃないでしょうか。
そうなると、やっぱり入試はこの時期ですかねぇ。
また、それはそれで、一つの風物詩にもなっているようですし。
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[265] 今日は入試でした :すみじ
2002/01/31(木)21:45
さっしいさん、こんばんは。すみじです。
明日から2月ですね。
今日は勤め先の大学は入試でした。
在校生は検定試験に向けて最後の追い込み授業でしたが…。
さっしいさんが書いておられましたが公立と私学の入試問題っていうのはすごい差がありますね。
私も併願組ですが公立は「さぁ〜頑張って入っておいで〜」って言ってるけど私学は「入れるものなら入ってみな」って印象だったなぁ。
だから、さっさと振ってやったけど…入学金返せ…。
「頑張れ」に対するに〜みやさんのご意見も拝見いたしました。ごもっともなことだと思います。
要は言葉は使い方次第、ということでしょうか。
かくゆう私も受験生の有華さんには「頑張ってね」と言いたいし、
土曜日にワープロ検定を受検する私の教え子ちゃん達にも「今、頑張らねば、いつ頑張る」と言いたい心境です。
が、こう書くと「頑張れ」が嫌いな方はいやぁ〜な気分になってしまうのでしょうか…。
う〜ん、難しいですね。色々と考え始めると掲示板に書き込みできなくなりそ。
すみじは結構、頑固で自分のポリシーをしっかり持ってるくせに普段はまったりとした雰囲気を出しているさっしいさんに憧れております♪
(うぉ!愛の告白??そういえば掲示板に「愛の告白もOK」の文字がなくなってる…)
[266] それでは・・。 :有華
2002/01/31(木)22:50 [メール]
前に話したとおり、明日からしばらくここには来ません。
けれど、私立の結果は報告に来ますので☆
半分期待していてください(笑)
また、今度♪